築地市場 -クロニクル1603-2016
福地 享子著 築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第4章 激動の昭和
この本では築地市場の始まりは関東大震災後から3ケ月経って1923年12月1日から市設臨時東京魚市場から始まると言う。この 大正12年の3月に中央卸売市場法が出来ていて、東京市としては何とか市場関係者を説得しようとしたが、新旧の業者の思惑から様々な騒動を詳しく書いてある。結局日中戦争が激しくなると対立している間も無く、統合縮小化し、配給物資に集積所となってしまった。
今回の築地の豊洲移転騒動の後ろに隠れていた中央卸売市場法の改正があって2021年に施行されたが、市場をめぐる取引が量販店の興隆に従い、生鮮卸売市場を通さない取引の拡大により、八百屋、魚屋が衰退し、市場の売り上げと取り扱い数量が減ってしまい、規制緩和の法案を検討している時期だった。従来の法律は小さな商店を対象としていたので、市場の荷受・仲卸の戦後の食料不足の時代の規制が残っていて、生鮮食品の要の市場を通過しないと違反だった。そのため経費と時間がかかり鮮度を重視する量販店が市場を通さない流通によって、取扱高が年々縮小になっていた。また量販店は廃業した市場経験者の目利き人を雇用し、品揃えも充実していった。このことは築地から豊洲へ行って,地下の汚染が在っても商材に汚染がないのは多くの品が通過するだけで、今の豊洲市場が物流センタ-化している証拠となる。今の中央卸売市場は非常時の食の流通の分配起点という立場であってそれなりの平時の資金援助と設備の災害に耐える施設が必要となっている。豊洲には防災の備蓄物質が確保されていて、付近の避難所計画もあるようだ。弱者保護の規制が量販店を市場流通から離れた結果、市場を通過すると時間と経費が掛かることを知ってしまった。
東京以外の中央卸売市場の仲卸は量販店の仕入れ代行のように思える。地方都市は売り上げも少なく、生鮮食品の目利きの人材が不足している。また仲卸が売り先が確保してあれば、廃棄商材が減る利点がある。するとセリが形式となり、相対取引となり、量販店の物流センタ-へすぐ出てゆく。深夜早朝の保冷トラックのエンジン騒音は市場だから黙認されるが嫌われる施設でもある。