年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

暑い夏は戦争が終わった月でもある

2021年07月27日 | 宅老のグチ
戦争前、漬物の仕事は軍隊と工場の寄宿舎等の需要がほとんどで、一般家庭にはそれほど需要がなくお金を払って購入することが少なかった。多くの家庭は女性が家の中で家事をしていて、漬物は金を出して購入するものでなく、自家製が普通でぬかみそ自慢もあった。都市の中心地にある住み込みの商店でも漬物は自家製が多かった気がする。
 戦後に軍隊という需要が消え、漬物製造業の存続がどうなったか気になっていて調べていたがようやく資料らしきものが見つかった。
 昭和18年9月23日 東京朝日新聞の記事で女子動員という記事があった。多くの女性が軍需工場に駆り出されるようになった。17の職種が男子の就業を禁止され、交代の猶予期間が短かった。
集金人・踏切番・エレべ-ター操作・行商・電話交換手・改札人・電車車掌・客引き・給仕・料理人・理髪師・荷物預かり等の仕事が強制的に女性の仕事となった。これが戦後の困窮期にも継続していて、都会で生活のため女性が働かねばならなくなり、自家製の漬物が減り、また働くことで所得があって購入することの罪悪感が消えた。
 今は共稼ぎが普通となり、自家製の漬物を作る人が減り、さらにス-パ-等の販売先が増え今に至る。それでも業界の数字は低迷している。かえって漬物業界以外の人たちが腸内で活躍する漬物由来の乳酸菌を宣伝し、大腸まで届く乳酸菌といって販売促進をしている。
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