「Sちゃん」
「あ、U1さん、お久しぶりです。これってなんだかいつものパターンですね。でもきょうはSさんでもみやーざさんでもないんですね」
「そ、今回はSちゃん」
「え~、どうして?」
「Sちゃんて美大出身でしょ・・・ちょっとそこでお茶しよう」
「ほんとに~? いいですよ。でもなんだかオジンくさい誘い方ですね」
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「わたしはオレンジジュースにしようかな」
「じゃ、ホットコーヒーとオレンジジュース」
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「え~、ブログの写真っていつもこのカメラで撮っているんですか?」
「そう、持ち歩くには便利だから」
「もっと大きなカメラで撮っているのかと思ってました。ちょっと見せてください。あ、これって、繭蔵っていうんでしたっけ」
「そう」
「おしゃれですよね、それにモダン」
「そうでしょ?、でも今から110年以上も前に出来たんだよね」
「そんなに昔?なんだか気持ちがいいんですよ、こういうのって」
「繰り返しの美学もそうだと思うけどさ、窓のレイアウトが単純な幾何学的なルールに従っているでしょ」
「幾何学的なルール?、あ、そうですよね、市松模様って単純なルールですよね」
「ま、これは平面上で、窓を繰り返していると考えてもいいかも知れない」
「これも繰り返しですか・・・」
「ん、でね。これって知性に訴えるんだよね。蛙や虫の鳴き声って、ヨーロッパの人たちには雑音にしか聞えないっていうでしょ?」
「あ、それ聞いたことあります。日本人って虫の声を右の脳で聞いているんだとか」
「そう、右脳、つまり感性で聞いている訳でしょ。でさ、この繭蔵が美しいって思うのは感性ではなくって、知性なんだと思うんだよね、左脳の働きかな」
「そうなんだ。絵を観て美しいって思うのとは違うんですね」
「そう、絵や和風庭園は感性に訴えてくるんだと思うけど。単純なルールによって秩序づけられたものって感性ではなくて知性だと・・・」
「なんとなく分かります。次の写真を見るのはどうすればいいんですか?」
「ここを押すと次の写真、ほら」
「この写真の建築はなんです?新建築?」
「そう、「新建築」っていう月刊誌の表紙でこれは、ドイツにできた、確かデザインスクール」
「へ~、これ学校?」
「よく分からないけれど専門学校みたいなものかも知れないね」
「さっきの蔵と違って窓が不規則ですね」
「そうだね、正方形の壁面に正方形の窓がレイアウトされているけど、並べ方のルールが分からないよね」
「そうですね、コンクリートの壁にこんなふうに窓ってつくること、できるんですね」
「現代建築のデザインってこういう方向に進んでいくんだろうね。Sちゃんはどっちが好き?」
「え~、わたしは蔵がいいな。蔵のほうが美しいと思う」
「だよね、こうやって恣意的にレイアウトされると、知性には訴えてこないんだろうね、根拠というかルールがわからないから、でもこれからこういうデザインが増えると思うな」
「レイアウトのルールが分からない・・・、わたし先月京都に行って来たんですけど、龍安寺の石庭って、石の配置にルールってあるんですか?」
「あの配置にもルールがたぶんあると思うけど、分からないよね。でも美しい・・・感性に訴える美なんだね」
「あ、そうか、あの庭って感性に訴えてくるってこと? この壁の窓のレイアウトは石庭のようには美しくない。ドイツにあるんでしたっけ?ドイツの人たちはこのデザインをどう感じているんでしょうね。美しいって思っているのかな・・・」
「ヨーロッパの建築の美って知性が反応する美だと思うから、こういうのはどうなんだろうね。日本の有名な建築家のデザインってことは知っているだろうけど」
「あの、アールヌーボーなんかは日本の影響? 形が不整形だし。ガレなんかはモチーフによくトンボを使ってますよね、知性というより、感性が反応する美だってあると思いますけど」
「エミール・ガレでしょ、そうだね、でもアールヌーボーは結局ヨーロッパにあまり馴染まなくって幾何学的なアールデコに移っていったんじゃないのかな、よく分からないけど。ガウディのデザインだって継承されなかったでしょ」
「ふ~ん、そうなんだ。あの教会、魅力的だと思うけどな。それにロンシャンだって・・・」
「そうか、ロンシャンだって幾何学的なルールなんてなさそうだね。う~ん、分からなくなってきたぞ。ところでSちゃん、髪、短くしたね」
*いつまでも続く会話・・・、ブログに載せるのはこの辺で、キリがないから。