透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

視点場

2015-07-01 | A あれこれ

 先週の土曜日(6月27日)の夕方、カフェ バロで行われた医師・溝上哲朗先生のミニミニ講座に参加した。

溝上先生は下の景色(写真1)を**松本城黒門前から望む常念岳を背景にした天守の景観は、時の城主が描き上げた作品**と捉えておられる。

松本は周りを山に囲まれた町で城主は城下の町割りというか道路計画に際し、山当て、すなわち道路のヴィスタに特徴的な山を当てる(山を真正面に据える)方法を採っているという。当時も現在も周囲の山の景観も城下の道路も変わっていないから、今でもこのことは確認できる。講座では美ヶ原や乗鞍岳、袴越山などを当てている道路がいくつか紹介された。

松本は山に囲まれているのだから、道の真正面に山が座っているのは当然であって、意図的なものではない、という指摘もあるようだが、山のピークから外れていないことを偶然と片付けていいものかどうか・・・。

江戸の街でも富士山と江戸湾をヴィスタに据えた道路計画がなされたことが知られているし、借景(その多くは遠くの山)を取り入れた庭園の構成が古くから行われていたことなども、このような捉え方の妥当性を裏付けることになると思う。

溝上先生は遠く山形県鶴岡市にも取材をされ、城下町鶴岡でも同様の手法が採られていることを確認しておられるし、ダメを押すように鹿児島県知覧町の例も挙げておられた。

先日読んだ『道路の日本史』武部健一/中公新書にも東山道の針路の目標として伊吹山を正面に望むように計画されたことが例示されている。この古道を踏襲した国道8号でこの様子が確認できるそうで本には写真が載っている。やはり山当ては古くから道路計画に取り入れられていたようだ。

さて、ここからが興味深いのだが、常念岳を山当てとした道路は城下にはないのだそうだ。松本平のシンボルの山なのに。

なぜか・・・?


写真1

意図的に城下から常念岳が見えないように隠しているというのが溝上先生の見解というか、発見。

大手門(縄手通りの入口辺り)から太鼓門(松本市役所側にある門)へと進み、更に黒門の前まで来て、そこで初めて常念岳を望むことができるように計画されているという。天守へ来訪者と同じルートをアプローチしてこのことを検証しておられる。

溝上先生はこの景色(写真1)に城主の作為を「発見」されたのだ。

写真1は黒門前の視点場(ビューポイント)で撮った。ここに立つと手前の石垣から天守の石垣、そしてその後方の城山、更に特徴的な三角形の常念岳へと視線はごく自然に誘導される。いままで意識したことがなかったが、なるほど納得。確かに遠近感が強調された美しい景色だと思う。


写真2

ほんの少しだけ視点場を移動してみると・・・。

景色がずいぶん変わる(写真2)。来訪者にはあまり見せたくないであろう朱の埋橋(裏通路)が上の視点場からは全く見えないのに、それが見えてくる。石垣が重なって見えているが、のっぺりしていて、あまり奥行きを感じない。城山の後方に有明山が見えてはいるものの、この山は景色のアイキャッチとはならず、あまり意識されないだろう。やはり、絶好の視点場は写真1を撮ったところだと実感する。

講座で溝上先生が示された古地図にはこの位置まで立ち入ることができないようにゲートが設置されていた。それが城主の美意識によるのだとすれば、すごいとしか言いようがない・・・。

松本城にこんな空間的な演出がされていたとは・・・。このことを見つけ出した溝上先生もすごい。


 この記事に関連する過去ログ ←

過去ログで取り上げた常念岳をほぼ正面に望むこの通りは松本城の西方にあり、城下外になるそうだ。常念通りという名称が付けられたのはそれ程昔のことではないということを以前中日新聞で読んだ。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
国宝☆ (colty)
2015-07-03 21:10:50
なるほど~☆
勉強になります!

U1教授、機会がありましたら
高田城(三重櫓)からの景観調査を
お願いいたします。笑
返信する
景観調査 (U1)
2015-07-04 05:31:32
景観って視点場(立ち位置)を少し
変えるだけで違ってくるということを松本城で
実感しました。
高田城には一度だけ行ったことがあります。
そうですね、機会があればじっくり観察して
みたいです。
その前に火の見櫓と狛犬かな。
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