透明タペストリー

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ラーメンにおけるナルトの存在意義に関する一考察

2019-11-28 | A あれこれ

 東海林さだおさんの食エッセイ、丸かじりシリーズは「タクアンの丸かじり」、「親子丼の丸かじり」、「どぜうの丸かじり」、「パンの耳の丸かじり」などなど何冊も文春文庫になっている。先日読んだ「レバ刺しの丸かじり」のカバー折り返しに載っている同シリーズの冊数を数えると23冊もある。

「レバ刺しの丸かじり」に収録されている「とナルト、ナルトは」で東海林さんは注文したラーメンにナルトが入っていると**「まいったなー」とか、「弱ったなー」というのとは少し違って、「ややこしいことになった」といったところが、ぼくの場合の心境です。**(17、8頁)と書いている。

「ナルト以後」つまりナルトを食べてしまった後のラーメンは**丼の中がすっきりし、快適になり、暮らしやすく、じゃなかった食べやすくなる。**(20頁)とも書いている。

ラーメンのナルト。たかがナルト、されどナルト、となるとナルトについて考えなくては。

ということで本稿に「ラーメンにおけるナルトの存在意義に関する一考察」などと大層なタイトルをつけた。だ
が中身は無し。

ナルトはかまぼこの一種。名前の由来として白字に赤い渦というその姿を鳴門海峡の渦に見立てたことによるという説明には説得力がある。生産量は静岡県焼津市が全国1位。

なつかしのラーメンにナルトは欠かせない存在

昔、ラーメンの具材としてナルトは欠かせなかった、と思う。ネギとメンマ、そしてナルト。ナルトは決して浮いた存在ではなかった。昔ながらのなつかしの味、というラーメンにナルトは欠かせない存在。でも今はナルトを入れないラーメンが主流だ。

型具材としてかかせないナルトの存在

ここは味の良し悪しではなく、見た目の問題というか、定型、お決まりのパターンの問題なのかもしれない。ショートケーキのイチゴと同じように。で、鍋焼きうどんの場合は断然かまぼこというのもやはりそれが定型だから。

ラーメンのオリジナリティ表現にナルトは邪魔な存在

ナルトを入れないのは一体なぜだろう・・・。

あまりに個性的な姿のナルトを入れるとラーメンにオリジナル感を出せない、ということもラーメンを提供する店としてはあるかもしれない。具材の少ないシンプルラーメンではなおさらだ。昔はどこの食堂でも同じような丼で同じような、定型ラーメンというか、お決まりのラーメンを出していたが、今は違う。ラーメンはもちろん丼までも独自のデザインの店が多い。



撮影日160910

昨日、旧八坂村からの帰りに池田町の食堂「龍門」で五目ラーメンを食べた。ナルトは丼の端っこで遠慮気味(って思ってしまったのは東海林さんのエッセイでナルトについて読んでいたからかもしれない)。

五目ラーメンの彩りにナルトはあった方がよい存在

この五目ラーメンの場合、ナルトは具材の中で浮いた感じはしない。必要なメンバーの一員だ。ゆで玉子の白地に黄色、小エビのオレンジ、エンドウの緑、そしてナルトの白地に
ピンク。なかなかの彩りだが、ナルトがなければ少しさみしく感じるだろう。そう、ナルトはこの五目ラーメンの彩りに欠かせない存在だ。

ナルトの味が好きという人は少ないかもしれない

ではナルトの味はどうか。同じ練りものでもかまぼことは違って「粉っぽい」(味の表現が苦手だが、「粉っぽい」は分かっていただけると思う)。きらいという程ではないが、ナルトがのっているのを見て、「やったぁ」とか「ラッキィー」と思うことはない。好きでもなく、きらいでもなくといったところ。

ではナルトの替わりにかまぼこをのせたらどうだろう。それは無い。もしかまぼこがのっていたら、何これ?ナルトの代用でかまぼこか、と少しがっかりするかも。
やはりかまぼこではだめ、ナルトでなければ。

まとめ 創作ラーメンにナルトは不要、なつかしのラーメンにナルトは必要


 


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