先の戦争で、満20歳になる男性は徴兵検査を受け、兵役に服する義務がありました。昭和の初めは徴兵検査があっても、学生等は猶予がありました。戦争が敗色になって、昭和18年10月に徴兵猶予が停止され、いわゆる雨の中での神宮外苑で大学や専門学校等の高等教育機関に在籍していた学徒も入営となりました。陸軍では学徒に対して特別操縦見習士官の制度を設け、8月に試験をし、9月に合否の発表をし、10月1日に入隊となりました。1期生から4期生まででおよそ8000名の学徒が陸軍の航空士官となりました。沖縄戦で陸軍の特攻隊員は1036名が特攻戦死しました。そのうち273名が特別操縦見習士官でした。叔父の栗原義雄は1期生でしたが軍歴が10月1日でなく11月1日でした。まだはっきりとした理由が判りませんが親族の話では無断で受験し、不合格になることを計画していたようです。しかし繰り上げ合格になって1期生となりました。昭和18年9月8日の毎日新聞埼玉版では10名の陸軍の合格者と22名の海軍の合格者が発表となっています。陸軍と海軍に両方合格の人が一名いて、欠員となった陸軍に叔父が繰り上げ合格となりました。(資料の出所・埼玉文書館)
繰り上げ合格になった理由は埼玉師範学校・今の埼玉大学教育学部にある成績簿から視力が三年間1.5の視力がありました。今でも当時でも視力の1.5は新聞記事でも少ないようでした。
今年学徒出陣80年と言うことで、鹿児島県南九州市知覧特攻平和会館の企画展で20代で学び舎から沖縄の向け飛び立った学鷲の軌跡の様です。もう80年だが遺族はまだ80年。80年前の8月は試験の時期でした。