年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

東武動物公園のある杉戸町図書館へ行く

2023年11月15日 | 宅老のグチ
今は駅名が東武動物公園駅となった杉戸町の図書館へ行った。賀川豊彦記念館で出してもらった本がいかなる理由か判らないが、杉戸町には比較的多く庄和高校の高校生の部活で出来た本を蔵書している。庄和高校地暦部の本は埼玉県の図書館横断検索で探し出すことが出来るが、庄和高校の隣接地にある春日部市立庄和図書館には1冊も蔵書が無い。熊谷にある県立図書館でも少しはあるが杉戸の図書館はいちばん多く蔵書している。
 この蔵書のばらつきが所在地のばらつきが気になってきた。春日部市の庄和地区近現代史で初めて引用の本から部活の本の存在を知った。南桜井村戦後史という本で、この本を春日部市の郷土資料館で所在を聞いたところ、出してもらった。2時間ほど資料館で読んで、コピ-するかと聞かれ、アマゾンで手に入るかもしれないと思い、次回回しとした。家に帰って古書店の所で検索して3冊ほど出てきた。2冊購入した。
 本が届いて、叔父の墓のある寺の住職にこの本を見せ、内容について聞くと部活を指導した教師の事を聞くと知り合いの様で、さらに庄和地区の近現代史の編纂にも参加しているという。
 そこから赤羽にあった陸軍の工場が終戦間際に今の東武ア―バンパ-クライン野田線南桜井駅前の精工舎の工場の未使用施設に移転してきた。陸軍の工場が稼働してすぐに終戦となったため、米軍の空襲が無く、宿舎、工場、事務所等が残った。さらに精工舎の労働者のための病院もあった。そこから南桜井村の戦後史が始まる。
 戦後に精工舎は東京墨田区大平で再建が始まるのだが、東京には食料が不足していて、南桜井に家族を残していた人もあった。そこのところに米軍が陸軍の兵器工場の調査が始まり、進駐してきた。精工舎は戦前の時計の全種類の時計を作るのでなく、生産を絞ったようだ。そこで賀川豊彦の提案でスイスの様に農村と軽機械工業との融合で発展させる農村時計が発足した。その支援者は全国農業協同組合だった。しかし発足時にGHQが戦犯企業の解体ということで、全国農業協同組合は解体され、資金の途絶となった。数千名の労働者の夢が消えた。それでも精工舎の東京に行かない機械と生き残るために必死に働いた人、消えた全農の組織でも販売先として支援した貰った。彼らの時計は精工舎とちがう目覚まし時計だった。一台あれば一家の需要を満たすことが出来た。この農村時計は間も無く倒産し、リズム時計となり、本社を南桜井駅から移転するまで東証の一部上場企業となっている。いまはシチズン時計系となっていて、精工舎の人に言わせると飼い犬に手を嚙まれたという人もあるという。精工舎には服部金太郎の本はあるが、社史はない。従ってもし社史を作ろうとすると庄和高校の部活の本しか参考になる精工舎の戦後史の始まりが無いように思える。
 杉戸町の図書館で春日部市関連の地域史で庄和高校の本を読む。10冊はあった。一息に読むが本の名前だけ書く。表面的に読んで、隣の席にいた高校生に話しかける。聞いても良いかと周囲に仲間の高校生以外がいないので話しかける。どうやら図書館の付近に住んでいるようで、庄和高校の通っている友達はいるか聞いた。いるというので自転車で通っているかと聞くと、電車通学のようだ。図書館の人に庄和高校の本が多いのは寄贈かと聞くと、行政の収集という。高校生の話から庄和高校の卒業生の寄贈というのは消えた。どうして杉戸に集まったのだろうかと思いつつ、次々と本を読み、(高校生がみた細菌戦)という部活の本があった。内容は中国で日本軍が731部隊で細菌戦を計画し、実行していた。このことと春日部地域とのかかわりの聞き書きがあった。
春日部市での731部隊のイベント、さらに春日部市教育委員会の圧力、右翼による、学校部活への圧力等の記録があった。
 家に帰って古書とアマゾンで検索すると出て来る。すぐに購入する。週末には家に着くだろう。
 春日部市付近の農家で731部隊の細菌戦用のネズミの繁殖を行い、中国に運んでいたという。この本では中国の高校生の100%が731部隊の歴史を知っていて、日本の高校生はほとんど知らないという。
 これでコロナの始まりが武漢ウイルス研究所の施設からの漏洩が疑われて、必死に中国が否定していたことを思い出した。日本軍と同様の行為を行うと731部隊を非難することのできなくなる。同様に福島の汚染処理水の排出でも、中国原発処理水の排水の量の問題が出てきてしまう。
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眠れないので

2023年11月14日 | 宅老のグチ
チョットした事件があって、考え込み眠れないので書いてみる。
 築地に勤めている時には急病で午前1時出勤ということもあるから普通では眠れないという理由にはならない。
 不眠の始まりは、昭和63年9月の昭和天皇の下血から始まる。その様に考えるともう不眠症は40年近くなる。人によっては昭和98年と言う人もある。当時なぜ不眠症となったかというとNHKが急に終夜も映像を流していた。10月頃から、次第に意識して事の次第は天皇の病状報道の制御だとおもっていたが、10月となれば得意先の正月用食品の見積もり依頼と需要見込みを決めねばならない。当時はバブル前で平成に入ってバブル崩壊した。
 昭和の感覚は戦前は悲惨で、戦後20年は復活と自信の回復、1964年の東京オリンピック後には傲慢な日本となっていった。そんな時代の終わりの終日放送で経験のない年末商戦へ突入となった。
 商材会議でも暗黙の対応の対策を考えていたが口には出せなかった。まるで先の戦争で敗戦と思いつつ、戦いを継続している感があった。
 今は昭和の終わりの日が判っているのだが1月7日の朝に亡くなったのだが、やっと終わって正月気分が消えた。
 土曜日だったので予約してあった新年会は中止となり、埋め合わせということで4月の新年度入りでキャンセルした料理屋で行った。まだバブル期だったので今のような時にキャンセルは耐えられないことはなかったと思う。日本にいる以上この天皇の制度と付き合わないと生きてゆけないことを知った。
 クリスマスには寒波があって、事前の輸送と低気温で商材は持つ。しかし年末の崩御だったら、赤色は消え、黒の色に染まる。音曲は消えても食しないと生きられないが、正月の食は築地でも12月の売り上げが他の月より大きいし、忘年会需要も大きい。これが消える可能性があっても仕事は進む。
 そして眠れない。
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かながわ湊フェスタへ行ったけど

2023年11月13日 | 宅老のグチ
2023年の横浜市神奈川区の地域ィベントにいってみた。
滞在時間は5分。普通の地域のイベントでやはり住んでいる人が少ないと感じた。JRと京急の東神奈川駅に近い神奈川公会堂で開催されているのだが線路で街が分断されている感がある。線路で隔てられているので一体感が薄いように感じる。特にJRより海の方は昔は埋め立てが無い時は人がいないと思われる。つまり寺院が無いということになる。神奈川宿の事を調べていた時京急の線路に付近しか寺院が無い。
 神奈川湊は江戸時代の内海船の寄港地だった。図書館で神奈川区の資料を探したら、神奈川区の観光地図があって、京急神奈川駅付近が神奈川湊でその中心は小さな滝の川のようだ。その川の両側に神奈川条約の外国領事館の跡が残る。つまり神奈川条約で認められた領事館の地は今の横浜の関内地区ではない。

 JR桜木町駅に近い所に神奈川県立歴史博物館へ再度訪問し、そこで図書室の方に神奈川湊と高島嘉右衛門の事を聞いて、冊子をいただいた。建物自体が歴史的建造物で震災・戦災に耐えて今に残る。
 その後、JR横浜駅に戻り、青木橋という所まで歩いて行った。青木橋の所は京急神奈川駅があって、今から見ると谷のような地形だが、実際は神奈川湊と高島台まで続いている土地が明治の鉄道工事によって、土が削られ、谷となった。この工事の写真が県立歴史博物館で出してもらった本に載っていた。一見すると埋め立てに使いやすい土砂のように見えた。
 京急神奈川駅から高島台の方を見ると、寺院があって側に行くとアメリカ領事館の跡だった。寺の中に入ると日本の塗装業界の碑があって、説明によると西洋式塗装(ペンキ゚)のはじまりがこの寺院を白く塗ったことから始まるという。
 高島台地の上に高島嘉右衛門の家があったようで、そこから埋め立て工事の進み具合を見ていて、指図していたという。台地の上に高島山公園があって、望欣台の碑というものがある。この碑には日本初の鉄道建設の埋めたてに付いての嘉右衛門の業績をたたえている。気になるのは欣という言葉で戸田欣堂の事を暗示していたのだろうか。戸田欣堂もこの高島台に住んでいたという文献をみた。戸田欣堂は高島嘉右衛門の姉と大垣戸田家の側室で藩主の子を産み、その子が戸田欣堂となった。日本文学史では最初の政治小説を書いた人と言われる。

下の写真は京急神奈川駅から見上げたところにある曹洞宗本覚寺の山門前から写した写真で、下の道路は国道1号線青木橋付近。京急と国道の間の線路はJR東海道線で横浜駅の手前となる。反対側の木立と本覚寺の間を削って、鉄道開業の道路の土とした。
 木立の海側は神奈川湊の祭神・須崎大神と思われる。境内に大きな檍(あおき)の木があって、青木町の由来となった。「檍」が意味する植物としては、「モチノキ・カシノキ・アオキ」 洲崎大神の寄進者を調べると、横浜中央卸売市場の関係者が占める。神社からの参道の先に船付き場があって、異国人居留地と神奈川宿を結ぶ渡船場だった。イメ―ジ的には長崎の出島だろう。
 写真の位置は13階くらいの高さで、かなりの量の土が運び出された。
 
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国立競技場で移転で再設置された学徒出陣記念碑探し

2023年11月12日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
10月の終わり頃、新宿都庁の隣の住友ビル33階にある総務省の委託の平和祈念展示資料館がある。そこに再び行く用ができた。
 その要件は昨年12月8日に出版された、叔父たちの台湾からの特攻出撃本で、攻撃を受けた米軍兵士の遺族から、戦利記念品とした持ち帰った戦闘機の残骸を搭乗者の遺族に戻したいと連絡が著者の所にメールが来た。そして自分の所に転送された。いきなり扱いについて緊急家族会議。
 まずもし戦闘機隼の残骸であれば、国に所有権があるかどうかを確認するため、どこの管轄下かを聞きに行く必要があった。これは長年築地市場で身に着けた公務員の縄張り意識で自分に無関係なことは教えないのでたらいまわしさせるおそれがあった。普通は戦没者の遺骨収集を管轄している厚生労働省と思うが、もしかすると機体となれば防衛省もあるかもしれない。素人判断で悩むより、新宿へ行って、聞いてみようとなった。
 新宿住友ビルでは台湾の企業誘致のイベントがあった。そこを横目に33階へ行き、受付で事情をいって、学芸員に来てもらい話した。
 結論から言うと、このようなことは最近はない。管轄も不明で適切な相談受付は鹿児島県南鹿児島市の知覧特攻平和会館の学芸員を紹介された。帰宅後電話すると、月曜日に出勤ということで先送りする。
 新宿の学芸員の話で来週のイベントで台湾出身の96歳の男性の講演があるという。急遽参加し台湾の戦前の話を聞くことになった。
 帰りに大江戸線都庁前駅より家に戻ったのだが前回の訪問後に学徒出陣式80年祭で国立競技場付近を探したのだが見つからず、青山一丁目駅まで歩き、緑の銀杏並木を見ていたことを思い出し、再度出陣式の碑を探した。千駄ヶ谷門の所にチヶットセンタ-があって、振り返ると出陣の碑とその無念の表明の文言があった。当時の学生でも表面上は日本が勝っていると言っていたが内面の苦悩は徴兵猶予の学生生活が終わって、理不尽な軍隊に入るという悲壮感が見える。
 碑には国立競技場に集まる次世代への伝言がある。

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投了図 将棋の

2023年11月11日 | 宅老のグチ
新聞に人気の復活した将棋の紙面がある。棋士戦の投了図で負けた棋士の一手が投了図となる。しかし実際はその数手前に敗者は負けの形作りしていた時もあるようだ。自分の様に先が読めない将棋の読者は明らかな形勢が解かるところで投了してもらうとわかりやすい。
 それが人生将棋となれば明らかに120歳の手順を越して、先に進むことはない。そこまで記録等の知識があっても、まだ人はもがいて日々生きている。なお悪いことは人生将棋は一人では普通出来ないし、さらに二人ということも稀で多くの人を巻き込むことになる。
 75歳になると日本では大方の人が投了寸前の世界に入る。平均という言葉で人生の投了は男は82歳程度になっている。さらに健康寿命という言葉では70代前半になる。そうするとすでに人生の投了を考えても良いのだが自分自身は名人でない迷人なので、新聞の将棋投了図のように、まだかけない。何か敵陣とも思える100歳越を目指している様に生きている。
 普通の後期高齢者は世間から不要の人になって、最近増えて経済活性化させている外国人観光客と違い、公共の電車内で赤ちゃんの無き声に耐えられないで騒ぐ人が目立つ害老人となっている。
 シルバ-パス利用で都営バスに乗っているが出来るだけ通勤時間をさけることにしている。自分自身は害人にはなりたくないが、日々体力が落ちて前に出来たことが出来なくなっている。
 ふと自分の投了図を書いてみたいと思った。先の引っ越しで、部屋の広さが半分になり断捨離が進んで捨てるものが最近の物しかない。
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不要の人の認定予告(扶養ではない)

2023年11月10日 | 宅老のグチ
75歳になると後期高齢者健康保険証が届く。詳細を見ると今までの健康保険証の制度から除外されることとなる。今では75歳でも健康で働いている人でも社会保険の制度から外れるようだ。従って会社負担で健康保険に入ることも出来ないことになる。
やってきた書類には75歳以上の方は、原則として後期高齢者医療の被保険者となるため、健康保険の被保険者資格を失います。退職後、健康保険の任意継続被保険者であった方も同様に被保険者資格を失います。つまり今までの扱いが学歴、職歴、地域に関係なく消える。さらに驚くのが雇用継続で75歳まで働き、年下の妻を扶養に入れていても、夫が健康保険の資格を失うため、75歳以下の扶養の人は国民健康保険に入ることとなる。扶養が多いと国民健康保険の支払い金額が無視できない。それまで支払っていなかったので。つまりひきこもりの子供がいるととんでもないことになる。このあたりの制度は自宅で親の介護のする無収入の人を痛めつける。年金の入る75歳以上の親を介護する同居の子供は仕事を辞めても自分の国民健康保険の請求がやってくる。この部分は年金の扶養控除になるが75歳まで無く、急に請求が着て驚いた。

 この健康保険上の後期高齢者は税法上では子供が75歳以上の扶養に入れることが出来るという。ここまで来ると適用の条件の知識が必要となる。

 日本の財政が厳しいので物価が上がって、最低賃金が上がると年収の壁を越して、手取りが減るように制度の壁を無意識の越えてしまう。
 個人情報の秘匿でそれぞれの日々変化する状態によって、思わぬ出費が発生する。そろそろ扶養という制度を無くし、消費税を上げて、赤ちゃん時代からの保険制度を見直すしかないと思う。生まれたらマイナンバ-が与えられ、そこで障害があっても保険で賄う仕組みが必要で、所得は付加健康保険とか年金にして、二階建てか3階建ての制度にするしかない。そうすると基礎年金の未納が消える。今は収入のない赤ちゃんでも消費税は支払っている。社会保険料の基礎部分が消費税なら大幅な負担は増えないし、小手先の介護等の保険料値上げは公平性を無くすし、将来の子供の夢を奪う。

 今の税制から節税対策を見ていると、子孫に財産を渡そうと画策するのが主流だが人口の減っている日本ではいずれ日本国という死なない法人が全部接収することになる。戦後の物価上昇という手もあった。戦時国債は紙切れで今でも古物で見かける。新円切り替えと言って、切り替え時に金額を指定し、交換できない紙幣を預金させ、価値を減額したこともあった。インドで高額紙幣の流通を制限したこともある。今の中国は殆ど現金の流通しない世界だが、銀行の預金取り付け騒動ではまだ現金が役に立つようだ。
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高尾山で間も無く外出の時間が減ることを予感する

2023年11月09日 | 宅老のグチ
高尾山は新宿駅から1時間もあれば山の中腹の寺院にたどり着く。さらに30分も昇れば頂上に着く。海抜599M。家でスマホを確認したら10000歩も往復で歩いていない。もちろん坂道とか急階段もあって、休みながら登ったのだが辿り着いた。2025年になると団塊世代が75歳となって、国と地方自治体から日本国民から後期高齢者の通知が送られる。一応例外は無いようだ。
 そこで3つの区分に分かれる。住民税非課税人(1割負担)課税の人で現役並みの所得のある人(3割負担)にまず分けられる。そして団塊の世代が全員75歳になって新制度が始まり、2割負担が出来た。新聞記事で政府は少ない人だけが2割負担といっていたが、間も無く嘘が判るだろう。
 多くの医療と介護の情報は行政機関とそれぞれの業界から都合の良い情報をまとめ、記事とする。記事同士の矛盾に気が付いていても、言及しない方がインパクトがあると感じているようだ。
 何日か前の、中国で胃がんと漬物食べすぎの記事を書いた。自分の印象では中国医学会では胃がんを強調し、胃内視鏡検査やバリウムで胃透視検査を推奨しているように感じる。そうすれば医者は利益を上げられるし、見た目の治癒効果もあるように見える。百度の記事ではピロリ菌の事は書いてなかった。日本ではピロリ菌の保有している人が塩分によって癌の発生が増えることとなっている。しかしピロリ菌の検査は簡単で医者の利益は少ないと最近報道されていて、沖縄は漬物が少ないので胃がんが少ないと言っていた。沖縄は今は胃ガンは少ないが、築地市場で東京農大時の小泉武夫氏の講演があって、長寿沖縄が今では日本の43位に落ちた原因を話していた。沖縄は昔の食生活が、米軍の安価な缶詰食料が入ると、ラードたっぷりのゴ—ヤチャンプ―に変わり、高脂血となり、男性の平均寿命が下がった。さらに車が普及し歩かなくなった。
 秋田県の胃がんを減らすためには、まず県民の定期的なピロリ菌の保有検査を行い、保有者には除菌治療を行えば、胃ガンの発生数が減ると思われる。胃カメラやバリウムによる胃透視検査よりリスクは少ない気がする。
 秋田県は漬物県でもある。燻りガッコ等々のつけ物があって、県の指導によって塩分も減っているが県知事の頭の中は旧態の高塩分漬物ということが残っているようだ。今のセブンイレブンの漬物は低塩分で野菜を食べさせようとしている。

 コロナで3年の外出自粛で、動ける時間が減ったと感じる。高尾山後の今疲れて出る気が出ない。でも出かけないと新しい知見の発見が無いと思う。高尾山の山で階段の寄進者名で横浜との関係を知るとは思えなかった。もう一度川越の博物館で新河岸川船便の歴史を調べたい。漬物様な食品が文献には少なく、船の荷物のリストで流通していることを知る。

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高尾山に初めて登る

2023年11月09日 | 宅老のグチ
東京の観光地でコロナ前は築地市場より人気があった高尾山にいつか登ってみたいと思っていた。築地の豊洲移転が終わって落ち着いてみると高尾山行きが真だ済んでいないと気が付いた。高尾山なら紅葉だろう。最近の過剰観光の状況から、土日祭日は外さないといけないという。どうやら高尾山ケ-ブブルカ-が休日だ9時には待ち時間が発生するという。さらに東京の眺めを望むには晴天で無いといけない気がする。そうなると11月下旬から12月上旬までの土日、雨天曇天日を除くとチャンスは少ない。そこで七日の夜の天気予報で八日の朝に高尾山初登山の予定を決める。
 いつもの様に行きと帰りは同じコ-スは選ばないことに決める。京王線新宿駅から高尾山へ向かうのだが、あさは京王八王子駅行きが特急で北野駅で乗り換えることにした。北野駅で特急が止まると反対側に高尾山口行きの普通電車が止まっていた。JR高尾駅と乗り換えることのできる京王高尾駅でほとんどの乗客が下りて、ハイキング姿の人がJRから乗り換えてきた。午前9時チョット過ぎに高尾山口に着く。およそ150人ほど。ハイキング・登山服の人に付いてゆく。何しろ高尾山は初見なので地図を見ている暇はないのでそれらしき人に付いてゆく。雰囲気は相模大山ケ-ブルカ-駅に向かうことに似ているが、駐車場が少ない。やはり高尾山は京王電鉄の観光地なのだ。薬王院の参道の灯篭も京王電鉄の提供だった。
 さてケーブルカーの切符売り場で、リフトとケ-ブルカ-の料金は同じということは知らなかった。行きだけだと片道490円往復950円ということで往復を買い、9時30分発のケ-ブルカ-に乘ろうとしたら、封鎖されていてリフトに乗らされた。これは高所恐怖症の人はつらい。シートベルトが無いのでずり落ちる気もあった。スマホ撮影はしないほうが良い。落としたら拾えない高さと感じる。帰りはケ-ブルカ-と心で決める。上に着くと紅葉はまだでやや変色と言う状態。薬王院から上に向かい高尾山頂で富士山の大きさの確認。薬王院で寄進者の名前でとび職の人が多いと感じた。修験道かもしれない。奥の院で山頂まで少ない時間で行けそうだったので山頂まで一気に進む。山頂で東京の方を見渡すが視力が無いのでぼやけて見える。タダ図では東京の高層建物から埼玉横浜も見えるようだ。夜間は入れないので東京タワ-等のライトアップも見えないし、画像もない。高尾山山頂で西の方に行く人の後をついてゆくと、写真を撮っている。確認すると小さな富士山が見えた。雪が無いので、スマホの画像を拡大したら富士山だった。
 帰りに奥の院の階段の寄進者に魚河岸のマ-クがあって、見ると横浜金港青果とあった。確か金港青果は2022年秋に廃業したと思って、さらに築地の魚関係の名前と違うなと感じた。
 諸説あるカナガワの名前の由来で金川というのがある。川が鉄がさびたような色ということで金川という説から横浜金港という話が出たと思われる。神奈川区の金港町は「金川(神奈川)の港」「錦の港」からきており、 横浜港を意味する。 つまり高尾山は東京より(シルク)関係で横浜と繋がっている。開国時のシルクロ-ドの名残でもある。横浜線で八王子へ行き、八高線で高崎の製糸工場となる。明治日本の富国強兵の外貨を稼いでいた道だった。江戸時代の外貨の流出の道はシュガ―ロ-ドと言って長崎から京都宇治の黄檗山万福寺、江戸の大奥の和菓子となる。
 帰りのケ-ブルカ-では60%位の客が台湾観光客だった。高尾でJRに乗り換え、八王子で桑都博物館見学。八王子の観光宣伝で、高尾山、織物産業等々。消滅したシルクロ-ドは高尾山寄進者名に残っていた。
 高尾山ケブルカ-はペットをかごに入れれば山頂まで行ける。また夜間に行けたらと思うが寺院ということで残念。
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中国のつけ物の多食により胃がん 百度の報道

2023年11月08日 | 宅老のグチ
中国検索で百度を定期的にチェックしているが、自家の野菜を漬け込み三度の食で漬物を多食していた人の胃がん話が報道してあった。何か日本の十数年前の報道の様で気になって読むと少し異なるようだ。
 築地市場で勤務していた時、市場協会が業界人の教養のために講習会がある。そこで東京農大の先生だった小泉武夫氏が沖縄の平均寿命の低下の問題を話した記憶がある。1975年より、日本の都道府県の平均寿命の公表があって2000年までずっと沖縄県が長寿日本一でテレビでの健康番組でしばしば沖縄の食事が放送されていた。ところが2000年になると男性の沖縄の平均寿命が26位となり、今のデ―タでは43位まで落ちていて、同ランクには前から平均寿命の短い東北地方と並んでいる。
 中国の報道ではいま世界の胃がんの患者の42%は中国人という。塩分の多い漬物とタバコ喫煙者が多いという。どうも報道から胃ガン発見は胃内視鏡検査から見つかるようである。ピロリ菌報道が抜けているので、胃カメラ業界のやらせ記事の様に感じる。日本での胃がんは今ではピロリ菌の除菌が薦められていて、除菌できれば胃がんの発生の可能性が低下するという。
 ガンの早期発見の技術は年々進歩しているがそれでも早期に発見できないガンの治癒は運任せとなる。中国はピロリ菌除去をもっと推進できなのだろうか。
 スモッグの煙で中国本土の空気は冬に汚れる。世界のタバコの4割が中国で煙となる。しかし節煙してもタバコを吸わない人も外では石炭由来の空気で肺が汚れる。日本に来た中国人が最初に日本の空港で深呼吸して、肺を洗うという話がある。今は脳も赤色から無色にするという比喩もある。血液は赤いので酸素を入れるのだろうか。
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すこし景気が良くなると倒産が増える

2023年11月07日 | 宅老のグチ
長年にわたって気が付いていた斜陽の業界で仕事をしていたので、世間の景気が良くなると廃業と倒産が増える。その理由は簡単で中の従業員が景気の良い方に転職し、その代わりに入った未経験の従業員が実績を上げるために、安売りをするため、さらに経営が悪化する。見た目は季節変動ですぐには気が付かないが、長期になると決算の数字が整合性がとれなくなり粉飾となる。それを是正するためにかなり無理しなければならない。銀行等で定期的に転勤させ不正とか惰性を見つけるのは長年の不祥事対策でもある。だいたい大手都市銀行は2年から3年で移動になる。生命保険とかの不祥事発見は長期にわたって担当移動が無かった人に生まれる。
 大きなパチンコ業界の倒産記事を見ていたら、現役時に帝国デ―タバンクの帝国ニュ-スという倒産記事の冊子を読んでいた時の記憶が戻る。その時の記事の分析は業界ごとに少しづつ異なるが大きな事件は図書館で借り出すことが出来る。倒産に至る経過は異なるが業界が縮小する時に対応が誤るか、不正の誘惑に負けたことにある。期末に翌期の売上計上を繰り込むことも不正の一歩となる。今は期末のテクニックもリスク変動を平均化する仕組みで減ったとおもわれるが、国等の業務監査でいつも不正の誘惑があることを知る。交際費の私的流用は最初の一歩で、大手上場会社の創業者子孫がその誘惑に負けた報道が目に付く。企業となったら家業と違う対応となるのが税務署の見解と知っている。明治期の企業の倒産を知っているが、社長の個人財産は倒産で消える。そこで再建を助けるのが友情と企業運営力と人脈となり、忌憚のない人脈は茶の湯の世界から生まれていたことを知って、驚いたことがある。今は茶の湯で腹の中を出す世界はあるのだろうか。茶器の美術館で名物を見ていた時も価値は判らないが名物に伝わる逸話は気になる。時代性があるのだろう。
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38年ぶりの阪神優勝でおもう

2023年11月06日 | 宅老のグチ
38年ぶりの阪神優勝で、昔関西にいた時の記憶がよみがえる。まだ新幹線が新大阪までの時で、そこから乗り換えて行く電車内の会話が関西の言葉だった。市場の仕事は午後3時過ぎに終わって、近所の銭湯に行くのだが、夜の仕事の反社の人と一番風呂によく出会う。最初は気にしていなかったが、そのうちに慣れてきて時間をすこし遅らせると銭湯で出会うことも無くなった。
 寮のテレビはサンテレビと言って地元のテレビは阪神一色で、夕方は吉本のどつき漫才で東京では見られないのを放送していた。今では放送倫理で多分ダメだろう。
 38年前に優勝した時はもう築地で働いていたので、同僚に阪神は今世紀に優勝は無いと予言してその通りとなった。あまりにも大阪の阪神ファンは激烈で単なるミスでもやる気を失うくらいのヤジが出る。優勝時の暴発は長年のうっぷん晴らしの機会でしばしば優勝する東京とシーズン中に1位となって慢心する阪神の差が秋口に差が出ていた思い出がある。阪神が優勝した38年前に日本はピ-クだった。そして間もなくバブル崩壊となり、今に至る。
 
 例年の築地市場跡地に再開発案に球場建設を提案した所がある。どうなるのだろうか。電車の駅もあるから良いかもしれないし、船の便もあるだろう。
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九品仏の閻魔様にまだ来るには早すぎると言われ

2023年11月05日 | 宅老のグチ
東急九品仏駅付近のバス停から田園調布駅行きのバスに乗る。環状8号線から田園調布の住宅街に入ると、自由が丘の町並みから風景が変わる。銀杏並木の歩道に人が歩いていない。外から見える住宅の車庫には高級車しか見えない。日本の車の軽自動車もない。あるのはデリバリ-の軽しかない。
 そんな誰もいないところでバスがゆっくり走っていて、見ると豪邸だったところの解体工事で駐車工事車で道路が狭くなっていて、対向車待ちだった。噂で田園調布は住宅の規則が厳しく、今の時代に合わないので投資に不向きという。資産価値はあるがそこでは金を増やせないという。バスに乗りたいと思ったのが1軒の家が広いし、坂が多いのとうねりに道で真っすぐを避けて出来るだけ下がるだけの道を選んで田園調布の家巡りをしたこともある。結構の割で警察官のパトロ-ルに出会う。不審者に一度中に入られると外から見えないようで、ほとんどすべての家に警備会社のシ-ルがある。
 不動産会社の売地と書いてある空き地が目立つ。コンビニもないし治安のよいと言われる日本でも夜の田園調布の一人歩きは怖い。多分住民は車世界だろう。そんなことを想いながらバスに乗っていた。
 閻魔様の言うには日本人の平均健康寿命が男性が72歳、女性が74歳くらい。これは一人で何でもできる事という。平均というからすでに介護を必要とする人がいるということ。特に注意するのは病気もあるが、転倒という。特に大腿骨骨折の10年後の生存率が20%という。今はガンの早期発見で5年後生存率が上がっているが、高齢者のリハビリの意欲が欠けると生存率が平均より下がる。貯蓄した金銭が年々減り、物価が上がって不安は増す。さらに閻魔様に嫌われて死ぬに死ねない人の苦しみがありそうだ。
 不動産は不動尊では無いと田園調布の解体現場で想った。あの石原元都知事邸の解体話で田園調布は負動産か不動損となって、子孫の仲たがいの原因かバラマキ政府の餌食となる。節税を解く税理士とその対策を進める金融機関に狙い撃ちにさせる。その田園調布に古い木造の家がある。何もできないかしない方針だろう。2極の家が混在している。浮き沈みの激しい今間も無く固定電話が消える。
 銀杏並木の色が付き始め、間もなく裸の銀杏並木となる。年取った銀杏の肌はシワだらけ。木肌も年齢を感じる。
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千葉県流山で味りんを調べに行く

2023年11月04日 | 宅老のグチ
父の写真帳に前掛け姿のがあって、その前掛けに味醂という文字が見えていた。味醂の扱いがあったのだが記憶では味りんを絞った後の味りん粕の事と思っていた。記憶では味りん粕で奈良漬用の粕の粘度の調整をしていた。アルコ―ル分の不足は25度の焼酎を足して使っていた記憶がある。
 福田村の事件から隣接地の柏と流山の事が気になっていたが、最近のつくばエクスプレス の開業で子育てと境域環境の問題で流山が人気となっている。

 都営大江戸線新御徒町駅で流山に短時間で行くにはつくばエクスプレス に乗り換える。改札口の乗り継ぎのやり方を忘れ、係の人に聞く。まずシルバ-パスを改札口に入れ、その後にSUICAを改札にタッチする。するとシルバ-パスが出て回収する。つくば行きに乘るのだが、降りる流山セントラルパ-ク駅は普通電車しか止まらず、南流山駅で乗り換える。流山セントラルパ-ク駅は新しいので奇麗だが、近所に周辺地図の範囲が少ないので、いつもの様に感ピュ-タ-ですすむことにした。地図の外れに平和台とあって、事前調べた流山市役所の方だった気がした。多くの都市は駅前か市役所の建物が高いか大きい。パーク駅から西へ向かうのだが、上り坂で先が見えない。道は広く家は新しい。坂を上りきったところの交差点で先に大きな建物が見えた。多分流山市役所と思い進むとバス停があって、次の停留場が流山駅だった。流山電鉄の流山駅は市役所と隣接しているが、目的地の流山市博物館はすでに二回ほど見学していたのだが車だったので、迷子となる。それでも市役所と近い所と記憶していて、ようやく博物館の案内板を見つけてゆくが裏口入場となった。車の時は小高い所にあると記憶していたが、市役所自体が小高い所でやはり水害の記憶があって立地したと思う。今の流山は随分市の居住地域が広がって、市役所の位置が流山電鉄の方に偏っているので、書類を集めるには車だろう。市役所の来訪者駐車場はとにかく広い。
 流山博物館の展示は郷土の歴史。
イベントの宣伝文
江戸川、坂川、みりん、小林一茶、新選組……現代の流山を語るうえで欠かせないキーワードの多くは江戸時代にルーツを持ちます。言い換えれば、現代の流山のルーツは江戸時代にあり、と言えるかもしれません。
 でも自分から言わせれば味りんが無ければ、江戸川水運もない。江戸という都市に運よく味りんの生産地となり、外食産業の発達でかば焼きの照りの元となる味りんが発達した。ブランドは天晴と万上。今は万上味りんしかブランドとして記憶にない。天晴の方が古いようだ。
 明治の最初の福神漬の甘味は味りんの様な文献があった。同時に醤油は銚子だった。作っていたのが江戸川下流の行徳伊勢宿と押切だった。野田の醤油の可能性も捨てきれない。明治中頃から砂糖に甘味が味りんから切り替わったが
サッカリンという人工甘味料の可能性も捨てきれない。
 江戸川水運の事を学芸員に聞いたが流山にもあったという。この文献はやはり関宿の方が揃っている気がして、学芸員は水運と水害は関宿という。そこで水運の書類を見れば荷物の内容が判る気がする。東京は戦災と震災と土地の高騰による移転で多くの商家の書類が消えた。地方は家が広く土蔵などがあって結構先祖の書類が残っている。葛飾郡は南葛飾郡だけが戦災にあっていて消えてしまった気がする。今は地方でも家が小さくなって、記録と記憶が消える。
 博物館を出て流山駅に行く。改札口に人がいて、到着した乗客を確認して、切符を回収していた。一瞬30年以上前のの改札の風景。紙の切符。スイカとパスモが使えない。券売機はまるで食券販売機と間違える。
 駅の中で観光案内図をとり、万上味りんへの引き込み線跡を歩く。今は味りんの工場はキッコ-マンの工場で味りんはブランドとして残っている。新選組近藤勇の捕縛地の土蔵後に行くが保存工事中。残念。江戸川が駅より近いので川風に当たり、喉が渇いたので古い商店跡の飲食店で味りん系の飲み物をとる。その後流電でJR馬橋駅に行き、金町駅で浅草雷門バス停で降りる。今日の歩数は15000歩。
 流山電鉄は経営がきびそうだが、高齢男性よりバイト感覚の女子高生に休日に車内検札をさせた方が各駅での駅員による検札より人気が出る気がする。鉄道オタクでも乗らない電車で唯一残るのはオタクだろうとJRの電車で居眠りの夢でキャラクタ-に会った。

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閻魔様のお告げの紙を紛失

2023年11月03日 | 宅老のグチ
東急大井町線のお寺の九品山唯在念佛院淨眞寺 を訪問した。山門を入ると焔魔堂が左手にあって、三途の川の(水はない)橋を渡って焔魔堂に入る。お賽銭を上げると、どこからか閻魔様の声が聞こえる。もう三度ほど過去に聞いていたのでお告げに同じ話はない。次の人のお告げも聞こえたが違っていた。お告げがどのようなものかはお堂の中にある黄色い紙に書いてあるがポケットに入れておいて、気が付いたら紛失していた。この紙を拾った人は驚くだろう。
 家でユーチュ-ブで九品仏焔魔堂のお告げを聞いたが今回に聞いたのと違っていた。
信じる信じないは時の気分次第。昨年の年末の訪問時には山門入り口のモミジが紅葉になっていて、木の本数は少ないが密集していて写真写りがよさそうと思う。
 九品仏の前に等々力渓谷をゴルフ橋(戦前に野毛公園付近までゴルフ場がああた)から眺めたが、気温の表示があって橋の所より渓谷の方は少し低い。ゴルフ橋から渓谷に降りる階段があるが今は封鎖されていて下に行きたい人が悩んでいた。この封鎖してあるところには世田谷区の案内が無く、家で調べるとどうやら渓谷の中で倒木があって、全樹木の状況を調べてから、階段道の封鎖を解くようだ。従って数か月は封鎖となる。今年の紅葉時期は等々力不動尊までとなりそうだ。
 21度は外気温で19度は渓谷の気温。十数メ-トルを下って渓谷に降りると気温が下がる。間も無く紅葉の季節となる。
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福田村事件の映画評での違和感

2023年11月02日 | 宅老のグチ
関東大震災後の理不尽な虐殺事件を扱った、福田村事件の映画の評論を読んでいて違和感が出てきた。非差別部落の香川県出身の行商人が千葉県東葛飾郡福田村に来た時、関東大震災の後の風評被害で虐殺された。最初は朝鮮人と誤解から始まる。
この映画を観た人から香川の所で非差別部落の特定問題が提起されている。

 築地で働いていた時、バブル時に他の仕事が景気が良く、若い人は築地で働く人が減った。特に市場内で働くには午前2時頃から動き出すので夜更かしの若い人には人気が無かった。それで不法就労の外国人を仕方なく、築地市場内で仕方なく雇用することとなった。バブルが崩壊し、日本の失業率が上がると、不法就労の取り締まりが強化された。市場内で入管の人と不法就労者と鬼ごっこしている風景の記憶もある。
 映画の震災時の虐殺事件の問題定義はまだ日本国内でとどまっている。コロナ中にアメリカなどのマスコミで中国武漢起源説が広く伝えられている。それに対して中国が情報隠しをしたため、情報弱者によってアメリカではアジア系の人が急に狙われるようになった。これはロスアンジェルスで黒人のひとが真面目に働きすぎる韓国系食品店を狙った暴動もあった。コロナ以前にアメリカでの地位を上げているアジア系の人は妬みで狙われる。日本は銃器保持が禁止されているが自衛の銃器が許可されている国ではアジア系は理不尽に狙われる。
 福田村事件のようなことは今でもアメリカで起きることもあるのだ。日本人はアジア系と見なされる。世界では日本人はアジア系の顔つきで、中国人と間違われ虐殺されることもあるのだ。
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