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■ 8月が終わる。今年も残り4カ月。
「少年老い易く学成り難し」このことばをおふくろから時々聞かされていた。確かにそうだな。この歳になってこの警句を実感する。
さて、8月の読了本は8冊。読書は量より質だと思う。とはいえ(*1)、やはり少なくとも毎月4冊くらいは読みたい。
『作家的覚書』高村 薫(岩波新書2017年第1刷発行)
「図書」に連載されている時評を中心にまとめた1冊。
『空海』を読んだとき、「とまれ」ということばがよく使われていることに気がついていた。『作家的覚書』を、このことに注意して読んだ。やはり「とまれ」または同義の「ともあれ」、「とはいえ」(*1)ということばがよく使われている。これは話の展開の仕方の共通性を示している。誰でも同じパターンで展開することが多い。クセと言ってもいい。
また、収録されている時評は以下に挙げるように断定的に結んでいないものが多い。
**私をして日本人を生き直すよう急かしているのだろうか。**「日本人であること」
**はて、なかなか尽きるものではない欲望と物理的老いの間で、ひっそり背筋を伸ばしていられる歳の取り方はないものだろうか。**「歳の取り方」
**アメリカのように価値観の分断が生まれているのだろうか。**「二分される社会」
**正しく理解することが出来ているだろうか。**「宗教と市民社会」
**まだどこかで明るい未来の幻想を捨てられないでいるのかもしれない。**「想像もしていなかったこと」
**むしろ自然な成り行きに身を任せただけなのかもしれない。**「足下の幸せ、どこまで」
**柔軟に生きてきた祖先たちに倣うときなのかもしれない。**「大雨に思う」
読者に問いかけ、判断を促すということであればこのような結びになると思う。だが書き手の考え方、捉え方を明確に示してもらった方が私はスッキリするし、そう期待して読んだ。上掲の例なら、正しく理解することが出来ていない。先祖たちに倣うときだ。というように。時評というのはそのようなものだと私は思う。
『日本語スケッチ帳』田中章夫(岩波新書2014年第1刷発行)
**多彩な日本語の世界を存分に楽しめる一冊。**カバー折り返しの紹介文より
Ⅸ 語法と用字の諸相 で取り上げられている次の句
米洗ふ前に蛍の二つ三つ
米洗ふ前を蛍の二つ三つ
米洗ふ前へ蛍の二つ三つ
助詞の意味・用法の難しさを示す例として紹介されている句の解説を読んで、なるほど!
『桂離宮』和辻哲郎(中公文庫2011年改版)
副題に「様式の背後を探る」とあるように、この論考では桂離宮のデザインそのものをそれ程論じてはいない。だが、例えば雨落溝が直線であることについて、それが建物の構造からの必然てあり、装飾の動機に基くのではないとしながら何ページにも亘って論じている。
やはり和辻哲郎の繊細な感性による観察力と『風土』にもみられた洞察力はすごいと思う。
『坊っちゃん』夏目漱石(集英社文庫2019年第48刷)
**おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのというものは、えらい事を言うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎(とが)だとか、不徳だと言うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職になったら、よさそうなもんだ。(後略)**(80頁)
閣僚10人が不祥事を理由に辞任した第二次内閣。首相は任命責任をとることなく、病気を理由に退陣を表明した。坊っちゃんがこの事態を知ったら怒るだろうなぁ。
『曠野から』川田順造(1980年再版)
大学の後輩から1981年3月に送られた本。
『本所おけら長屋 六』『本所おけら長屋 七』畠山健二(PHP文芸文庫)
この2巻を続けて読んだ。シリーズ累計100万部突破というのも頷ける。涙あり、笑いありの人情噺。現在12巻か13巻まで出ている。この際、全巻読もう。
『かくれた次元』エドワード・ホール(みすず書房1976年第11刷)
密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離。文化的特質の違いがこれらの距離に現れる。コロナ禍で使われるようになったsocial distance、社会(的)距離。このことばでこの本を思い出し、再読した。
岩波というと「左寄り」と言う人もいますが、『図書』は自由に書かせてくれました。
当時の編集長が太っ腹な人で、面白ければ何でもOKと言う人でした。
40年とは長期間ですね。長年定期購読していた雑誌はすべて処分しました。
全国各地の民家を掲載していた頃の『住宅建築』よかったと思います。