日本の白菜の異変でテレビで嘆いている農家を見ていて、同時に中国のネギ農家が価格の暴落を嘆いていた中国の報道を見ていた。日本ではあまり見かけないがネギの農産加工は中国であるのだろうか。
日本の昭和の恐慌はアメリカの昭和4年10月に始まった世界恐慌が日本には昭和5年にやってきた。第一次大戦のバブルの処理が終わらない時に関東大震災が起きて、社会不安が継続されていた。深刻なデフレは都市に出稼ぎに行った人が都市に戻ることが出来ず、農業に専念した人もあった。ちょうど日本が恐慌状態に入った時、農業は天候に恵まれると収穫が増す。通常より多くの農業労働者があると生産が上がり、2年ほど過剰になったコメ価格が下落する。そこで都市周辺の自治体は農産物の消費地であるところに出荷を促進する政策を行う。そこに鉄道と自動車輸送というものが徐々に目立ち、大八車や船で生鮮食品を輸送している時代が変わった。いま高輪の物流博物館で開催されている汐留の歴史はその変遷を知る。鉄道輸送による生鮮食品の変遷も知る。地方の農家の状況を知っている役人は東京へ農産物の出荷を狙うが、距離というハンデがあって、漬物加工を揃って参入した。不正競争がおこり、中央卸売市場法に漬物が取り扱いの品となった。それは軍隊需要の要請でもあった。
テレビ等のマスコミ報道は物価高をいつも非難するが、漬物世界にいた経験から農業はギャンブルに近い仕事と思う。つまり農家は自分では農産物の価格は決定できない。あくまでも予定価格であって、収穫して初めておおよその結果が解かる。そのためのシステムが出来ているがあくまでも予想なのだ。多くの資本家が農業に進出し、結果的に成功している会社の歴史を見ると堅実な営業をしつつ、放漫経営の会社を安価に買収し、競争を抑え、過剰になりそうなときは安売りせず、廃棄して農産物価値を維持することにたけていた。そして一品に投資を集中することなく、リスクヘッジと投資地域の拡散を行っていた。この辺りは世界の穀物企業の歴史を知るとすさまじい。
中国のネギ農家の価格の暴落で嘆いている報道を見た。あの姿は日本の昭和恐慌を思い出す。中国は建設業の不況に入っている。政府は道路、鉄道の公共投資でGNPを増やしているが、不動産バブルと公共投資のいきわたりで、採算の合う投資先が少なくなっていて、工事を担う農民工と言われる出稼ぎ人が生活費の少ない地元に戻っている気がする。しかし戻っても仕事はないので農家をするしかない。すると農産物が生産過剰となって、価格が暴落する。
昭和恐慌の日本に似てきた。その後の展開を知る身では結局日本は大陸進出し、戦時需要の拡大と、軍隊徴集により、過剰労働力が消えた。
今のロシアは戦時需要の拡大で5.5%の高成長という。