透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 江戸の火消と火の見櫓

2014-01-29 | A 火の見櫓っておもしろい

 江戸時代に「火消」が組織される。火消には武家地を守る武家火消(武士の組織)と町人地の町火消(町人の組織)があり、武家火消は大名火消定火消(じょうびけし)に分けられる。

大名火消は1643年(寛永20年)、6万石以下の大名家16家によって編成されたのが始まりで、幕府直轄の定火消は明暦の大火(1657年)を教訓として翌1658年(万治元年)に、選抜された旗本4家で組織されて始まった。また、町火消は1718年(享保3年)、大岡忠相によって出された町火消設置冷に基づいて組織された。

江戸の消防組織の発祥をざっくりと押さえれば以上のようになる(にわか勉強で調べた)。今日の官から民への移行と同様、次第に町火消が火消の中核を担うようになっていった。



次に、江戸時代の火の見櫓の高さや仕様についてだが、これについては武家地用、町人地用と決められていて、それが雑誌「東京人」2012年5月号の「江戸っ子が見上げたランドマーク」と題する波多野純氏の記事に示されている(下図:記事より転載させていただいた)。

左の「粋火の見」は屋根の上に建てた簡便な火の見梯子、中は武家地用、櫓の外周を板で覆っている。押し縁下見板張りか、立派な造りだ。右は町人地用、4本柱を横架材で繋ぎ、筋交を入れ、梯子を掛けてある。方形(ほうぎょう)の屋根の下に見張り台、今の火の見櫓に通じる構造。



出典の「守貞漫稿」について調べてみた。喜田川守貞という人が書いた全35巻にもなる百科事典のような書物で、江戸時代の風俗、事物を詳しく説明しているという。今和次郎の風俗記録、路傍採集、品物調査などと同様のことが既に江戸時代に行われていたわけで、、大変興味深い。岩波文庫になっているようだから、入手したい。

同記事には幕府大棟梁甲良家が残した図面集『諸絵図』(所蔵:東京都立中央図書館)の「火之見番所」の断面詳細図も掲載されているが、図面から地震や強風に備えた周到な構造であることが見て取れ、興味深い。**幕末の安政大地震において多くの建物が倒壊するなか、健全に残ったとされる。**と文中にある。

火の見櫓は漫然と風景を眺めていれば目に入らないような存在だが、調べだすとなかなか奥が深い。


 初稿 120414


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2 コメント

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天空へ (U1)
2012-04-15 05:57:56
そうですね。なぜか天空志向ってありますね。

建築技術は重力との対話の成果といってもいいでしょうね。
coltyさんのブログの椅子は隈研吾さん設計の建築に置かれているものなんですね。
見学したいです。
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Unknown (colty)
2012-04-14 23:45:56
高所恐怖症を公言していますが、
“天空”という言葉を目に(耳に)すると
なぜか無性にワクワクしてなりません

幸せは雲の上にあるからでしょうか。。。
(九ちゃん)

天空をめざすことは、重力に逆らうことへの
何か意味が隠されているのかもしれませんね(笑)
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