透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

無常観

2009-03-15 | A あれこれ

 前稿に建築談議を収録しました。本稿はその補足です。

水にただよう浮き草に 同じさだめと指をさす」と牧村三枝子が歌ったように日本人の無常観は演歌にもよく出てきます。建築談議ではこの歌が浮かばず美空ひばりやテレサ・テンの歌を挙げました。

日本人の無常観を指摘するなら「方丈記」でも「平家物語」でもよかったのですが、どちらも冒頭を正確に諳んじることができないので挙げることができませんでした。私もKちゃんも古文は苦手。まあ、酒を呑みながらなら古文より演歌でしょう。

この無常観が東京を始めとして日本の都市が根無し草になりつつあること、言い換えれば都市としてのアイデンティティーを喪失しつつあることの根底にもあるのだ、ということを語りました。

常に変容する営みこそが東京という都市の魅力であり、アイデンティティーなのだ、というように肯定的に捉える人もいます。この意見にチラッと異を唱えたつもりです。都市には歴史を記憶している建築が必要だと思うのです。やはり根無し草ではさみしい。ですから東京中央郵便局の保存を歓迎したいと、私は思っています。

Kちゃんは剥製保存ではあまり意味がないのではないか、という意見でした。では現状のまま使い続けることがいいいのかというとそうでもないようで、面積が不足し、また機能的に支障がある建築を「無理に」使いつづけることは建築本来のありよう、使い方とは違うのではないか。建築は文化だというのは副次的なことではないか。都市も日本人の無常観が具現化されたもの、だから変容する日本の都市を受け入れてもいいのではないか、と自論を語りました。

前稿ではこの部分を省略してしまったので、本稿に載せておきます。

Kちゃんはどんなことにも自分の意見をきちんと述べる人。これからも時々誘おうと思っています。

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サブタイトルに惹かれて買い求めた『偶然を生きる思想「日本の情」と「西洋の理」』野内良三/NHKブックスを読み始めました。

第1章の章題は「無常の日本美」。この章で著者は日本人の「無常の美学」を西洋の「恒常の美学」と対比しながら論考しています。

**日本人の美意識には瞬間的なもの、滅びゆくものへの嗜好が確かにあるようだ。言い換えれば日本人は無常なものに美を見いだすということだ。(中略)西洋の人びとは永遠のもの、無限のもの、不変のものに美を見いだす。また、永遠のもの、無限のもの、不変のものを創り出すことこそが美の創出だと信じている。(後略)**

なぜ西洋の建築には繰り返しの美学が頻出するのか、なぜ日本人は日本庭園などに見られるように繰り返さないという美学に惹かれるのかという私の関心からすると大変興味深い本です。

この本から一首。

うつせみの世にも似たるか花ざくら咲くと見しまにかつ散りにけり

まもなく日本人の無常観にピッタリの桜の季節ですね。


注:繰り返さないという美学、この表現は必ずしも適切ではありませんが、便宜的に使っています。