台風の15日は自宅近所の慰霊碑参拝。献花の所に花はない。16日は京都の送り火の日。一度関西にいた1970年の大阪万博時に京都で大文字焼きの点火から最後の消える時間まで京都中心地から離れて見ていた。火が消える時、信心はかけていても寂しさが残った。
特攻遺族でもまだ靖国神社の参拝はしていない。そんな気分にまだ到達していない。なぜなら戦後の遺族の生活が苦しかったこととさらにお国のために命を捧げたのに、無駄死にと言われたこと。
しかし叔父たちの陸軍第八航空師団204飛行隊の人たちは特攻に飛び立つとき、お先にとか靖国で会おうと言って飛び立ったようだ。戦後に戦友会の会報で2月4日に靖国神社に参拝し思い出にふけっていた様だ。多分204の人たちはもうすべて亡くなっていてどこに魂が漂っているのだろうか。叔父の魂はまだ落ち着かず時々遺族に新しい情報をもたらしてくる。
学徒出陣80年となる今年は彼らが生きていれば100歳となる。震災100年もある。運命のガチャは不運というしかない。