■ 宇江佐真理さんの髪結い伊三次捕物余話シリーズで文春文庫になっているのは13巻(16年3月末)だが、その全てを読み終えた。13巻目の「名もなき日々を」の単行本の刊行が13年11月、文庫化されたのが16年1月。単行本で後3巻(下の写真)あるが、それらの文庫化はいつ頃になるだろう・・・。上の例から2年後くらいだろうか。いや、もっと早いかもしれない。
13巻目のカバー折り返しの著者紹介に27年11月逝去とある。そう宇江佐さんは昨年11月に癌で亡くなっている。
宇江佐さんは10巻目の「心に吹く風」のあとがきでご自身の病気について詳細に記している。**渋々、言われた通り日赤に行き、血液検査をすると、腫瘍マーカーの数値が異常に高かった。これは何かの癌で、しかも骨に転移していると血液腫瘍科の医師は言った。 (中略) 小説の中で、さんざん人を殺しておいて、作者だけが無傷でいるというのも虫のよい話だと肚をくくった。 (後略)**
**この先、どうなるかは私もわからないが、たとい、余命五年と言われても、三カ月と言われても、多分、私は動揺しないと思う。その日まで、いつも通り、食事を作り、洗濯、掃除をして、そして作品を書いていればよいのだから。**
ここまで、冷静でいられる自信は私にはない。
髪結い伊三次捕物余話シリーズは20年以上も続いた作品だが、通読して宇江佐さんの江戸の市井の人たちに対する優しいまなざしを感じた。
作中の凄惨な事件はこの小説の主たる要素ではない。「名もなき日々を 手妻師」では浅草の座元(興行主)が殺され、主犯として鶴之助という手妻師(手品師)が捕縛される。鶴之助は市中引き廻しの上、死罪を言い渡される。だが、牢奉行所で裁きを受ける前に姿を晦ましてしまう。
**「手妻師だからな。あり得ぬ話でもねェ」
不破友之進はさして驚きもせず、むしろ愉快そうに伊三次へ言ったものである。伊三次もまた、鶴之助が生き延びて、どこかで手妻をしていることを、ひそかに心の中で願っていたのだった。**(148頁) 宇江佐さんはこのように物語を結んでいる。座元を殺さざるを得なかった訳を知る私の心も同じだった。
主人公・伊三次の優しさにも惹かれたし、彼が涙もろいところも好きだった。お文さんもとても魅力的な女性だった。これらは宇江佐さんの人柄の投影であろう。宇江佐さんは息子さんの友だちの顔を思い出しながら登場人物の造形をしたと「雨を見たか」のあとがきに書いている。
また、宇江佐さんはビジネス手帳の後ろについたビニール袋に心に残った新聞記事の切り抜きなどを入れていることを「我、言挙げす」のあとがきで明かしていて、**小説家は、何も想像力だけを駆使して小説を書くわけではない。心に残ったでき事(原文通り)、言葉などを参考にすることもある。**と書いている。
宇江佐さんは誠実な人だったのだろう・・・、でなければこのようなことまで文庫のあとがきに書かないだろう。
60代半ばで逝ってしまった宇江佐さんが残した作品を読みつくそうと思う。