過日訪問した桶川飛行学校の帰りに、貰った桶川市のバス路線図に飛行学校から20分ほど歩くと郷土資料館があると教えられ、バス便が1時間に一本なので時間つぶしを兼ねて川田谷生涯学習センタ-に行って見ることにしました。地図を頼りに、バス停で時刻表を写真にとり、学習センタ-での滞在時間を計算した。上尾道路というダダ広い道路のために交差点には誰も歩いていない強大な歩道橋でその上に登って、景色を眺めると、何か変わった建物とその先に公共施設があって、10分はかかると計算した。そこから生涯学習センタ-までの間の工事現場を見ていると、完成が近い施設だが、ショッピングセンタ-のような雰囲気が無く、どうも道の駅の施設の様に思えた。後で桶川市の道の駅の情報を調べると2025年3月に開業する(べに花の郷おけがわ)という施設名が出てきた。この道の駅の隣に農業センタ-と生涯学習センタ-があって、そこには名前を書けば入れる立派な郷土資料館があって、時計を見たら時間が無いし、隣の図書館へ入る。係の人に郷土資料の場所を聞いて、気になる本を手にした。
児玉飛行場哀史 北沢文武著
児玉飛行場は桶川の飛行学校と同じで熊谷陸軍飛行学校の分教所のようなもので、主な陸軍特別操縦見習士官の二期生が入校していた。この桶川飛行場哀史を読んでいたら、根上淳(芸名)さんの名前があって思わず読みふけった。根上さんは法政大学の途中で特操二期生の試験に合格した。しかし訓練中に病気となり、戦友と別れ生き残った。この哀史は今まで自分が読んだ特攻本と印象が異なる。なぜだろうと思うと特操一期生は募集時に飛行機要員で悲壮感が薄い。叔父の親族の様子もただ招集令状が来た感じだった。ところがこの本では二期生は募集時に特攻する要員として募集していて、さらに訓練期間も一期生は6か月で二期生は4か月である。つまり一期生は敵戦闘機と交戦する技術の取得時間があった。ところが二期生は空に上がれば、回避の技術取得の必要性が薄く、時間が少なくても良いと思われていた様だ。従って哀史の本では機体の不備、着陸失敗の事故等の分析があって、急ごしらえの操縦士の不慮の死を多く書かれている。日本の軍隊は人の命を軽視している。優秀な飛行機乗りを特攻で費消し、訓練の足りない飛行士と物量で勝る米軍との空中戦ははっきりとした負け戦だった。叔父が茨城から台湾に移動する行程を見ると米軍を回避しているように見える。
代々木上原めおと坂 根上淳・ぺギ-葉山著
出だしの根上淳さんの戦時の様子。法政大学多摩キャンパスに根上淳さんも参加した、法政大学出身の戦没者慰霊碑がある。根上さんは特操二期生だったので、受験時から特攻のことを自覚していて、同期の仲間と戦死できなかったことを常に思っていた様だ。一期と二期の気持ちの差があるとは自分は知らなかった。ただ特攻死したのは一期生の方が多い。海軍でも昭和18年10月に入隊した甲飛13期生は大量入隊でさらに戦死者も多い。しかし次の期は入隊も多かったが、訓練する機体も少なくさらに燃料も無く、結局特攻要員と合格したのに、本土決戦用の待機要員となっていて、戦後に特攻崩れと批判された人となったと自分は多くの特攻本を読んでいて気がつく。命令した上司が戦後も戦友会等で反省することなく生きていること。これを上司の命令で死んでいった同期の仲間を想うとやるせない。この辺りが靖国神社へ訪問しているがまだ昇段参拝する気分にはなれない。
児玉飛行場哀史 北沢文武著
児玉飛行場は桶川の飛行学校と同じで熊谷陸軍飛行学校の分教所のようなもので、主な陸軍特別操縦見習士官の二期生が入校していた。この桶川飛行場哀史を読んでいたら、根上淳(芸名)さんの名前があって思わず読みふけった。根上さんは法政大学の途中で特操二期生の試験に合格した。しかし訓練中に病気となり、戦友と別れ生き残った。この哀史は今まで自分が読んだ特攻本と印象が異なる。なぜだろうと思うと特操一期生は募集時に飛行機要員で悲壮感が薄い。叔父の親族の様子もただ招集令状が来た感じだった。ところがこの本では二期生は募集時に特攻する要員として募集していて、さらに訓練期間も一期生は6か月で二期生は4か月である。つまり一期生は敵戦闘機と交戦する技術の取得時間があった。ところが二期生は空に上がれば、回避の技術取得の必要性が薄く、時間が少なくても良いと思われていた様だ。従って哀史の本では機体の不備、着陸失敗の事故等の分析があって、急ごしらえの操縦士の不慮の死を多く書かれている。日本の軍隊は人の命を軽視している。優秀な飛行機乗りを特攻で費消し、訓練の足りない飛行士と物量で勝る米軍との空中戦ははっきりとした負け戦だった。叔父が茨城から台湾に移動する行程を見ると米軍を回避しているように見える。
代々木上原めおと坂 根上淳・ぺギ-葉山著
出だしの根上淳さんの戦時の様子。法政大学多摩キャンパスに根上淳さんも参加した、法政大学出身の戦没者慰霊碑がある。根上さんは特操二期生だったので、受験時から特攻のことを自覚していて、同期の仲間と戦死できなかったことを常に思っていた様だ。一期と二期の気持ちの差があるとは自分は知らなかった。ただ特攻死したのは一期生の方が多い。海軍でも昭和18年10月に入隊した甲飛13期生は大量入隊でさらに戦死者も多い。しかし次の期は入隊も多かったが、訓練する機体も少なくさらに燃料も無く、結局特攻要員と合格したのに、本土決戦用の待機要員となっていて、戦後に特攻崩れと批判された人となったと自分は多くの特攻本を読んでいて気がつく。命令した上司が戦後も戦友会等で反省することなく生きていること。これを上司の命令で死んでいった同期の仲間を想うとやるせない。この辺りが靖国神社へ訪問しているがまだ昇段参拝する気分にはなれない。