透明タペストリー

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「金閣寺の燃やし方」を読む

2025-03-02 | A 読書日記


 塩尻のえんぱーく内の市立図書館で目に留まった『金閣寺の燃やし方』。

積読状態解消に向けて『大災害の時代』五百旗頭 真(岩波現代文庫)を読み終え、『金閣を焼かなければならぬ』内海 健(河出文庫2024年)を読み始めようとしていたが(この書名、金閣を焼かねばならぬと入力してしまう)、その前に似たような書名の『金閣寺の燃やし方』酒井順子(講談社2010年)をこの機会に読もうと思った。で、借りてきて一気読みした。

昭和25年(1950年)に修行僧の林 養賢の放火で焼失した金閣寺。この事件をモチーフに、三島由紀夫と水上 勉が小説を書いている。酒井順子さんは『金閣寺の燃やし方』で、三島由紀夫の『金閣寺』と水上 勉の『金閣炎上』を取り上げ、三島由紀夫と水上 勉、ふたりの作家とこのふたつの作品を論じている。

ぼくが三島由紀夫の『金閣寺』を初めて読んだのは高校生の時、以降数回読んでいる。『雁の寺』『越前竹人形』『飢餓海峡』『金閣炎上』、それから『五番町夕霧楼』。水上 勉の多くの作品の中で、読んでいて、書名を挙げることができるのはこのくらいしかない。水上作品の「暗さ」に惹かれて、これらの作品を読んだのは大学生の時(たぶん)。

ふたりの作家、ふたつの作品について、実に簡潔で明快に対比的に書かれているところを引用する。尚、このブログでは引用記号として**を使っている。

**理をもって、表から養賢へと近付いた、三島。情をもって、裏から養賢を理解しようとした、水上。**(122頁)
**上空から見たような観念上の美の物語として「金閣寺」を書いた、三島。(中略)下から金閣を支えていた庶民の労苦に美を見る、水上。**(208頁)
**私は本書において、裏日本を体現する作家である水上 勉の湿り気と、表日本しか見ようとしなかった三島由紀夫の乾き方とを比較しようとしているわけですが、(後略)**(223頁)

と、こんな感じ。 もっと簡潔にするように、というリクエストがあれば、ぼくは次のように答える。「金閣寺を描いた三島由紀夫、林 養賢を描いた水上 勉」。

ぼくが本書のまとめとして読んだのは次の箇所。
**三島と水上も、正反対の個性を持つ作家のようでありながら、金閣寺を通じて、意外な近距離で対峙しているのでした。**(254頁)

『金閣寺』だけでなく、『金閣炎上』も再読しようかな・・・。


酒井さんは、林 養賢の生地の京都府舞鶴市成生と水上 勉の生地の福井県大飯郡本郷村(現・おおい町)を訪ねている。ともに若狭湾に面した寂しいところ。三島由紀夫は東京生まれの東京育ち。祖父の平岡定太郎は兵庫県印南郡志方村上富木(現・兵庫県加古川市志方町上富木)の生まれ。酒井さんはこの地も訪ねている。作家論、作品論を書くために必要なこととだろう。

さて、『金閣を焼かなければならぬ』内海 健(河出文庫2024年)を読もう。


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