10月19日
東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル33階の平和祈念展示資料館で台湾生まれで国籍は台湾で心は日本人という呉正男さんの数奇な先の戦争話を聞いた。何度の取り上げられている人で今の台湾と中国の関係で気になって行くこととなった。それを教えてくれたのが叔父たちの誠204飛行隊に関しての不思議なメ―ルだった。この対処の仕方の相談を持ち掛けたら19日の会を教えてくれた。
2時からの講演で早めに都庁駅前駅に着いたので久しぶりに都庁の展望台へいった。1階のエレ-べ-タ前は休日で閑散としていた都庁の中で行列があって見ると列の最後を探し並ぶ。徐々に進んであと少しの所で簡単な荷物検査、見ていると2台のエレべ-タを調整しながら、運行している。一回の人数を数えると15名位。およそ7回ほどイモムシ歩きで45階の展望台に着く。南館は初めてで今までは北展望台だった。晴天で真っ白い富士山が見えた。タダ筑波山だけが探しても見えない。どこからのビルが展望を邪魔していたとおもう。
早めに展望台を降りて、時間を見るとまだ1時間もある。そこで新宿中央公園で暇つぶしで30分。まだ紅葉の初めで子供連れが遊んでいる。この平和が叔父たちの功績と思いたい。早めに平和祈念展示資料館へ向かい、会合の席の会場に行く。席は殆ど残っていないので開いている席に座る。
2時丁度に呉さんの講演が始まったのだが司会者の話でユ-チュ-ブ動画で同時放送のようだ。これなら行く必要はないと思った。96歳の呉さんは少年飛行隊に応募したようだ。しかし年齢ガチャで生き残った。さらに運と適切な判断で日本に残ったこともある。台湾人で日本語しか話せない人がソ連の抑留後にどこに帰属するかで台湾・中共中国と日本を選択する判断で日本を選び生き残った。中共中国を選んだ人の連絡は途絶したという。
呉さんはグライダ-の飛行で特攻する予定だった。話を聞いていると無謀な計画とわかる。大型飛行機によってけん引して木製のグライダ-で米軍を狙うのだが木製のため新幹線のスピ-ドより遅い時速160Kしか出せないという。それ以上の速さはグライダ-が壊れる。叔父の乗った一式戦闘機隼は最大速度時速500Kで米軍の戦闘機でも同程度あったのでとても沖縄に着きそうにもない。滑空飛行でどこまで行けると思っていたのだろうか。結局今の北朝鮮で終戦となり、もたもたしている内にカザフスタンへ行ったという。ここはシベリア抑留でも生還の人が多いという。それでも60Kの人が戻ってきたとき40K台という。
生き証人の記録と記憶は戦後80年にもなるので記憶の混同があるようだ。あと数年で生き証人の講演会が終わると思う。特に生存率の少ない男性が100歳をこえ、記憶がしっかりしているとは思えない。しかし呉さんの講演で戦争の事実を伝える意思が生きる希望の様に思える。
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