透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

165、166枚目

2022-03-18 | C 名刺 今日の1枚




辰野町小野下町の火の見櫓 撮影日2022.03.17

 上伊那郡辰野町小野下町の火の見櫓は昭和30年(1955年)の7月から8月にかけて、当時小野駅近くにあった大橋鉄工所によって建設された。辰野町ではこの火の見櫓の「登録有形文化財」指定を目指している。辰野町教育委員会の調査でこの火の見櫓の見張り台に吊り下げられている半鐘が濱鋳物製造所でつくられたものであることが分かった。教育委員会の担当者が見張り台に登り、半鐘の縦帯にある「信濃松本市飯田町二丁目 合資会社濱鋳物製造所」(2列縦書き)と、反対側の縦帯の「濱 猪久馬」という銘を確認した。


半鐘の縦帯にある銘は地上から撮ったこの写真では判読できない。

教育委員会の担当者から声をかけていただき、昨日(17日)一緒に塩尻市広丘にあるヤマトインテック(*1)を訪ねた。対応していただいた管理部のお二方、富田氏と竹村氏と名刺交換をして(165枚目166枚目)、お話を伺った。

*1 会社案内のパンフレットに**当社の発祥は1584年(天正12年)、武具、仏具、銅像、釣鐘などの鋳物を製造する「勅許御鋳物師」として松本城下に創業したのが始まりです。(中略)1991年には社名を株式会社ヤマトインテックと改称し、現在に至っています。**とある。また、ホームページには**松本領主小笠原貞慶が、相模国鎌倉郡由比より初代濱伊右衛門清賢を松本に招き、松本城近くで創業。**と詳しく紹介されている。天正12年というと本能寺の変の2年後、時代は安土桃山。すごい! ホームページには松本の牛伏寺の梵鐘も鋳造したことが書かれている。

火の見櫓の建設が昭和30年、見張り台に吊り下げてある半鐘の鋳造が明治の後半。半鐘は火の見櫓の建設を請負った鉄工所ではなく、発注者が調達したようだ。

どこから? 寺院の鐘を借りることもあったという。このことは今日初めてではなく、以前も聞いたことがある。この半鐘(写真②)もやはり寺院から提供されたものなのだろうか。

ちなみに小野下町の火の見櫓と同時期(昭和33年の7月から8月にかけて)に、やはり大橋鉄工所によって建設された朝日村西洗馬の火の見櫓の半鐘は表面の意匠が違う。小野の半鐘は乳が2段(写真②)、朝日の半鐘は3段(③)。こちらの半鐘はどこから調達したのだろう・・・。







⑤のような半鐘(塩尻市洗馬芦の田の火の見櫓)は、火の見櫓専用のものとして製造されたのではないかと思う。


 


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