年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地本2-2 築地市場年代史⓶

2021年07月07日 | 築地市場にて
2016年夏、小池都知事が豊洲の地下汚染の検証がなされていないので突如延期となった。結果は2年後に豊洲へ移転が伸びたので、追加を記事を加えた本となっている。

築地市場  -クロニクル完全版1603-2018
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第3章
魚河岸と大根河岸のル-ッ
築地の移転問題の底流には明治からの東京都(市)の都市計画があって、日本橋魚河岸の移転問題も業者サイドの事を書いている本が多いがこの本では明治政府の都市計画の中で魚河岸がどような位置にあったか理解が進む。明治東京の発展とともに日本橋魚河岸周辺の近代都市整備計画がドンドン進んでいた。井上薫の欧化政策もあって、銀座レンガ街のはずれに江戸の風景が残る魚河岸が存在しては欧米文化に追いついたということで不平等条約改正には目障りだった。これは築地市場の昭和の再整備・豊洲移転計画に通じていて、外国人観光客の増大で不衛生・温度管理の不備の市場は近代国家の首都の中央卸売市場として遅れすぎていた農林水産省と厚生労働省の人たちは見ていた気がする。
90ページ
 明治22年に(東京市区改正設計)と取りまとめたのは渋沢栄一で今の首都高速箱崎付近が最初の魚河岸移転候補地だった。日本橋魚河岸の周囲の土地は近代化で発展していたが結局まとまらす、関東大震災を口実として、築地に移転させられた。平成の豊洲移転計画も政治家と行政の思惑で進んでいたことが、豊洲の地下汚染の問題から移転経過が解明された。しかし根本問題(築地の取扱高の減少)が解決していないので最後には政治家のタマムシ色の発言で移転反対派はごまかされた。コロナで跡地再開発案はだましたことがはっきりとするだろう。
92ページ 板船権をめぐる新旧の対立
 板船は3尺x4尺の木製の雨戸のようなもので、日本橋魚河岸の道路に並べ、商材をその上に乗せ販売していた。それが縁日の軒先を貸す権利となって、さらにまた貸しとなり不動産的権利となった。また板船権がなければ日本橋魚河岸の組合員の鑑札を持つことはできなかったようだ。この鑑札は築地の豊洲移転時にも残っていて、仲卸組合の決済の連帯保証の担保となっている。
魚河岸の諸制度は幕末の混乱を招き、幕府の衰退を結果として促進した天保の改革で破壊された株仲間の再建から調べないと理解が進まない。豊洲でも新しい規則が生まれている。そこには日本橋魚市場・京橋大根河岸の自治精神が残っていて、警察権力の介入は好まれていない。
 豊洲の入り口の警備の厳しさは外部の人間が入って不祥事を起こすことを防いでいる。毒物を入れるテロ。外部の人による不適切な動画など。いずれル-ルが整備されるまでの事だろう。今コロナで打撃を受けている豊洲市場だがオリンピックが終われば警備規制を緩める話も出るだろう。


コメント
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