京急で浦賀に行くとき、急行とか快速に乘っていくので途中駅の中に生麦駅があったことを気にしていなかった。横浜シネマリンという映画館はJR関内駅が近いのだがシネマリンのアクセスには関内駅と京急日ノ出町駅が記載されていたので日ノ出町駅経由で行くことにした。京急の普通電車しか日ノ出町駅は停車しないので普通でゆっくりと行くことにした。すると気が付かなかった生麦駅途中にあって暇な時に行ってみたいと思っていた。築地から東神奈川の横浜中央卸売市場に行くとき、国道15線の信号表示で生麦駅入り口が気になっていた。江戸時代の生麦の写真を開港資料館でも見たことがある。
予定のない日にネットで生麦事件を調べていて、記念碑がキリンビ-ル横浜工場付近にあり、さらに高速道路の橋脚の所にあることを知って、京急生麦駅で降り、適当に歩くが駅の付近には案内地図が無く、生麦が観光地でないことを知る。京急の踏切の所で立ち止まり左右を見るとJRの線路が見え、反対方向を見るとキリンビ-ルの工場の見学先表示があった。大きな通りに出ると国道1号線で生麦駅入り口という表示があった。そこでまた左右を見ると高速道路があって、キリンビ-ルの見学方向に向かった。生麦1丁目でキリンビ-ルの工場見学とレストランが見えて、そこで生麦事件の記念碑の位置を聞こうと考え進むとすぐに記念碑が見えた。記念碑の説明板を読むとどうやら最初に記念碑を設置した位置から移転したようだ。そこには旧東海道の道を表示してあった。キリンビ-ルは次回にして事件のあった場所へ歩いて進んだ。旧東海道の道は静かで大黒ふ頭へ行く道の交差点が昔漬物を海外に出荷している倉庫で通過したことを思い出す。さらに生麦3丁目で人に道を聞かれたが、単なる歩き人なので生麦4丁目の方向だけ教えた。すると魚屋らしき店があって横を見ると民家の所に生麦事件の写真があった。どうもその家が事件の所のようだ。さらに行くと生麦魚河岸通りというポスタ-があって11月23日に祭りがあるようだ。家で調べると江戸時代はアナゴの産地だったようだ。ふと首を振って周囲を見ると、羽田のような堤防が見えて向かうとやはり堤防だった。そこには地図があって鶴見川の河口の様で埋立地には高速道路と工場がみえ、川で高齢者が釣りをしていた。
生麦魚河岸通りは生麦4丁目から5丁目にかけて今でも数件の魚屋がある。こんなところで激減した単独の魚屋はどう経営維持しているのだろうか。道の先に高架が見えて鉄道が通っている。JR鶴見線だろう。下まで来ると暗いトンネルのようなところを入るとJR国道駅でここから乘って思ったが通勤時間で無いと本数が少なく、さらに時刻表も見えない。駅員もいるように見えない。線路の下の駅には店があるのだが誰もいない。築地市場の最後の風景に似ている。仕方なく線路添いに鶴見の方に向かっていったが想定した花月園総持寺駅ではなく、京急鶴見駅に着いてしまった。
11月5日に神奈川湊のイベントがあるのでその時に東海道神奈川宿をもう一度歩いてみたい。鶴見駅には東海道の痕跡があるが観光地化されいないし、する気もないようで、昭和の遺物が残っている。ビールと生麦の魚河岸通りで薩英戦争をしのぶことも良いだろう。もしイギリスが薩摩に負けたらどうなっていたのだろうか。アームストロング砲がまだ未完成でイギリス船上で暴発した。英国は勝てないで薩摩に被害だけを残した。薩摩にはカミカゼは吹かなかった。
東京港区高輪の味の素食の文化センタ-の側に英国公使館になる予定の高輪東禅寺 が薩摩藩兵士によって焼失した。遺恨もあったと思われる。

