年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ヨ-ㇿッパで戦争寸前まで行っているので

2022年03月16日 | 宅老のグチ
日本の先の戦争を様々な歴史学者が研究しているが、多くの人は日米開戦に一直線に向かったのではなく、今のウクライナの戦闘のように抵抗する中国人民によって日本の満州陸軍部の意図が変化した様だ。
立身出世の社会史  -サムライからサラリーマンへ
E.H.キンモンス著  広田 照幸[ほか]訳 
 この本は明治の初めの立身出世競争のことで読んでいて。後半の昭和の時代は読み落としていた。
 昭和不況の後、満州で陸軍が暴走すると、軍需産業が活発化し、大学生の就職難が一時的に消えた。昭和12年の頃という。
 1930年代の日本の高学歴学生は満州国の成立時期には就職不安が消え、従軍に対する兵役期間が短い等の恩恵しかなく、1960年代のアメリカの学生は好景気の中だったので、ベトナム戦争は不安を増すだけだった。
 戦前の満州の新興企業へ多くの学生が就職した。この就職を断った学生の記録が見えない、少ないと著者は書いている。
 今多くの日本企業がロシアのウクライナ侵攻でためらい、遅れて制裁に参加した。まだ日本は営利の方が優先でやせ我慢の考えで会社は運営されていないと感じる。そこには日本の学生の思惑があって人生を就職によって決めること。親も大学も卒業内定していれば卒業させる。良い仕事があれば退学することとは違う文化がある。それだから幕末の脱藩は記録に残る。下層民は結構お伊勢参りで見聞を広げているが武士はそうでもないようで、勝海舟の父小吉も見つかって処分された・

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お財布金融機関は郵便局か

2022年03月15日 | 宅老のグチ
日本全国の地域の漬物業者と付き合うと、個人の金融機関では財布代わりになるのが郵便局だろう。ただ融資等の問題は地域の金融機関の利用が多く、農協系が目立つ。郵便局に貸し金庫があったら、家の中が安全になる。
 築地市場の時は、青果信用組合だったが、破綻し出資金10万円損金処理をした。この破綻原因は八百屋への融資の返済が焦げ付いた例が多く、会社としての感覚は交際費であった。その後城北信用金庫が引き継ぎ、葛西青果市場と築地市場に店舗が出来たが、何かおかしい規則があって、城北信用金庫の店舗の案内板が新大橋通りに出せなく、何か一般人が取引できない雰囲気だった。さらに当初はキャッシュカードで出し入れする機械もなかった。ある程度時間が経って、店舗内に機械が入ったが、そこに行くにはシャッタ-の空いている午後3時までの営業時間に行かねばならなかった。この設備投資の節約は豊洲移転の時に解決し、今はゆりかもめ線市場前駅に一番近い道路に面している場所なった。今は築地4丁目に城北信用金庫中央支店があって、そこを利用しているようだ。あと20年も経てば、豊洲市場内の金融機関で一番目立つだろう。
 他に水産系の小規模事業者の金融機関として江東信用組合 豊洲支店、みずほ銀行東京中央市場内特別出張所と郵便局がある。いまは豊洲場外の金融機関が増えてきているが、地下鉄が開業すればどう変化するだろう。

 どんどん築地市場の話が消え、そのうち大江戸線築地市場がその名前の由来が場外市場となるのも早いと感じる。そのうち築地周辺の新築ビル名が外銀座となることもある。
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早咲きの桜が

2022年03月14日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
ある寺院で早咲きの桜がほぼ満開で、参詣客がスマホで写真を撮っている。テレビの天気予報に桜の開花情報が頻繁に出てくるようになった。東京の標本木は同期の桜の靖国神社で19日という。昨年もこの時期の終盤に桜見物がどれほどかを見に行くと、お堀に散った桜が花筏だった。あれは戦地で散った魂がまだ未練があって。毎年のように過去を思い出される。知覧では蛍が戦士の魂を意味するという。
 桜は散った後に隠れていた若葉の薄緑に代わる。そして数週間後の濃い緑となる。しかし特攻で死んだ青年は青々した緑になることもなく、薄い赤、桃色の花びらを運命の風ではかなく散った。音もなく散るのもある。多くの不同意の死の上に今日があることを長い平和が忘れさせる。
 今の危機感はいつでもどこでも今は戦場になることを知った。

 世界標準は政治権力の及ばない世界で支持される宣伝価値が生まれる。そこには薬物は嫌われ、宣伝価値が消える。2022年パラオリンピックの宣伝価値は結局コロナとウクライナで消えた。
 宣伝にはその表現に創意がないとパクリと言って嫌われる。そこで悪意のある解釈されると市場が広まらない。今は13億人台の中国もいずれインドに抜かれる。インドは多様性があってそれなりの面白さがある。若い国は消費が活発で老いた国は消費が緩やかとなる。もう物欲が消え、新しいスマホも機能が素晴らしくても、電池の問題が出るまで替えない。慣れた昔の携帯の使用者は年寄りとなる。
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沖縄伊江島での救急隊飛行機事故で

2022年03月13日 | 宅老のグチ
沖縄の伊江島で飛行機事故があって、ベテランパイロットが2名亡くなった。救急隊員で訓練飛行という。そこで伊江島村のHPを見ていて、昭和20年4月16日からの一週間で伊江島での米軍との戦闘が終わった。初日の米軍の攻撃で先の沖縄戦で島民犠牲者の半数が死去したという。4月18日米軍の著名な従軍記者が降伏してきた女性の背後から攻撃され死去した。このアー二-パイル慰霊碑は伊江島の観光地としてはあまり紹介されていないようだ。どのような心境だったのだろうか。日本の本土から来た軍人と戦後の米軍との両方に伊江島で生き残った住民の不満がある気がする。地理的には沖縄は東アジアの中心地で軍事拠点となっている。
 沖縄本島の本部港から9Kの距離で船で30分という。島の中学生は高校には沖縄本島に行き、ほとんど戻らないという。伊江島の先の戦争は沖縄戦の陰で注目されていないと感じる。沖縄本島での非戦闘員の死去比率では伊江島の方が多いと感じる。叔父らの台湾からの特攻隊は伊江島の物資を運ぶLSTに攻撃したのは5月20日であの写真(特攻で炎上し伊江島海岸に突っ込んでいるLST808)はどこから撮影したものだろうか。なにか小高い山から写したように見える。
 叔父たちの攻撃は今の伊江島の人たちはどう思っているか気になる。戦争というものは生き残った人にどのような話が伝わるのだろうか。
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戦前昭和史を理解するため

2022年03月12日 | 陸軍特別操縦見習士官1期

教養としての「昭和史」集中講義  -教科書では語られていない現代への教訓 井上 寿一著
 父実家への里帰りで見た写真から知らなかった叔父の特攻行きから関東大震災後から終戦までの叔父の短い人生を理解するには良い本と思える。学校教科書ではここまでは理解できないと思える。今の政治より戦前の方がましな政策を提言していた気がする。
 政府の反対攻撃で対案のない、さらに国民に対して不都合な政策を提言することが出来ていない。金をばらまいても貯金に回って景気浮揚につながらない国民心理を解明していない。

 消費税を大幅に上げ、所得税と法人税で調整する政策を提言する政党はないのだろうか。多くの政党は増税が苦手で、国民の政治不信の基本は支持者へのバラマキ情報しかない。今の知識ある高所得者は節税知識が豊富で、余裕資金のない人たちが、節税の知識がなく搾取されている。放置した故郷の家の維持費で苦労している人が増えつつある。衰退する地方の墓地も維持できず、都会に墓地を移転しようとすると墓じまい等の費用が多大で墓地も負の遺産になりつつある。寺院も少子で必死であるが無住寺や無住神社も増えるだろう。昔よく見かけた子供神輿を動かすことの出来る町は今後も減るだろうし、助っ人子供の出番でもある。そのうち派遣の子供祭り要員も出るかもしれない。すべては親の郷愁に過ぎない。


 母の弟が中国大陸の中央で戦病死した。招集され間も無く栄養失調により、病気にかかり死去した。中国大陸での鉄道網警備の兵隊であった。この作戦は一号作戦と言い、南方から物資を運ぶ鉄道の警備だった。米軍が飛び石作戦でマリアナ群島の飛行場から直接本土攻撃をするB29爆撃機が飛来して、作戦の目的は消えた。先の戦争では多くの日本人兵士が亡くなったが、人数的に多いのは餓死、病死、輸送船の沈没等によって多くの人が亡くなった。実際に戦闘死した人は少ないと感じる。日本の作戦本部の人命軽視が気になる。海軍・陸軍の士官学校を出て、軍隊内の階級上昇闘争で、一般市民は兵器を動かす動物でいくらでも召集令状で来ると思っていたようだ。下級兵士でも育つまでに時間がかかることを知っていたのだろうか。
 ウクライナの戦争はロシアの兵士の心の痛まない兵器の使用が増えてきた。これでは戦後処理が長引きアフガンでソ連がタリバンに負け、ソ連が崩壊した。同様に日露戦争で奉天の戦いの後、和平となりロシアは第一次大戦終了間際の1917年2月革命で帝政が終わった。そのあとの西欧の権力闘争が複雑で西洋の情報収集が日本の思考で判断し、敗戦に向かう方向になったということが井上先生の本で良く理解できる。戦前の国会の方が二大政党の力量があったが、ただ軍隊が制御できなかようだ。統帥権の解釈が難癖と今でも思えるが歴史ではよくあることで、京都の方広寺の大仏の梵鐘の文面で豊臣が滅んだ。
 今は親ガチャの時代で、特に日本は分断されていて、才能のある人が貧しいゆえの能力が発揮できず、戦前は師範学校と士官学校が残されていた。





戦 
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夢で見たウクライナ戦争の終結

2022年03月11日 | 宅老のグチ
うつらうつらして隣の韓国の選挙は関心がなかった。どうせ野党の候補が勝っても、議会の多数派は妨害するだろう。共産圏に色目を使っても、コロナとウクライナ戦争では立場が弱い。儀礼的な挨拶を日本は韓国とかわすしかない。
3.11の日でも10年過ぎれば記憶が薄れるが、ネットに上げた当時の日記は先の見えない不安を感じる。
 ウクライナの戦争はどうやら簡単にウクライナが敗北するのでなく、ゆっくりと負けて、勝敗不明でどちらの陣営につくかどうかの段階に来たようだ。報道ではロシア側の悪行が目立っていて、中国の百度ではロシアのように情報制限がなく、コメントはウクライナ寄りが目立つ。ジョ-ジアへのウクライナ中国人留学生の脱出は中国政府のミスだが追及のコメントもない。ロシアがウクライナを攻撃するというアメリカの情報を無視した。
 中国もそろそろ勝馬に乗る方向に向かっている気がする。先の戦争のヤルタ会談のようなものがあってもおかしくはない。休戦後のロシアの資源でどうウクライナとヨーロッパの平和と保つという秘密会議が始まっているかもしれない。ロシアの弱核武装化と原油と天然ガスの利益をウクライナ復興資金とし、中国へのあっせん土産として、沿海州とウラジオストックを中国領土とする。日本への協力金として北方領土、さらにサハリンは米英と共に共同統治でLNG権益確保する。中国も加わるかもしれない。これは第一次大戦後のパリ会議に似ているものになるだろう。ロシアを弱らせる戦争はウクライナの人たちの犠牲の上にあって、すでにフィンランドのようにNATOに懐疑的な国も加盟に向かいドイツも軍備増強に向かっていて、軍需産業はプ-チン特需と言える。ロシア人民は高くなったウォッカでやけ酒。

 そして兵器の進歩で実験するのはアフリカや中近東の途上国となる。戦争は慣れの世界で爆弾の音もなれれば目覚ましとなる。今度の戦争で小型兵器の効果が出た。隣国のポ-ランド上空で監視している飛行機でウクライナのレ-ダ-が破壊されても、情報がウクライナに伝わっているようだ。日本も地震でネットが遮断されるがこれから軍事面で防御のレ-ダ-が破壊されても敵の飛行機情報が伝わる方法が見つかるかもしれない。平和ボケの日本はまだ念仏で蒙古のカミカゼが吹くと思っているようだ。日本の原子力発電所は海に面していて、制御不能の攻撃を受ければ、永久に太平洋は死の海となる。あれだけ福島の汚染水の危険を煽った中国は通常兵器で攻撃するしかない。台湾も同様で原発攻撃は日本・中国の太平洋漁業の破壊となり、肉のアメリカを利することになる。今度の戦争で勝ち組は南米の穀物国だろう。特にアルゼンチンが良いと感じる。
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負け戦と知りつつ 命を捧げる

2022年03月10日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
父の写真帳に違和感のある集合写真があって、それが父とどのような関係があるのか不明だった。中央に座っている人を含め、何か学生の団体写真で前列の人はしかめ面をしていて、後列の人の中ではある人は酒瓶を振りまわしたりタオルを首に巻いていた。何か無礼講の雰囲気があった。この写真は出版されていて(14歳の夏)の本に誰だか人物が特定されている。
 2020年7月4日にこの写真が夕方の日本テレビに映し出された。あとで番組情報を検索すると、ある女性が台北の特攻隊員の宿泊施設を訪問していたようだ。
 その後1年ほど経って、ようやくその人とメ―ル交換まで来たが、コロナ下でまだ直接にあったことはない。でも彼女は高齢のユ-チュ-バ-で画像で見ることが出来るので気分的にはあったことになっている。この写真のことで詳しく情報が得られ、撮影した日時は昭和20年5月15日台湾の陸軍施設の多い花蓮港の新川という料亭のようだった。彼女によれば、5月20日の特攻が決まり、惜別の宴会だったようだ。5日後に沖縄に向け台湾陸軍八塊基地から夕方に出撃し、日没頃に嘉手納沖で知覧から出撃した振武隊と合流し、米軍の記録に残る戦果をあげ散華した。花蓮市は台湾東海岸の沖縄よりの都市である。
 
 ウクライナの急に戦闘員になった人たちの、画像に残るコメントは悲壮感を出しつつ、自分の命を残された婦女子のためという想いが伝わる。

 叔父は23歳の命を日本の子供ために使ったという気持ちが写真から伝わる。埼玉師範学校(今の埼玉大学教育学部)に進学し、昭和18年9月30日の埼玉新聞報道では今の埼玉県越谷市の大袋小学校に辞令が出ていた。戦地に行っていた時、小学生の慰問文が生家に来ていたという。親族の話ではほんの少し小学校の教師をした様だ。軍歴では昭和18年11月から始まる。学徒出陣組と同じ。普通の陸軍特別操縦見習士官一期生の軍歴は10月1日から始まる。叔父はひと月遅れた入隊だが同期扱いされていた。

 ロシアとウクライナの圧倒的な兵器の差から、負け戦を知りつつ、命を使って未来に希望を託したという想いのコメントが残る。これで叔父の顔色が爽やかな表情だった意味をウクライナ兵士のコメントから知った。
 間も無く台湾からの忘れた特攻出撃とその後の特攻に参加できなかった人の本が台湾戦争史の研究者から出る。そのきっかけを作った自分の家族は叔父に対して慰霊したと思いたい。
 落ち着いたら、台湾と沖縄の嘉手納の自衛隊基地で第204飛行隊 (航空自衛隊)なので隊員の食堂で福神漬をたっぷり添えて想いにふけたい。叔父の陸軍飛行隊も204だった。その後LST808が被災した伊江島で小石を拾い、叔父の墓に埋葬したい。LST808は硫黄島に参加した船だった。
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遠くの戦火も風下には臭いが来る

2022年03月09日 | 宅老のグチ
どうやらウクライナの戦争は長引き、ロシア兵の新規の兵士は傭兵のようだ。シリアで実践しているので手ごわいと思える。何かロ―マ時代の傭兵同士の戦争になりそうだが当然ウクライナの穀倉地帯は小麦等の生産地でさらに黒海とバルト海海運封鎖もあって、ロシアの農産物は極東しか輸出できないし、鉄道ですべてを運ぶことにはならないと思える。
 軍備を減らしていたウクライナに平気で攻撃する国があるとは念仏で蒙古を撃退した時代と異なる。
 核武装はとにかく使えない兵器でやはり侵略には対抗するにはゲリラ戦しかない。国土に資源のない日本は占領しても支配しにくい国民かもしれない。いずれ侵略されなくても毎年80万人ほど減っていて、さらに裕福な国の人が観光地として一時的に滞在する。
 過去77年の日本だけ平和の成功で危機感のなくなった。日本国へ侵略する強国が出そうということを感じる。念仏より非核武装で軍事教練が必要と思える。ウクライナは教練していたようだ。貧弱な体形の北朝鮮も訓練は行き届いているのだろうか。
 映像による戦争の生中継はゲームの世界でなく、血が流れ理不尽な死者を見る。そこでも差別があって、これが今でもアフリカで続いていることを記憶にとどめる。アフリカ難民を議論しないで、ウクライナ難民支援の議論が早い。
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火中の栗を拾うこともある

2022年03月08日 | 宅老のグチ
江戸時代の刑事捜査で、自白が重要視されていた。そのため犯罪の供述がないと拷問することになる。その拷問道具が明治大学の刑事博物館に展示されている。西洋のもあるようだ。この拷問の手引書も明治以後に南町奉行の元与力によって本になっている。拷問を耐える人もあったようだ。特に女性は慣れるとすぐに失神し、それ以上の拷問に向かわない手口がしれわたっていたようだ。
 修験道では燃えた木のの上を裸足で歩いているという映像を見た。心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉を知っている。人間はある時は火の中にある栗を素手で拾うこともある。
 自己の尊厳を維持するために行動するのであって、強制に対抗する姿はウクライナの映像で見ることが出来る。今はスマホの時代で映像がアッという間に世界に広がり、虐殺隠蔽が難しい。監視カメラや衛星によって行動が把握されている。どうやらウクライナも北京冬季オリンピック後の侵攻で機を逸した様だ。天気の様子から凍結した農地が雪解けで肥沃な土地となり戦車の重みに耐えられず、舗装した道を行くしかない。60キロを超える戦車の渋滞は他の道がない。それゆえ先頭と最後尾を攻撃されれば進退が出来なくなる。窮鼠ネコを嚙むという言葉がある。日本は日清戦争で簡単に勝ち、中国人民を甘く見て、敗戦国となってしまった。愛国心はどこにもある。道義のない戦争は敗戦に繋がる。アメリカの戦後の戦争の敗北史は無理な戦争だった。

 原油が上がって、与野党の政治家が物価の上昇を懸念しているが、ガソリンの値上げで消費を抑制しないとロシアの戦略に負ける。今の日本の政治家はガソリン価格の上昇を得意先に転嫁できないことを優越権の乱用ということで取り締まる方針を示すべきだろう。戦争が長引けば遅かれ早かれ物資は不足する。
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書評を見て面白そうで借りた

2022年03月07日 | 宅老のグチ
もう次の予約者がいるので、いつもの通り前書きとあとがきを読んで、さらに面白そうな表題を読んで、お気に入りの本として登録する。多分3ケ月も過ぎれば予約者も消えるだろう。
アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?  -これからの経済と女性の話-
Marçal,Katrine著マルサル,カトリーン  高橋 璃子訳2021.11 


この本は経済における女性の労働価値の本のようだが、ちょい読みの自分にとって、ロビンソンクルソ-の話が経済学者に好まれていることを知った。その理由が解かりやすく書かれていた

 日本の天保の改革での株仲間禁止と、異国船打ち払い令の発動から中止になってさらに再発動の検討の議論の研究が欲しい。さらに嘉永2年頃からの幕府上層部で経済振興のための株仲間復活と、物価制御の検討がどう議論していた嘉永年間事情を知りたいが、一部の情報漏れで株仲間の新規の申し込み騒動があったようで、幕府上層部の情報操作が行われていた気がする。この辺の研究は個々の商売の株仲間の研究は次第に明らかになっている。
 築地市場の移転問題で、魚の仲卸組合の源流が株仲間の再興辺りと考えていて、気になっていた。個々の株仲間は記録が残っていて、一番詳しいのは書籍商の仲間研究だろう。漬物は一番遅れていて、缶詰の方から組織化されたように思えるが単に記録がなかったということかもしれない。

女性の労働価値の問題を考えている時、アフガンのタリバン指導者の意見がニュ-スに出ていた。最初にタリバンがアフガンを支配した時、世界と言っても欧米は無視していたが9.11のテロでタリバンがテロの指導者を匿ったため、アメリカの関与が長引いた。アフガンは地下資源に魅力がなく、ただ交易の交差点のようなもので、飛行機の時代では無視しても良いとアメリカは思ったようだ。
 アフガンの女性問題は食料確保の問題につながる。中国の関与はどうなるのだろうか。アメリカと中国の経験値は中国の方が勝ると思うがウイグルの問題で金をとるか宗教を取るかが気になる。
アメリカの御都合主義で日本は過去振り回され、バブル時に米国に投資した資金は暴落した。今中国人の方がアメリカの本音を知っているようで、対処の仕方が研究に値する。中国の女性問題で政府の10人に上層部の10人に女性はいないし、さらに若者もいない。やはり長老を重視するアジアの制度かもしれない。
アメリカ流の経済成長が止まり、中国の高成長もアメリカの欠点と日本のバブル崩壊後の失敗を研究していて、前例があって方向が見えていた。ある程度国民が豊かになると価値の基準が異なってきて、商業の方が優位になるが、物が豊富となれば政治で統制するのは難しく、愚民化政策しかない。

 長生きのリスクが女性問題から、終わった人の問題となる。それでも人はいかされる。
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チョット思った知覧の慰霊祭

2022年03月06日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
特攻隊員の遺族となって、15年程なのであの慰霊祭に行事はいかなる性格なのか不明で、一時は1036人を利用した観光行事と思うときもあった。このようなことを誰かが裁判沙汰を起こしているはずと思い検索するとやはり裁判屋さんがいた。最初の訴訟の判決で、原告人の人が一時的な訴訟のための住所と判決文の中に書いたあった様に思われる。

判例時報1983年 4月11日号 昭和58年4月 通巻1068 判例時報社 
箕面市慰霊祭違憲訴訟第一審判決 大坂地裁1983年3月判決

 箕面市忠魂碑訴訟(最高裁判所平成5年2月16日) 


(事案)


箕面市は、大阪の高度成長期に急激に人口が増加しました。そのため、箕面小学校でも生徒が急増し、一方で、校舎が老朽したため、校舎の増改築と校庭の拡張を計画しました。


箕面小学校と柵で仕切られた市所有地に戦前からの忠魂碑がありましたが、この忠魂碑を移転し、その土地を小学校用地として使用するため、箕面市は、移転のための土地を購入し、そこに忠魂碑を移転・再建しました。これが、憲法20条3項に禁ずる「宗教的行為」であるとして問題になり、経緯を含め、行政の長の参加についての公費の是非についての裁判となりました。


また、忠魂碑を管理していた遺族会は、毎年、忠魂碑の前で神式仏式による慰霊祭を行っていましたが、この慰霊祭に、市の教育長が参列したことも問題になり、これに対して給与を支払ったことは、憲法20条1項後段、89条違反が禁止する「宗教団体」または「宗教上の組織・団体」への特権付与であり、公金等の支出にあたるとして争われました。


(判決)


(1)土地購入・無償貸付・移転・再建の20条3項違反について


政教分離規定というのは、信教の自由を間接的に保障するための制度を保障したものです。政教分離原則は、国と宗教のかかわり合いすべてを禁止するものではなく、信教の自由を保障するという目的からみて、相当とされる限度を超えるものだけを禁止する。


相当とされる限度を超えるものとは、目的が宗教的意義を持っており、効果が、宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉などとなる行為のことです。これを判断するにあたっては、行為の外面だけでなく、当事者の意識や、一般人の評価を考え、社会通念に従って判断しなければなりません。


本件についてみると、第1に、忠魂碑は、もともと戦没者記念碑的なもので、神道等の特定宗教とのかかわりは、少なくとも戦後は希薄です。第2に、遺族会は宗教的活動を目的とした団体ではありません。


 知覧の慰霊祭も宗教的な色彩が消え、何かの南鹿児島市の観光施設のイベントと感じた。従って自衛隊員が参加していても問題がない、上空のプロペラのあるP3C哨戒機の慰霊飛行もある。出されるお茶は知覧茶のペットボトル。


(2)遺族会は宗教団体か

遺族会は、戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊の顕彰を主たる目的として設立されたものですから、宗教的な行為をしたとしても、それが本来の目的ではないので、憲法20条1項、89条の「宗教団体」や「宗教上の組織・団体」ではありません。


(4)慰霊祭への参列は政教分離違反か


忠魂碑は戦没者記念碑的な性格のものであり、第二に、遺族会は宗教団体ではなく、第三に、慰霊祭への参列は、公職にあるものの社会的儀礼として、戦没者や遺族に対して弔意、哀悼を表すために行われたものです。


 確かに九州の市町村の首長や知事・国会議員も知覧の慰霊祭に参加している。


慰霊祭への参列は、世俗的な目的であり、効果も、特定の宗教の援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる行為ではありません。ですから、この行為は、憲法上の政教分離規定に違反するものではありません。


以上のように述べて、箕面市の行為をすべて合憲としました。


 不思議なのはキリスト教風の行事が知覧の慰霊祭に見当たらない。献茶があった記憶がある。黒い礼服の人もいるが地味な服装の人が多いと感じた。
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中国商人を中国検索システムの百度で検索すると、自動翻訳で中国ギャングと日本語翻訳されて

2022年03月05日 | 宅老のグチ
中国の大河ドラマを見ていて、清朝末期の女性商人の物語を日本のBSで見ていた。漬物業界界の付き合う中国華僑は福建とかの人が多く、特に台湾経由の中国華僑と付き合っていることが多い。

中国人も知りたがる中国商人の話 范 勇著  趙 徳慶訳 1997年 出版は古いが清朝時代の中国商人の話で今でも気風が残ると思える。

ネットでは中国商人は十大商人と言われ、それぞれの郷里の特色を生かして地位を築いているようだ。メンツ・誠実・信用を重んじるのが共通のようだ。だがこの信用という言葉が日本人の考える信用と少し異なっているようだ。どちらかと言えば三国志の(桃園の誓い)に似ていると感じる。
 日本では3尺流れれば水清しという感覚が一部にあるが、中国の古代の歴史を見ていると、今のロシアのような態度で屈服して従うか、死を招く抗戦に走るしかない。日本だと会津戦争と思われる。それでも多くの農民は会津にいた。下北半島で苦労したのは会津の武士層で西南戦争では東京警視庁隊とし、接近戦に強い抜刀隊で田原坂を突破した。会津の人たちが警察系に勤める人が多いと感じる。
 中国社会の底辺は明清時代から続く商人(ギャング)的連帯があるようだが、今は既存の考えを超える速さで進んでいて、良いとなれば日本の根回しもなく進みが早い。DXの時代はコツコツより多数派に先になるしかないというようだ。ちょっと前は規制の法律のない時期だった。

 パラオリンピックが始まっても、ウクライナで話題が消える。中国のメンツが壊れ、戦争障碍者を増やしている。戦争とは巨大な浪費で、また遺恨が残る。

中国では、「学者、農民、産業、商業」ということわざがありました。商人は最も劣った職業であると考えられていました.
日本史の士農工商と似ていますが、日本の身分制度には商の下の身分を消しています。そこには普通は非人の世界です。明治の始まりの時は新聞記者とか歌舞伎役者も非人と見なされている時期もありました。取材した記事を元にして金銭を要求するゆすり・たかり・捏造もあったようでした。

中国商人の1位に-王海


河南省商丘出身の王海(1800年代)は、商丘の商人、商品貿易の創設者、商丘で生産を開発するために牛と馬を飼いならし、商品を配送するなど。多くの商売の前例を作りました。王海は取引において正直の原則を堅持し、平等な取引は部族の間で評判を残しました。王海の部族は商人の部族として知られているので、貿易活動を行う人々は商人と呼ばれ、交換に使用される物資は「商品」と呼ばれ、この職業は「商業」と呼ばれます。(何か嘘っぽいのだが)




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1年前の入院中に読んでいた本

2022年03月04日 | 福神漬
ちょうど1年前は腸閉塞で入院していて、やっと今頃は退院となった。退院直前に暇になって入院直前に借り、病室に持ち込んだ本を読みだした。ドンナ訳か1冊しか持ち込まなかった。
血塗られた慈悲、笞打つ帝国。  -江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか?-  ダニエル・V.ボツマン著  小林 朋則訳2009.10出版
 今再び読みだした。引っ越し問題がなければ購入しても良い本と思える。当時の病室で読んでいた時、看護師さんがこの本を見て不思議そうな顔をしていた記憶がある。表題から想像していてホラ-小説と思ったかもしれない。だいたい病室には患者はホラ-系の本を持ちこまない気がする。学術書でさらに日本の監獄制度を異国人から見た本と説明し付箋がいっぱい付いていたので不思議がっていた。当時の気持ちは何で持ち込んだのかと思っていたが長期入院も予想していて、あの痛みから本を読む心境まで行かないと思っていた。テレビはイヤホンを持ち込んでいたがコロナ談義と2021年のオリンピック開催問題で面白くなく見ていなかった。結局入院中はIpadと読書で、2000円の通信料が4000円を超した。看護師はIphoneでデ―タ収取し送信していたので、病院内にフリ-WIFIを入れても問題がない気がする。
 この本の副題に『江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか❓』とあった。前書きに徳川幕府刑事図譜があって、そこから研究が進んだようだ。図譜は明治中期(1893年.明治26年)出版されているので、明治政府の意向が反映されていて、いかに徳川が遅れていて、明治の文明開化後に牢獄が改善されたかを示す本だった。
 アマゾンの書籍紹介をコピペする。今でも古書は価格は下がっていない。

・江戸時代、なぜ残虐な刑罰が日常茶飯事だったのか?
・江戸幕府は「慈悲深い」権力者というイメージ戦略を、いかに成功させたか?
・ペリー来航の重要な任務は、「治外法権」を認めさせることだった。
・明治政府は、なぜ、旧来の刑罰改革を急務の課題としたのか?
・植民地・台湾に、帝国日本が驚くほど壮麗な監獄を作ったのは?
・日本の資本主義の台頭を、囚人労働がいかに支えたか?
ーー江戸から明治へ、刑罰がいかに社会秩序の基盤となり、
  権力を形成・変革してきたのかを、解き明かした画期的論考!

 自由民権運動福島事件の被告人花香恭次郎の経歴を調べていくうちに、今の銀座8丁目にあった公益問答新聞で新聞記者となったことから、歴史に残る人物となった。公益問答新聞社主は服部誠一(撫松)で二本松藩で明治2(1869)年公用人として東京勤務。(今の感覚だと県の東京情報収集役・接待費を使える)彼の著書『東京新繁盛記』は大いに売れて出版関係の会社を興した。そこに記者として勤めたのが花香恭次郎で、西南戦争の記事方針で服部と意見が異なり退社し、東北へ向かった。服部の本は漢文戯作で、 成島柳北の柳橋新誌の続編と抱き合わせ販売で売れたという。柳橋新誌は中国の板橋雑記に影響を受けている。
 中国古典文学大系56 記録文学集 平凡社
板橋雑記に次に獄中雑記というのがあって、中国の投獄事情が書かれていた。どうやら日本の刑罰方法と似ていた。今の中国の法制度の本はまだ読んでいないがやはり中国がアヘン戦争を重視しているのか、薬物系の犯罪の刑は日本より重いと感じる。
 
 成島柳北は筆禍がもとで讒謗律違反に問われ、明治9年の2月から6月までの四ヶ月間鍛冶橋監獄に収監された。 出来たばかりの西洋の監獄に似た木造二階建ての監獄に収容された。衛生面では西洋に近づいたが、石作りではなかった。
 明治三年一二月,東京鍛治橋内に,未決囚の一時拘禁所である監倉事務取扱所が新設され ていて、河鍋暁斎が酒乱事件の時に収容された可能性がある。記憶を無くすくらいの酔い方で、牢獄の記憶から書いた大番屋図は疑問点が残る。



 
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格差社会の平等化への模索 日中戦争の激化から始まる

2022年03月03日 | 宅老のグチ
アメリカで国民皆保険制度が大統領選挙で問題となっていて、日本がこの制度の普及に占領軍の指示かと思っていたら、昭和の初めの中国大陸の戦闘激化と、農村不況で社会の格差が広がり、その対策で今に残る制度となった。いつの時代も格差が広がると人民の多数派下層民の不満がチョットしたきっかけで爆発する。同時に上層部にあった人はまた不況・暴動.・戦争・天災で没落することもある。日本の長い歴史を持つ家系は多くのところで家訓が残されていて、共通は質素倹約と実力主義だがやはり長子相続の問題から中興の人物によって維持される例が記録に残る。

理想だらけの戦時下日本 井上 寿一著

 戦時中の日本の報道映画を見ていると、招集された兵士を駅頭で接待する婦人たちの姿が見える。襷に国防婦人会と書いてある。これが全国的に広まり戦時中は外出時に割ぽう着を
羽織れば観劇しても咎められなかったという。また上層女性が多く所属している愛国婦人会というものがあって、対立しているようだった。一方は愛を他方は金銭による支援と異なっていたが結局傷痍軍人が増えるに従い、不足した男性に独身女性を強制見合いさせた例もあった。多くの政治のたくらみは歴史から記録が消され今に至る。
 敗戦後の混乱は明治維新と違って全国民が貧困階層となり、実力主義の時代となって、どこかで才覚を生かして蓄財した人が今の富裕層の始まりとなる。

 日本は成り立ちの異なる組織の対立があるようで、外国人研究者によって指摘される。これは日本のキリスト教の普及の歴史に似ていて、今も韓国程広まらないのは維新後に旧幕臣がキリスト教の布教の主力となった歴史からあるかもしれず、庶民の信者と差別感があったかもしれない。今の親ガチャ論争も親が富裕でないと学習塾に通えず、上昇志向の人たちの間にもまれることもない。
 性善説の日本は騙される。やはり世界の標準思考は性悪説で同族・同郷で結びつきが多く、そこを超えた人によって新しい道が開く。
   
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小1の漢字の書き取り 貝

2022年03月02日 | 宅老のグチ

漢字の中でお金や財産のことを表す「財」「貯」「買」「貨」「贈」「賭」などの文字には、どれも「貝」という字が使われています。 これは、古代の中国でインド洋で採取された美しい貝が貨幣の代わりお金のかわりに用いられていたからでした。小学校1年の漢字の練習帳になぞなぞがあって、ホタテ貝の絵があって、目に八を加えると書いてあった。そっと回答を見ると貝だった。
 ロシアのウクライナ侵攻でロシア通貨が他国の通貨と交換できなくなり、窮地になっているようだ。今は貝殻で交易決済をしている国はないが、ルーブルも貝の仲間に入ったようだ。原油や地下資源があっても掘り出すのは人間で食料等もいる。金属の金の価値は非常時には食料より劣る。すでにロシアの貨幣は中国しか通用しないし、党より金に執着する中国資産家はロシアを買い叩くしかない。これでロシアは覇権国家から中国の下になった気がする。仲間が減った中国はロシアに騙され、まだウクライナに中国人が取り残されている。欧州への鉄道網も途切れるしかない。一帯一路の維持管理費がかかる気がする。アメリカ人から中国人に強盗の矛先が変わる。
 中国の検索で百度を見ている時、(十大商人)と検索し、自動翻訳で(地域名+ギャング)と翻訳された。社会主義で商人はギャングなのだろう。
 ウクライナの悪口を言う人の文章からウクライナはギャング(悪徳商人・金を重視する)の地域かもしれない。ロシアよりのウクライナは平等に貧しい地域だったかもしれない。国の公平は難しい。

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