透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「思春期をめぐる冒険」岩宮恵子

2020-09-03 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界』岩宮恵子(新潮文庫2007年発行)

 2007年に村上春樹の作品を集中的に読んだ(過去ログ)。その時期にぼくは臨床心理士である著者の『思春期をめぐる冒険』も読んだ。村上作品は知人にあげてしまったが(下の写真)、この文庫は残した、というか残っていた。


 
茂木健一郎氏がこの本の解説を書いているが、その中で村上作品について**村上春樹さんの小説の最大の美質は、通常抽象的と片付けられている観念の世界の事物が、目の前のコップや椅子と同じくらいのリアリティを持っていることを見抜いている点にある。**(312頁)と評している。的確な指摘だと思う。

この『思春期をめぐる冒険』については、カバー裏面に**「フィクションとノンフィクションの交錯する点を掘り下げ、心の深層の知恵を示しつつ、村上春樹作品と心理療法の本質に迫る名著である」**という河合隼雄氏の評が載っている。

村上作品を再読することはないと思うが、この本はいつか再読したいと思う。臨床心理士が読み解く村上春樹の世界、とても興味深い。

『思春期をめぐる冒険』という書名は『羊をめぐる冒険』を意識して付けられた、と見てよいだろう。




 


「漱石文明論集」

2020-09-01 | H ぼくはこんな本を読んできた

 「ぼくはこんな本を読んできた」に既に85稿の記事を書いた。あと15稿書いてちょうど100稿になったところで、おしまいにしたい。自室の書棚に残した文庫本を全てここに挙げることもあるまい。「本棚を見られるのは裸を見られるより恥ずかしい」と考えている人もいるのだから。

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『漱石文明論集』三好行雄 編(岩波文庫1997年第24刷発行)「現代日本の開花」「私の個人主義」などの講演録などを収録している。


『私の個人主義』夏目漱石(講談社学術文庫2002年第45刷発行)

**文豪漱石は、座談や講演の名手としても定評があった。身近な事がらを糸口に、深い識見や主張を盛り込み、やがて独創的な思想の高みへと導く。その語り口は機知と諧謔に富み、聴者を決してあきさせない。(後略)**『私の個人主義』カバー折り返しの本書紹介文より。


 


「暗夜行路」志賀直哉

2020-08-31 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『暗夜行路』志賀直哉(新潮文庫1994年12刷)

 いきなり余談から。『暗夜行路』の巻末に阿川弘之氏の「志賀直哉の生活と芸術」と題する解説文が載っている。阿川氏の娘・佐和子さんは小学校に入学する時、志賀直哉からランドセルをプレゼントされている。ぼくはこのことを佐和子さんのエッセイで読んだような気がする。黒いランドセルではなかったか。

『暗夜行路』は志賀直哉の代表作で、500頁超の長編。主人公の謙作は母と祖父との間に生まれた子どもであり、妻は謙作が留守中にいとこと過ちを犯す。このようにこの小説は暗くて過酷な状況設定だ。ほぼ同時期に書かれた藤村の『夜明け前』も暗い(夜明け前なんだから当然か、って冗談ではなく)。そういえば永井荷風の『夢の女』も主人公に過酷な人生を課していたなぁ・・・。


 


「氾濫」伊藤 整

2020-08-29 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 「チャタレイ夫人の恋人」がわいせつ文書にあたるとして、翻訳した伊藤 整が版元の社長と共に起訴され、有罪となったことを知っている人は少なからずいるだろう。だが、今この作家の作品を読む人は多くないかもしれない。

ぼくが『氾濫』(新潮文庫1974年22刷)を読んだのは1974年12月のことだった。この小説のテーマは人間のエゴ。

この文庫のカバー裏面には作品紹介文が載っていないから、代わりに巻末の奥野健男氏の解説から引く。

**人間はみんな醜いエゴイズムの持主で、世間と偽りの妥協を行って生きている、これが人間社会の実体なのだ、と作者は言っているようだ。**(552頁)

**偽りや虚飾を取り去り、人間の真実の姿を描こうと、皮剥ぎの苦労を重ねて来た近代日本文学が、この小説においてその極限にまで達し、ついに捉らえた真実が、人間は真実には生きられず、偽りの中に生きている、ということであったのは皮肉というほかない。**(553頁)

**『氾濫』は、伊藤 整氏の文学の集大成であり、近代文学の記念すべき傑作である。**(553頁)奥野氏は解説をこのように結んでいる。

この長編が傑作だと評されていようと、細かな活字で540頁超の長編を再読する気力はもうないなあ・・・。


前稿に書いたようにこのカテゴリーに載せた文庫本が100冊になった(上下2巻の作品は2冊と数えているので、記事の数は100に達していない)。


「忘却の河」福永武彦

2020-08-28 | H ぼくはこんな本を読んできた


『忘却の河』福永武彦(新潮文庫1979年17刷)


 何回も繰り返し読んだ数少ない作品のうちのひとつ。初読は1981年9月。この作品のキーワードは「孤独」。

**御自分が寂しい人だから、わたしみたいな寂しそうな女を見ると親切にしなくちゃ気がすまないのよ。**(54頁) 

ブログの過去ログを確認すると、この件(くだり)を何回も引用して載せている。なぜ、この件か、もちろん分かっているが、ここに書かない。今後、もし再読するとすれば『草の花』だと思う。だが、この『忘却の河』は残さなくては・・・。

このカテゴリーで取り上げた文庫を自室の書棚に並べなおしているが、数えると『忘却の河』が100冊目だった。101冊目の誤り。再読した『桂離宮』和辻哲郎が漏れていた。


『草の花』福永武彦(新潮文庫1981年45刷)


 


「真実一路」山本有三

2020-08-28 | H ぼくはこんな本を読んできた

 山本有三に『波』という小説がある。ぼくはこの小説を中学3年のときに学校の図書館で借りて読んだということを覚えている。内容はすっかり忘れてしまったが、暗い内容だったような気がする。



今、自室の書棚に山本有三の作品では『真実一路』(新潮文庫1994年91刷)がある。

例によってカバー裏面の本作紹介文から引くが、その内容からこの作品も暗い内容であることが分かる。

**父、姉と三人の、一見平和で穏やかな環境に育った義夫少年は、厳格な父になじめず、死んだとされている母が生きていると思い始め、熱烈な思慕を抱くようになる。父は何も話さないが、母は自己に忠実に生きて愛人のもとへ去ったのであり、姉も父の子ではなかったのだった・・・。(後略)**

山本有三の代表作はよく知られた『路傍の石』だろうが、この作品もまたトーンが暗い。今読んでいる畠山健二の『本所おけら長屋』(PHP文庫)のような、落語のように面白い小説(時にほろりとさせられる)も好きだが、ぼくは暗い作品に共感、同調する心の持ち主だ。


 


「エンデュアランス号漂流」アルフレッド・ランシング

2020-08-26 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『エンデュアランス号漂流』アルフレッド・ランシング(新潮文庫2001年4刷)

 「生還もの」などというカテゴリーがあるのかどうか、『アポロ13』は月に向かっていたアポロ13号が大事故を起こし、宇宙に取り残される危機に陥った3名の乗組員が奇跡的に地球に生還したことの実録。

書棚には大海原を何日も漂流して、奇跡的な生還を果たしたという実録記がある。「生還もの」を読むと、絶望的な状況下であっても、決してあきらめることなく、「生きる、生き抜く」という強い意志を感じ、感動する。そして、読む者は恵まれた環境というか、状況に生きているということを改めて実感する。自分が抱え込んでいる困難など大したことはない、と気持ちが和らぐ。

**1914年12月、英国人探検家シャクルトンは、アムンゼンらによる南極点到達に続いて、南極大陸横断に挑戦した。しかし、船は途中で沈没。彼らは氷の海に取り残されてしまう。寒さ、食料不足、疲労そして病気・・・絶え間なく押し寄せる、さまざまな危機。救援も期待できない状況で、史上最悪の漂流は17ヶ月に及んだ。そして遂に、乗組員28名は奇跡的な生還を果たす――。その旅の全貌。**『エンデュアランス号漂流』カバー裏面の紹介文より。

     
『たった一人の生還 「たか号」漂流二十七日間の闘い』佐野三治(新潮社1992年2刷)
『死の海からの生還』ケント・ハールステット(岩波書店1996年第1刷)
『ダイバー漂流 極限の230キロ』小出康太郎(新潮OH!文庫2000年)
『あきらめたから、生きられた 太平洋37日間 漂流船長はなぜ生還できたのか』武智三繁(小学館2001年)


そういえばジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」を小学生のころ読んだなぁ。


 


「アポロ13」

2020-08-25 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『アポロ13』ジム・ラベル&ジェフリー・クルーガー(新潮文庫1996年11刷)

 **「ヒューストン、トラブル発生だ」1970年4月13日、アポロ13号は月まであと一歩という段階で考えられない大事故を起こした。酸素タンク、燃料電池、電力ラインが爆発損傷し、3名のパイロットが宇宙に取り残される危機に陥ったのだ。(後略)** 以上カバー裏面の文章より引用。

SF映画のような展開。大事故から奇跡の生還。13という数字が良くなかったということも言われた。この本によると、打ち上げは1970年4月11日の13時13分(ヒューストン時間)だったそうだ。

同じアポロ13号の事故を扱った単行本が書棚にある。『アポロ13号 奇跡の生還』ヘンリー・クーパーJr 立花 隆 訳(新潮社1994年3刷)。



この本には次のような件(くだり)がある。**宇宙飛行士も、管制官たちもほとんどが二〇代、三〇代だったのである。飛行主任として地上スタッフを取りしきり、この危機を切り抜けた現場の最高責任者、ジーン・クランツは三六歳だったのである。**(まえがき) アポロ計画は若いスタッフたちが担ったプロジェクトだった。アメリカの宇宙技術を支える人材の凄さを示していると思う。宇宙技術だけでなく、他分野も同様なのだろう。


 


「ホモ・ルーデンス」ホイジンガ

2020-08-24 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 ホイジンガと言えば『中世の秋』。中公文庫に収録されているが、書棚にあるのは『ホモ・ルーデンス』(中公文庫2011年29刷発行)だ。奥付けを見るとこの文庫の初版は1973年。初版が出たころ読んだ、ということならわかる。あの頃はジャンルに関係なく、いろんな本を読んでいたから。だが、これは2011年発行だからそれ程昔のことではない。動機は分からないが(*1)、とにかくこの本を買い求め、読んだわけだが、内容については記憶にない。買ってはみたもののきちんと読まなかったのかもしれない。まあ、これは書棚にあるだけで満足、という本でもあるわけで・・・。

例により以下にカバー裏面の紹介文から引く。

**「遊び(ルードゥス)」のおもしろさは独自のもの、人類文化の根幹たる美的形式を支えるもの――遊びのなかで、遊びとして、「文化」は生まれ、発展してきたことを、文化人類学と歴史学を綜合する雄大な構想で論証し、遊びの退廃の危機に立つ現代に冷徹な診断を下す、今世紀最大の文化史家の記念碑的名著**


*1 2011.08.09の記事に次のように書いてあった。**先月末、松本市美術館で開催された松本安曇野住宅建築展、第5回目となる今回のテーマは「あそびごころ」だった。「あそび」という言葉からホイジンガの『ホモ・ルーデンス』が浮かんだ。**  このようなことで本を注文したのだった。


「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」フィリップ・K・ディック

2020-08-23 | H ぼくはこんな本を読んできた

  
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック(ハヤカワ文庫2003年46刷)

 映画「ブレードランナー」の原作。ぼくはこの小説を2003、4年頃読み、2019年に再読した(過去ログ)。
昨年は書斎がカオスな状態で、左の文庫(2003年46刷)が見つからず、右の文庫(2017年82刷)を改めて買い求めて読んだ。

カバー裏面の紹介文から引く。

**第三次大戦後、放射能灰に汚された地球では、生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人工の電気羊しかもっていないリックは、本物の動物を手に入れるため、火星から逃亡してきた〈奴隷〉アンドロイド8人の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、決死の狩りをはじめた!(後略)**


5月の減冊で、新しい方の文庫(写真右)を処分した。右のカバーデザインもなかなか好いが。


「夜明け前」島崎藤村

2020-08-23 | H ぼくはこんな本を読んできた



 ぼくはこんな本を読んできた。今回は島崎藤村の『夜明け前』(新潮文庫)。この長編小説を2回読んでいる。右の4巻(1993年)を1994年に読み、20年後の2014,5年に左の4巻(2013)を読んだ過去ログ)。(*1)

今年の5月に本をだいぶ処分したが、その際、古い右の4巻を処分した。この長編小説はもう一度読むことになるかもしれないと思い、活字が大きくて読みやすい新しい左の4巻を残した。



NHKの教育テレビ(現在のEテレ)で1992年の4月に始まった「人間大学」(「人間講座」という番組に引き継がれ、2005年の3月まで続いた)で、講師のひとり加賀乙彦が担当した「長編小説の楽しみ 世界の名作を読む」でもこの『夜明け前』が取り上げられた。ちなみに日本文学では他に『或る女』『暗夜行路』『細雪』『迷路』(野上弥生子)が取り上げられている。

加賀乙彦は『夜明け前』を**日本の近代小説の白眉だと思う。(テキスト86頁)**と評価している。また、文芸評論家の篠田一士が「二十世紀の十大小説」(*2)に挙げている。

藤村の父親をモデルにした主人公、青山半蔵の生涯を時代の大きな流れの中に書き、その一方で江戸から明治へと大きく動いたこの国の歴史そのものを書いている。スケールの大きな小説だと思う。


*1 それ以前にも一度読んだかもしれない。
*2 二十世紀の十大小説



「空間の日本文化」オギュスタン・ベルク

2020-08-22 | H ぼくはこんな本を読んできた



 日本論、日本人論は読みたくなる。外国人によって書かれたものはなおさらだ。古くは戦後まもなく出版された名著『菊と刀』はじめ何冊も読んできた。過去ログ 過去ログ2 『空間の日本文化』オギュスタン・ベルク(ちくま学芸文庫2011年第9刷発行)もその内の1冊。

**フランス日本学の若き第一人者による画期的な日本論。日本語の構造、心のありよう、家族・企業などの組織原理、都市空間、土地利用など、日本文化特有の有機的な空間性を多面的に検証し、統一的な視座を提出する。外部からの光により浮き彫りにされる日本的空間の全体像。** 

ここに引用した本書解説文から分かるように論考対象が限定的ではなく多岐に亘っている。そしてそれらを横刺しにして論じている。やはりどんな研究分野であれ、総体、全体像を示すという作業は欠かせない。


 


「M/Tと森のフシギの物語」大江健三郎

2020-08-21 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『M/Tと森のフシギの物語』大江健三郎(岩波書店 同時代ライブラリー1994年第5刷発行)

 大江健三郎の作品は新潮文庫で何作も読んだが、そのほとんど全てを処分してしまった。書棚に並ぶのは単行本を除けば『M/Tと森のフシギの物語』と『ヒロシマ・ノート』岩波新書のみ。

『M/Tと森のフシギの物語』を残したことに特に理由はない。偶々残った、といったところ。この先再び読むことがあるかどうか、まあ、ないだろう・・・。

大江健三郎と安部公房の作品、今後読み直すとすれば安部公房の作品と判断し、安部公房の作品は残した。この秋に『砂の女』『方舟さくら丸』『箱男』など、何作か読みたい。

本は好い。いつでも書棚から取り出して読むことができるから。


 


「旅はゲストルーム」浦 一也

2020-08-19 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『旅はゲストルーム 測って描いたホテルの部屋たち』浦 一也(光文社知恵の森文庫2004年初版1刷発行)

 著者の浦 一也氏は建築家・インテリアデサイナー。旅先でホテルにチェックインを済ませると、浦氏はまず部屋の中の写真撮影と実測をし、部屋の平面や断面、家具や備品、さらにディテールから色彩まで調べ尽くして1/50のスケールで上のようなスケッチというか、記録をとり、水彩絵の具で着色するそうだ。要する時間は約1時間半から2時間だという。**私にとって旅とは、ゲストルームを測り描く、いわばホテル探検の旅でもある。**(6頁)と書いておられる。

旅行というと事前にガイドブックで見たりインターネットで調べたものを現地で確認し、それを写真を撮って、あるいはそれをバックに写真を撮ってもらって満足。と、このようになりがちだが、浦氏のような「自分だけの旅」ができたらすばらしいと思う。

この本には世界のあちこちのホテルの客室の彩色された詳細図(詳細画かな)や風景スケッチが多数掲載されている。それらを見るだけでも楽しい。

ぼくも旅行には必ずスケッチブックを持っていこう。


 


「桂離宮」和辻哲郎

2020-08-18 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『桂離宮 様式の背景を探る』和辻哲郎(中公文庫2011年改版発行)

 この文庫の初版発行は1991年だが、手元にあるのは2011年発行。残した文庫には40年も前に読んだものが多い。だから、この本はそれ程古くはない。ついこの間読んだ本、という感じだ。

カバーデザインが好い。桂離宮という漢字はやはり明朝体が好い。著者名の大きさと配置も、桂離宮の庭園の地面のクローズアップとその配置もぼくは好き。

**藤原氏ゆかりの地に古今集の風景観を意識して作られたという桂離宮。この簡素で調和の取れた建築・庭園を作り上げた、後陽成天皇弟・八条宮とその周囲の人々、江戸の教養人の美意識、制作過程などの背景を克明に探る。
豊かな知識と繊細な感性そして流麗な文章。
日本人の美の極致を捉えた、注目の美術論考。** 以上カバー裏面の本書紹介文の引用。

数日前に再び読み始めた。






和辻哲郎といえば『風土』。文庫本は処分したと思う、単行本があるからと。だが、単行本が書棚に無い、無い! (写真は過去ログ)


追記 2020.08.22  『風土』が見つかった。以前とは別の書棚に並べていた。