年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高尾山で間も無く外出の時間が減ることを予感する

2023年11月09日 | 宅老のグチ
高尾山は新宿駅から1時間もあれば山の中腹の寺院にたどり着く。さらに30分も昇れば頂上に着く。海抜599M。家でスマホを確認したら10000歩も往復で歩いていない。もちろん坂道とか急階段もあって、休みながら登ったのだが辿り着いた。2025年になると団塊世代が75歳となって、国と地方自治体から日本国民から後期高齢者の通知が送られる。一応例外は無いようだ。
 そこで3つの区分に分かれる。住民税非課税人(1割負担)課税の人で現役並みの所得のある人(3割負担)にまず分けられる。そして団塊の世代が全員75歳になって新制度が始まり、2割負担が出来た。新聞記事で政府は少ない人だけが2割負担といっていたが、間も無く嘘が判るだろう。
 多くの医療と介護の情報は行政機関とそれぞれの業界から都合の良い情報をまとめ、記事とする。記事同士の矛盾に気が付いていても、言及しない方がインパクトがあると感じているようだ。
 何日か前の、中国で胃がんと漬物食べすぎの記事を書いた。自分の印象では中国医学会では胃がんを強調し、胃内視鏡検査やバリウムで胃透視検査を推奨しているように感じる。そうすれば医者は利益を上げられるし、見た目の治癒効果もあるように見える。百度の記事ではピロリ菌の事は書いてなかった。日本ではピロリ菌の保有している人が塩分によって癌の発生が増えることとなっている。しかしピロリ菌の検査は簡単で医者の利益は少ないと最近報道されていて、沖縄は漬物が少ないので胃がんが少ないと言っていた。沖縄は今は胃ガンは少ないが、築地市場で東京農大時の小泉武夫氏の講演があって、長寿沖縄が今では日本の43位に落ちた原因を話していた。沖縄は昔の食生活が、米軍の安価な缶詰食料が入ると、ラードたっぷりのゴ—ヤチャンプ―に変わり、高脂血となり、男性の平均寿命が下がった。さらに車が普及し歩かなくなった。
 秋田県の胃がんを減らすためには、まず県民の定期的なピロリ菌の保有検査を行い、保有者には除菌治療を行えば、胃ガンの発生数が減ると思われる。胃カメラやバリウムによる胃透視検査よりリスクは少ない気がする。
 秋田県は漬物県でもある。燻りガッコ等々のつけ物があって、県の指導によって塩分も減っているが県知事の頭の中は旧態の高塩分漬物ということが残っているようだ。今のセブンイレブンの漬物は低塩分で野菜を食べさせようとしている。

 コロナで3年の外出自粛で、動ける時間が減ったと感じる。高尾山後の今疲れて出る気が出ない。でも出かけないと新しい知見の発見が無いと思う。高尾山の山で階段の寄進者名で横浜との関係を知るとは思えなかった。もう一度川越の博物館で新河岸川船便の歴史を調べたい。漬物様な食品が文献には少なく、船の荷物のリストで流通していることを知る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高尾山に初めて登る

2023年11月09日 | 宅老のグチ
東京の観光地でコロナ前は築地市場より人気があった高尾山にいつか登ってみたいと思っていた。築地の豊洲移転が終わって落ち着いてみると高尾山行きが真だ済んでいないと気が付いた。高尾山なら紅葉だろう。最近の過剰観光の状況から、土日祭日は外さないといけないという。どうやら高尾山ケ-ブブルカ-が休日だ9時には待ち時間が発生するという。さらに東京の眺めを望むには晴天で無いといけない気がする。そうなると11月下旬から12月上旬までの土日、雨天曇天日を除くとチャンスは少ない。そこで七日の夜の天気予報で八日の朝に高尾山初登山の予定を決める。
 いつもの様に行きと帰りは同じコ-スは選ばないことに決める。京王線新宿駅から高尾山へ向かうのだが、あさは京王八王子駅行きが特急で北野駅で乗り換えることにした。北野駅で特急が止まると反対側に高尾山口行きの普通電車が止まっていた。JR高尾駅と乗り換えることのできる京王高尾駅でほとんどの乗客が下りて、ハイキング姿の人がJRから乗り換えてきた。午前9時チョット過ぎに高尾山口に着く。およそ150人ほど。ハイキング・登山服の人に付いてゆく。何しろ高尾山は初見なので地図を見ている暇はないのでそれらしき人に付いてゆく。雰囲気は相模大山ケ-ブルカ-駅に向かうことに似ているが、駐車場が少ない。やはり高尾山は京王電鉄の観光地なのだ。薬王院の参道の灯篭も京王電鉄の提供だった。
 さてケーブルカーの切符売り場で、リフトとケ-ブルカ-の料金は同じということは知らなかった。行きだけだと片道490円往復950円ということで往復を買い、9時30分発のケ-ブルカ-に乘ろうとしたら、封鎖されていてリフトに乗らされた。これは高所恐怖症の人はつらい。シートベルトが無いのでずり落ちる気もあった。スマホ撮影はしないほうが良い。落としたら拾えない高さと感じる。帰りはケ-ブルカ-と心で決める。上に着くと紅葉はまだでやや変色と言う状態。薬王院から上に向かい高尾山頂で富士山の大きさの確認。薬王院で寄進者の名前でとび職の人が多いと感じた。修験道かもしれない。奥の院で山頂まで少ない時間で行けそうだったので山頂まで一気に進む。山頂で東京の方を見渡すが視力が無いのでぼやけて見える。タダ図では東京の高層建物から埼玉横浜も見えるようだ。夜間は入れないので東京タワ-等のライトアップも見えないし、画像もない。高尾山山頂で西の方に行く人の後をついてゆくと、写真を撮っている。確認すると小さな富士山が見えた。雪が無いので、スマホの画像を拡大したら富士山だった。
 帰りに奥の院の階段の寄進者に魚河岸のマ-クがあって、見ると横浜金港青果とあった。確か金港青果は2022年秋に廃業したと思って、さらに築地の魚関係の名前と違うなと感じた。
 諸説あるカナガワの名前の由来で金川というのがある。川が鉄がさびたような色ということで金川という説から横浜金港という話が出たと思われる。神奈川区の金港町は「金川(神奈川)の港」「錦の港」からきており、 横浜港を意味する。 つまり高尾山は東京より(シルク)関係で横浜と繋がっている。開国時のシルクロ-ドの名残でもある。横浜線で八王子へ行き、八高線で高崎の製糸工場となる。明治日本の富国強兵の外貨を稼いでいた道だった。江戸時代の外貨の流出の道はシュガ―ロ-ドと言って長崎から京都宇治の黄檗山万福寺、江戸の大奥の和菓子となる。
 帰りのケ-ブルカ-では60%位の客が台湾観光客だった。高尾でJRに乗り換え、八王子で桑都博物館見学。八王子の観光宣伝で、高尾山、織物産業等々。消滅したシルクロ-ドは高尾山寄進者名に残っていた。
 高尾山ケブルカ-はペットをかごに入れれば山頂まで行ける。また夜間に行けたらと思うが寺院ということで残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする