透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

33会 九州旅行7

2025-01-13 | A あれこれ

1月10日(金)その2  


33会 九州旅行記 ラスト稿


入場券や箸袋をダイアリーに貼る。ずっと前から、こんなことをしている。

 気の合う友だちが何人かいること、それから自分はもちろん、家族も健康なこと、そうでないとこのような旅行はできない。33会の旅行に毎回参加できていることを大変幸せに思う。友だちにも、家族にも感謝したい。

**楽しそうだね 憧れるわ** **そういう老後が理想だわ 足腰丈夫じゃないと楽しめないね** 家族LINEで今回の旅行の報告をしたところ、Aからこのようなメッセージが届いた。


旦過市場(たんがいちば)


地図を見ると、小倉駅は徒歩圏内。駅に向かって歩きながらラーメン屋を探すことにした。小倉にも美味いとんこつラーメン店があるだろう。




旦過市場のすぐ近くのY字路

しばらく前に書店で『Y字路はなぜ生まれるのか?』という本を目にし、パラパラと中を見たので、Y字路にも目が行くようにいなった(ただし趣味に加えるつもりはない、とキッパリ)。それにしてもこのY字路はなかなかじゃないか。いかん、仲間は大分(だいぶ)先を歩いていく・・・。

美味いとんこつラーメンが食べたい。ラーメン屋求めて、どのくらいだろう。ラーメン屋が見つかっても準備中だったり、昼食にありつけない・・・。






ラーメンは諦めて、小倉駅のすぐ近くの「磯丸水産 小倉魚町店」で昼食。実に美味、それに安かった。



「森 鷗外  京町住居跡碑」

森 鷗外旧居まで足を延ばしたかったけれど、女性たちは買い物、買い物だから、その時間を十分とらないといけない。で、駅に戻ることにした。駅の構内の店舗でお土産を買い求め、女性たちが買い物ブギの間、ぼくはスタバで休憩。

帰りは小倉駅発14時52分、のぞみ38号。荷物を預けたロッカー前に15時30分集合と決めて。この時刻の少し前にロッカーへ。


大型のロッカーに3人分の荷物を預けていた。ロッカーにカギを差し込んで扉を開けた。

無い! 

3人の荷物が無い。頭が真っ白になった。頭髪は既に真っ白だけど。

一緒に荷物を入れていた二人が買い物を終えて、やって来た。「預けた荷物が無いんだけど」「えっ?」

隣りのロッカーは? 冷静な誰かが声を出した。誰だったのか覚えていない。右隣りのロッカーの扉が開いた。カギがかかっていなかった。中に3人の荷物が入っていた。

荷物を納めて左手で扉を押さえて、右手で100円玉を9個入れていれば、こんなミスは起こりようがない。100円玉が9個も無かったので、一旦ロッカーから少し離れて、2人から不足分を受け取った後、隣りのロッカーに投入した・・・。どうもそんなことのようだ。

良かった。もし見つからなかったら、どうなっただろう、と思うと今も心拍数が上がる。寿命が2年は縮まっただろう。ただでさえ短いのに。

荷物を入れたロッカーではなく、左隣りのロッカーにお金を入れて、カギをかけたのだった。で、荷物を入れたロッカーはカギをかけていない状態だった。これが真相だろう。他に考えられない。

おいちゃんも歳をとって、注意力がますます散漫になり、間違いをするようになった。それにしても考えられないミスだ。被害を最小限にするためには、貴重品は残しておかないことはもちろん、1人1ロッカーとすることだ。それから何を持ってきているのか詳細に記録しておくこと。



小倉駅から名古屋駅まで3時間。そのまま東京まで行くRさんと別れて、特急しなのに乗り換えて塩尻、松本へ。


旅行中よく歩いた。

  8日:  6031歩
  9日:12,173歩
10日:12,212歩

足腰が弱ってみんながこんなに歩けなくなってきたら、温泉でまったり過ごす旅行にしようかな。


 


33会 九州旅行6

2025-01-13 | A あれこれ

1月10日(金)その1

小倉日記

 昨夕(9日)から明け方にかけて、北九州では雪が舞った。朝(10日)、ホテルの部屋の窓から外を見ると、国道199号を車がかなりスピードを落として走行していた。1cmほどの積雪があり、路面は凍結しているところも。

9時にホテルのシャトルバスで門司港駅に向かう(このサービスを昨晩も利用できた。有り難かった)。門司駅から小倉駅までの所要時間はおよそ15分。小倉駅のロッカーに荷物を預け(このときぼくはとんでもないミスをしでかしていた・・・)、徒歩で八坂神社へ。

八坂神社

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神社にお詣りするときは願いごとをするのではなくお礼をするもの、ということを昨年(2024年)の6月に塩尻ので行われた作家・山本一力の講演で知った。お賽銭を投じ、1年間無事過ごせたことに感謝して、2礼2拍手1礼。

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拝殿の両側に狛犬がいた。 観察省略


小倉城


焼失した小倉城は1959年(昭和34年)にRC(鉄筋コンクリート)造で復興されたが、外観も焼失前の姿とはかなり相違しているとのこと。実際にはなかった破風などが付加され、華麗な印象になったようだ。


昨夜の降雪のなごり


内部は資料館になっていた。小倉城は「城の姿をしたミュージアム」とでも括ればよいだろうか。

展示されていた城下のジオラマに火の見梯子があった。梯子の上半分は背を低くして中を覗かないと見えなかったから、気がついて良かった。旅行先でも「やぐらセンサー」はちゃんと反応してくれた。 写真を撮っただけで、注意深く観察することはできなかったが、嬉しかった。

城にはエレベーターがあったけれど、階段を上って天守のてっぺん(5階)へ。そこカフェ。あれれ・・・。だから、ここは城の姿を纏ったミュージアムなんだって。


松本清張記念館


既に何回も書いたが、松本清張は私を読書好きにしてくれた作家だ。中学2年生の時だったと記憶しているが、『砂の器』を読んだ。松本清張の代表作で映画にもなり、テレビドラマにもなった作品だが、こんな面白い小説があるんだ、と感動したことを今でも覚えている。それ以来、松本清張の作品をずっと読んできた。

松本清張記念館が小倉にできたのは、1998年(平成10年)のこと。設計者は松本市美術館も設計された宮本忠長さん。ずっと行きたいと思っていたから、念願が叶った。


エントランスから展示室方向を見る。壁一面に掲示されたすごい数の本の表紙。展示ケースの原稿や手紙、はがき。取材ノート。愛用していたニコンのカメラ・・・。度の強いメガネ。再現された書斎。愛用していたモンブランの万年室・・・。残念ながら展示室内の写真撮影は禁止されていた。


次は旦過市場。