年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

かながわ湊フェスタへ行ったけど

2023年11月13日 | 宅老のグチ
2023年の横浜市神奈川区の地域ィベントにいってみた。
滞在時間は5分。普通の地域のイベントでやはり住んでいる人が少ないと感じた。JRと京急の東神奈川駅に近い神奈川公会堂で開催されているのだが線路で街が分断されている感がある。線路で隔てられているので一体感が薄いように感じる。特にJRより海の方は昔は埋め立てが無い時は人がいないと思われる。つまり寺院が無いということになる。神奈川宿の事を調べていた時京急の線路に付近しか寺院が無い。
 神奈川湊は江戸時代の内海船の寄港地だった。図書館で神奈川区の資料を探したら、神奈川区の観光地図があって、京急神奈川駅付近が神奈川湊でその中心は小さな滝の川のようだ。その川の両側に神奈川条約の外国領事館の跡が残る。つまり神奈川条約で認められた領事館の地は今の横浜の関内地区ではない。

 JR桜木町駅に近い所に神奈川県立歴史博物館へ再度訪問し、そこで図書室の方に神奈川湊と高島嘉右衛門の事を聞いて、冊子をいただいた。建物自体が歴史的建造物で震災・戦災に耐えて今に残る。
 その後、JR横浜駅に戻り、青木橋という所まで歩いて行った。青木橋の所は京急神奈川駅があって、今から見ると谷のような地形だが、実際は神奈川湊と高島台まで続いている土地が明治の鉄道工事によって、土が削られ、谷となった。この工事の写真が県立歴史博物館で出してもらった本に載っていた。一見すると埋め立てに使いやすい土砂のように見えた。
 京急神奈川駅から高島台の方を見ると、寺院があって側に行くとアメリカ領事館の跡だった。寺の中に入ると日本の塗装業界の碑があって、説明によると西洋式塗装(ペンキ゚)のはじまりがこの寺院を白く塗ったことから始まるという。
 高島台地の上に高島嘉右衛門の家があったようで、そこから埋め立て工事の進み具合を見ていて、指図していたという。台地の上に高島山公園があって、望欣台の碑というものがある。この碑には日本初の鉄道建設の埋めたてに付いての嘉右衛門の業績をたたえている。気になるのは欣という言葉で戸田欣堂の事を暗示していたのだろうか。戸田欣堂もこの高島台に住んでいたという文献をみた。戸田欣堂は高島嘉右衛門の姉と大垣戸田家の側室で藩主の子を産み、その子が戸田欣堂となった。日本文学史では最初の政治小説を書いた人と言われる。

下の写真は京急神奈川駅から見上げたところにある曹洞宗本覚寺の山門前から写した写真で、下の道路は国道1号線青木橋付近。京急と国道の間の線路はJR東海道線で横浜駅の手前となる。反対側の木立と本覚寺の間を削って、鉄道開業の道路の土とした。
 木立の海側は神奈川湊の祭神・須崎大神と思われる。境内に大きな檍(あおき)の木があって、青木町の由来となった。「檍」が意味する植物としては、「モチノキ・カシノキ・アオキ」 洲崎大神の寄進者を調べると、横浜中央卸売市場の関係者が占める。神社からの参道の先に船付き場があって、異国人居留地と神奈川宿を結ぶ渡船場だった。イメ―ジ的には長崎の出島だろう。
 写真の位置は13階くらいの高さで、かなりの量の土が運び出された。
 
コメント
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