年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

埼玉県は水害の多い県と実感する、関東のへそ地に立つ関宿城博物館

2023年11月16日 | 宅老のグチ
昔の葛飾郡と言われたところが水害の多い所だった。このことを知ったのが千葉県流山市の郷土資料館でもらった水害の冊子で知った。葛飾郡は東西南北の中で西葛飾郡の印象が薄い。南葛飾郡は今は東京都になる。京成四つ木駅でキャプテン翼のマンガの絵が多数あって、この地が作者の出身地から。来ている。南葛scで記憶に残り、区名で葛飾が残る。南と北の葛飾郡は昭和21年9月のカスリ-ン台風で利根川中流の栗橋付近で堤防が決壊した。一応は台風の大雨で決壊したということで知られているが、房総沖を通過した台風で雨台風だった。栗橋から旧南葛飾郡へ濁流が向かった。つまり水没地域は古地図の川の流れを示していた。今の千葉県になる東葛飾郡も水害があったのだが、東京都と埼玉県の被害報道が記憶に残る。
 昔と言っても10年ほど前に、利根川と江戸川の分岐点にある野田市関宿三軒家のス-パ-堤防の上に作られた関宿城博物館へ再度訪問した。この城は江戸時代にあった関宿城と位置は異なる。コンクリ-トの城の4階から四方を見渡すと関東の中心ということがわかる。関東の起伏の模型があって、春日部市の所が関東平野の中で比較的に低いことがわかる。関宿から江戸川を下ったところに、埼玉県春日部市庄和排水機場があって、そこに地下神殿と言われる首都圏外郭放水路が設置され、水害を減少させている。そこで知ったのだが栗橋から南葛飾の方へ水が流れるのだが江戸時代の利根川と江戸川の分離工事の無理が残っていて、小河川の方が大河川の利根川と江戸川の水位より低いことから氾濫すると、大河川の水が引くなるまで自然排水しか出来ず田畑が長期水没し収穫が消えることとなっていた。埼玉県の財政を水害復旧工事が圧迫していた。災害復旧工事のため教育予算が少ないと埼玉大学教育学部百年史に記述がある。
 関宿城博物館は利根川東遷の歴史を知る博物館でこれを知らないと関東の水害史と水運を知ることになる。水運を知ると産業と知識の移動も知る。
 洪水の対策とその工夫、河川改修と利根川の蛇行による沼地の干拓、利根川と江戸川を利用した水運。そこから生まれた産業。醤油、みりん、酒、たばこなどの様子も見える。
 地球のの温暖化によって、海水の蒸発が増え、雨の量も増える。天気予報の精度が上がり、水害の予防のために貯水池の事前放水もこれからあるだろう。
コメント
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