棲息地:松本市島立の蔵 観察日:110505
小屋組みを受ける地棟が妻壁から突出した部分(下の写真)を漆喰で包み、意匠を施したものを「牛鼻」という。藤森照信さんはこの妻飾りの「路上観察用語」として「蔵ワッペン」を提唱していた(昨年茅野市民会館で開催された藤森照信展)。
水、寿などの文字の他、家紋などが飾られる蔵ワッペンは、鶴や亀、龍などの棲息地でもある。先日松本市内で見かけた蔵ワッペンには鶴が棲息していた。棲み始めてまだそんなに年数は経っていないと思う。
松本市梓川にて 100704
山屋のカエル
■「市民タイムス」に先日掲載された記事によると、戦時中は山屋御飴所が中心になって軍人の携行食として飴をつくって陸軍に納入していたそうで、このカエルは戦地に赴いた軍人が無事帰ってきて欲しいという願いを込めて据えられたそうだ。
松本市丸の内の某建築に棲息しているカエル なかなか堂々とした姿
棲息地:松本市大名町の住宅の玄関先の小屋根 観察日110428
玄関先の瓦屋根の上にちょこんと据えられたカエルを見つけた。 松本市内にはあちこちの建築にカエルが棲息しているようで・・・。
棲息地:安曇野市穂高の屋敷門の瓦屋根 観察日:110206
■ 塩の道・千国街道は糸魚川と松本を結ぶ旧道で、糸魚川からは「海の幸」が、松本からは「山の幸」が運ばれる物流路であった。糸魚川から長野県に入るとまず小谷村だが、村内の急峻な山道には人も馬も難儀しただろう。
千国街道は小谷から白馬、大町から穂高へと続いているのだが、この写真は火の見櫓目当てに出かけた安曇野百選ウォークラリーのコースに組み込まれていた千国街道沿いで撮った。仁王像と同様に阿形と吽形一対の獅子が、屋敷門の屋根に据えられていた。
■ 昨年読んだ『進化の設計』佐貫亦男/講談社学術文庫で著者は進化の過程で登場した様々な動物を評価している。特に空飛ぶ動物の評価は著者が航空工学が専門だけあって興味深い。評価が高かったのがトンボだ。著者は**トンボは造物主の傑作設計である。**と書いている。
本書によれば、トンボは古生代の石炭紀(原始トンボ、約3億年前)に出現したが、中生代の三畳紀(二億二五〇〇万年前から一億九〇〇〇万年前)に、一度姿を消しているという。
神様のお気に入りだったらしく、その後再登場して現在まで生きている。優れたデザインだったためだろうか、原始トンボとは大きさは異なるがデザインはそのまま引き継がれた。
数日前、松本市内のビルの屋根の上に棲むトンボを撮影した。以前ここは書店だった。その店名に因んで設置された大きなトンボは今もそのまま棲み続けている・・・。
■ 善光寺本堂、その正面の回廊の両端に梵鐘が吊るされている。この写真は本堂に向かって右側の梵鐘。
梵鐘の頂部には龍頭(りゅうず)という名前が付けられている。下の写真を見ると確かに龍の頭だ。因みに梵鐘の突起は乳。他にも撞座、上帯、中帯、下帯、草ノ間、池ノ間などの名前が付けられている。これらの名称はしばらく前、火の見櫓の半鐘について調べて知った。
ところで今年の干支は卯。どこかにウサギはいないものか、と善光寺の参道を探したが見つからなかった。薬局にウサギのマスコットが置かれているのを見かけるような気がするのだが(もう無いのかな・・・)、いざ探すとなるとなかなか見つからない。
今年はどんな生き物を探すことができるだろう・・・。
棲息地:高山市の吉島家住宅「たかにかい」の欄間 観察日:101011
奥の「たかにかい」
吉島家は明治8年の高山大火で全焼し、翌年再建されるも明治38年に再び類焼。現在の建物は明治40年の建設だと手元の資料(『日本の民家5 町家Ⅰ』)にある。
二階の部屋は家族や使用人の居室として使われていたという。過日吉島家を再訪した際、二間続きの「たかにかい」の板欄間に彫られたツバメに気がついた。
伝統的な家屋にはいろんな生き物がいる。それらを探すのも楽しい。
過去ログ←以前高山市内で見つけた鳥
棲息地:松本市波田 観察日:100920
棲息地:山形村 観察日:100502
■ 懸魚と蔵の妻飾りは鶴の代表的な棲息地です。他には、床の間の掛け軸、和室の欄間、襖・・・。でも床の間も欄間も襖も今の住宅にはあまりありません。
鶴の棲息地が次第に減っています。日本の伝統的な建築文化が次第に消えつつあるのです。
上は懸魚に棲む鶴、下は以前取り上げた妻飾りに棲む鶴です。両者驚くほど姿が似ています。波田と山形は隣り合っていますから、どちらかが、先にあった鶴のデザインを参考にしたのかもしれません。あるいは、鶴といえばこの形、というようにパターン化しているのかもしれません。
鶴は千年、波田の鶴も山形の鶴も長生きして欲しいと思います。
棲息地:長野自動車道梓川サービスエリア 観察日:100904
■ ライチョウはヨーロッパ北部からロシア北部、アラスカ、カナダ北部など北極に近い地域に棲息している。日本中部の高山は世界最南端の棲息域。日本の棲息数は最近2,000羽以下に減少しているという(3,000羽以上棲息しているという説もあるようだが)。
梓川SAの屋根に棲むライチョウを見かけた。これは雄かな、夏羽を纏ってじっとしている(私は学生時代、雲ノ平への山行でライチョウを見かけたことがある)。
ライチョウは氷河期の生き残りの野鳥だが、今や絶滅危惧種だ。温暖化が進行すれば、日本のライチョウは絶滅してしまうかもしれない・・・。
*本稿は8月30日付信濃毎日新聞の朝刊に掲載された全面広告の記事を参考にした。
撮影場所、撮影年月共に不明 なんということだ
**これは珍しいんです。ここに雀がとまるから、すずめ踊りとかすずめ遊びと言います。実は、これが相当重要な問題を孕んでいると私は見ているわけです。**(前稿に載せた藤森照信展のカタログより)
藤森さんは小屋根のてっぺんにのっている「ヘンなもの(藤森さんの表現)」、菱形のてっぺんの木片を鳥を意識したものではないか、と指摘する。屋根の上に鳥を飾る習慣が古くからあって、これは天と人間を鳥がつないでいるという思想に基づくものではないかと。銅鏡に描かれた古墳時代の絵にも屋根の棟に鳥がとまっているものがあるそうだ。
日本でも行われていたとされる鳥葬は死んだ後の魂が鳥に運ばれて天に行くという考え方によるものだった。それが現在のすずめ踊りに残ったのではないかというのが藤森さんの説。
5千年も前の土葺きが芝棟として現代まで伝わっているのだから、この鳥も古墳時代のものが伝わったのではないかとの指摘。
小屋根のてっぺんの仕口(接合部)を雨水から保護するために、大工さんが用心深く付けた単なる覆いとしての部材に過ぎないのではないか、と私などは思ってしまうのだが・・・。
藤森さんの説に従って本稿を「建築に棲む生き物たち」のカテゴリーに入れる。
メモ)芝棟を土葺きのなごりとする説もおもしろい。
1942
棲息地:松本市内 観察日:100814
名前が分かりません。まだ幼い鳥のようですが・・・。どうして瓦にとまっているのでしょう。
棲息地:茅野市民館 観察日:100808
茅野市民館内にあるカフェ・アンダンテ。入り口のゲートの上にゾウが棲んでいます。これはゾウだと、先日気がつきました。円い体の中のC、これは耳でしょう。CHINOのCをデザインしたのかな。
■ 二宮と聞くと嵐の二宮和也君を思い浮かべる人が多いかもしれない。私は映画「硫黄島からの手紙」での彼の好演が記憶に残っている。
薪を背負って本を読むこの姿は二宮金次郎。否、二宮カエルだ。松本の観光スポット、縄手通りに立っている。
縄手通りにはカエルが棲んでいる。なぜ縄手にカエルなのか知らないが、何匹も棲んでいる。何匹なのか、観光パンフレットに載せたらどうだろう。松本検定の問題にいいかもしれない。私は数えたことがないので答えを知らないのだが。
先日、夕方の街中散歩で縄手を通った。観光客と思しき若い女性がこのカエルにカメラを向けていた。で、私も向けた。