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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「一月のことをなぜ正月というのか」について考える

2015-01-08 07:15:02 | 記念日・祝日・行事・習慣

西漢(前漢)の『爾雅・釋天』という書物の中にこういうのがあるそうです。

夏曰歳、商曰禮、周曰年

なぜ、周の時に「年」と称するようになったかというと、周の時代はとても農業を大事にした時代で、「年」という時間概念が農作物の生長の周期よって、次第に認識されるようになりました。

つまり、「年」は「稔」であり、稲穂が実り熟すことを祈りつつ念ずる意味です。

じが 【爾雅】

中国の字書。3巻、19編。撰者未詳。周代から漢代の諸経書の伝注を採録したものといわれる。東晋の郭璞(かくはく)の注がある。十三経の一。

大辞泉

各篇の名は「釈○○」となっている。

 

各王朝の年越しの時期はばらばらで、夏王朝は正月一日を、商(殷)王朝は十二月一日を、周王朝は十一月一日をそれぞれ一年の始まりとしました。

そして秦王朝は十月一日を一年の始まりとしました。

前漢の太初元年(紀元前104年)、「武帝」は司馬遷の書いた『史記』にもとづき、「夏暦」(現在の農暦)を復活させ、正月一日を「歳首」(年始)とし、この日を「元旦」に定めました。

「元」は始めで、「旦」は朝日であるから、「元旦」とは一年の第一日目の朝ということです。

上のように、古代の各王朝の年の始めはまちまちで、王朝が代わるごとに月のならびを改めなければならなかったため、改めた暦の最初の月を、正しく改めたのだという意味を込めて「正月」と呼ぶようになったそうです。

踏みしめた足が地に付けた跡。

足が止まることから、止まる意

正 = 一 + 止 

「-」(目標となる線)+「止」(足)。目標に向けてまっすぐ進むこと。「征」の原字。

一は目標線。足が目標線めがけて真っ直ぐ進む→真っ直ぐである→ただしい

 

したっけ。

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コメント (16)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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