透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「散るぞ悲しき」読了

2008-08-15 | A 読書日記


信濃美術館のカフェにて

『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道』梯久美子/新潮文庫 。

8月15日、終戦記念日に感銘深い本を読み終えた。

硫黄島からの手紙の一節に心惹かれたというただそれだけの理由で著者は取材を始めたという。栗林中将が妻や子供に宛てた41通の手紙、どれもが愛情に満ちている。

**からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。**

**火薬の袋張りは容易の仕事じゃないらしいね。さぞ肩も張ることだろう。ほんとにお察しする。しかしあまり無理しないがいいでしょう。無理するとやはりからだに障るよ。**

栗林中将は多くの指揮官が採った一斉突撃による玉砕などという無策を捨て、冷静な判断をして地下壕にこもってゲリラ戦を展開するという戦法を採った。

留学経験のあるアメリカとの不条理な戦い、はじめから絶望的な戦場、極限的な状況でも常に冷静な判断を下して戦いつづけた栗林中将。

栗林中将の訣別電報の最後、辞世の歌一首

国の為重きつとめを果たし得で、矢弾尽き果て散るぞ悲しき

**最後に、私たち次世代のために、言葉に尽くせぬ辛苦を耐え、ふるさとを遠く離れて亡くなったすべての戦没者の方たちに、あらためて尊敬と感謝を捧げたい。** 著者はエピローグに次ぐ謝辞をこう結んでいる。

ここまで読み進んで涙があふれた。多くの人に読んで欲しいドキュメント。


 


東山魁夷展を観た

2008-08-15 | A あれこれ


長野県信濃美術館 日建設計(林昌二)


東山魁夷館 谷口吉生

東山魁夷展を観に長野県信濃美術館、東山魁夷館へ出かけた。

簡潔な構成、静謐な画面。パリ郊外のソー公園に画材を求めたという「静唱」、天龍寺の「池澄む」、薄紅色の「秋深」、「北山初雪」などが印象に残った。

東山魁夷を魅了した信州の自然、心象風景に符合した北欧の風景、川端康成の小説世界を想起させる日本の風景・京都。

静かに時が流れる東山魁夷の青の風景をじっくり鑑賞した。


 


北京オリンピック テレビ観戦記

2008-08-14 | A あれこれ

                  連覇、連覇 信濃毎日新聞

 北京オリンピック、北島康介選手が平泳ぎ200mでも金メダルを取りましたね。2種目連覇、すごいことですね。ここまで日本選手が取った金メダルは全てアテネに続く連覇によるものですが(14日、北島選手の200m優勝まで)、「燃え尽き症候群」とよく戦ったものだと思います。

1992年のバルセロナオリンピックのとき北島選手は9歳、男子平泳ぎ決勝を夜遅くテレビで観て自分もオリンピックに出たいと思ったそうで、そのときから練習に取り組む姿勢が一変したそうですね(0812付 中日新聞のコラムによる)。

オリンピックに出場すること、そしてメダルを取ることを目標に日々練習してきて前回のアテネ大会でそれを達成して、モチベーションが下がってしまうと思うのですが、それを再び上げて大会に臨んで連覇する、どの選手もすごい精神力だと思います。

インタビューで皆同様に家族やスタッフへの感謝の気持ちを表していますが、やはり選手を支える周りの人たちの力も大きいのでしょう。

かつてのオリンピック選手は日の丸を背負って、そのプレッシャーに実力を十分発揮できないということがあったと思うのですが、今の選手たちはそんな意識は無いように見えます。世界のライバルとの試合を個人として楽しむ、そんな姿勢で臨んでいるようです。随分意識が変わったものだと思います。

夏休みとオリンピックが重なって、しかも時差が1時間しかないのでテレビ観戦する時間が多いです。女子柔道の谷本選手が決勝で相手の選手を内またで投げ飛ばしたシーンを何回見たことか。

女子サッカーの予選リーグ最終戦でノルウェー相手に見せた怒涛のゴールシーンも爽快でした。決勝トーナメントでも頑張って欲しいと思います。

や~っ、スポーツって本当にいいですね。


夏休みは読書三昧?

2008-08-13 | A 読書日記



新潮文庫 夏休みの3冊

 昨年はお盆も仕事で1日しか休めなかったが、今年はキッチリ17日まで休む。せっかくの休みに家に篭もるのも「なんだかな~」だが、久しぶりに塩尻の書店に出かけた。新書は避けて文庫を手にする。

『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』梯久美子/新潮文庫 

硫黄島での壮絶な戦いは昨年映画化されて話題になった。**妻や子に宛てて書いた41通の手紙を通して描く感涙の記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞。**15日は終戦記念日、この作品を読んでみよう。


『雨のち晴れて、山日和』唐仁原教久/新潮文庫 

イラストレーターの著者が北海道から九州まで全国の山々に登る。イラスト満載の山行記。


『銀齢の果て』筒井康隆/新潮文庫 

帯には**「後期高齢者医療制度」だと? 要するに年寄りは早く死ねというのか!**とある。老人いじめ政策を予見した小説。筒井康隆が問う、長生きは悪なのか、と。施行された「老人相互処刑制度」の下で彼らはどう「生きるのか」。



 


アルコールな夜に「包む」 を考える の巻

2008-08-11 | A あれこれ

 衣服で体を包む、その延長として原初的な建築を捉えることもできるのではないかと考えています。そう衣服と建築とは同様の機能を持っているというわけです。

このことは確か以前も書きましたから繰り返しになりますが、例えば家族でキャンプに出かけてテントで寝るとしますと、雨風を防ぐという機能はテントが負うものの、寒さを防ぐ(今の季節には考えにくいですが)のはシュラフです。このようにテントと体を包むシュラフを建築的に同義なものと捉えることが可能なのです。「包む」をブログのシリーズに加えた理由もここにありますが「包む」は実に多様です。

というわけで今回の「包む」はレジでおつりを受け取る時の店員の動作について。

 片手を水をすくうように出しておつりを受け取ろうとすると、私の手の下に店員が手を添えます。するとおつりを渡す手と共に私の手を上下から包むような形になります。

下に添える手は、私がつり銭を指の間から落としてもカバーできるようにとの配慮でしょうか。あるいは単なるこころ配りの所作といった意味合いなのでしょうか。

ところで例えば国の要人同士が握手をするときもこれと同じような動作、「握手」をさらに手で包むことをよくします。これは友好的な関係であることを強くアピールするためでしょう。

おつりを受け取る際に店員がする先の動作もこの握手の際の動作と似ているために、店員が若い女性だったりするとなんだか「ほわ~ん」というかどうもうまく表現出来ませんが(川上弘美さんはこんなときの表現が上手いです)、中年おじさんとしては要するになんとなくうれしくなってしまうのです。
男の店員がこのような動作をするのかどうか、仮にしてもらったとしても当然うきうき気分にはなりません。こんな時はクールにトレイに載せてもらったほうがいいです。

つり銭を受け取るのが楽しみで決まった時間にコンビニに通っているおとうさんもきっといるにちがいありません。そう好みのタイプの女性がいるときを狙って。 私? 私はnanacoカードを使っています。



 


夏の日 元気な黄輪

2008-08-10 | A あれこれ



 五輪、青の次は黄です。ひまわり、元気な夏の花。太陽をモチーフにしたかのようなデザインです。僕の好みは寂しげな表情を見せる花、ツユクサのような、なんちゃって。

 女子マラソンの野口みずきが2度も精密検査を受けたそうですね、今日の朝刊に出てました。出場辞退もあり得るとか。この選手の活躍を最も期待しているんですが・・・。


夏の朝 爽やかな青輪 

2008-08-10 | A あれこれ



 五輪の色は左から青、黄、黒、緑、赤と並ぶ。五輪の意味についてはいくつか説があるようだが、知っているのは五大陸を表現しているというもの。青のヨーロッパ大陸に続いてアジア、アフリカ、オーストラリア、アメリカを表現している(このことは知らなくてネットで調べた)。

五輪の色に合わせて花の写真を並べてみようと思いついた。青はあさがお、黄はひまわり。共に誰でも知っている夏の花だ。黒、黒・・・。昔「黒い花びら」という歌が流行った。歳が分かってしまうから流行ったらしいとしておこう。確か第一回レコード大賞受賞曲だ。この黒い花の名前は不明。具体的な花を指しているわけではなくて黒のイメージに何かを託したのだろう。黒に近い色のチューリップが庭に咲くが写真が無い。

緑の花も浮かんでこない、なにかあるかな。赤い花はいろいろ浮かぶが花に疎いので名前が分からない。百日紅はピンクだな。

今朝撮ったあさがおの写真だけ載せておく。

 女子柔道の谷亮子は準決勝でルーマニアの選手に負けた。「ママでも金」は実現しなかった。なかなか組もうとしない相手だと柔道にならない。3位決定戦は意地の一本勝ち。92年のバルセロナから5大会連続のメダル獲得、この快挙に拍手!

今朝の新聞の見出しは「谷、V3逃し「胴」」だが、「谷快挙、五大会連続メダル獲得!」とでもして欲しかった。


五輪の五色

2008-08-09 | A あれこれ










五輪の五色を並べよう。ただそれだけです。安易な企画です。

:北杜夫 新潮文庫。この中の何冊かはもう絶版です。
:司馬遼太郎といえば菜の花、黄色。文春文庫。
:吉村昭 新潮文庫。
:重松清は新潮文庫も中公文庫も文春文庫も緑ですが書棚には何冊もありません。星新一が薄緑だったかと思いますが現在は1冊もありません。柳田邦男の緑は濃すぎます。
:松本清張 新潮文庫。宮部みゆきも同色。松本清張といえば黒でしょう。文春文庫は黒です。




「誤差」

2008-08-09 | A 読書日記



 前稿でプールの施工誤差について書きました。国際公認規格プールの誤差の許容範囲は距離50メートルに対して0~+10ミリメートルだとネットで調べて分かりました。私は5ミリメートル位かなと思っていました。因みにマラソンの許容誤差は0~+42メートルだそうです(競技距離の1/1000まで)。当然でしょうが距離競技の場合マイナスの誤差は認められていません。

誤差といえば松本清張にも同名の短篇、『誤差』光文社があります。全11巻の短篇集の内の1巻です。死後推定時間に鑑定する医者によって誤差があることを扱った推理小説です。

中学生の頃、松本清張の推理小説をよく読みましたが、全て光文社のカッパ・ノベルスでした。その装丁が懐かしくてこの短篇集を何年か前に購入しました。いつか再読してみたいと思います。


施工誤差

2008-08-07 | A あれこれ

 いよいよ明日北京オリンピックが開幕しますね。メダルが期待できる競技として男子は水泳、そう北島康介、それと野球。女子はマラソン、柔道、レスリングあたりでしょうか。

水泳の競技会場はメイン会場「鳥の巣」の隣りに位置する「水立方」ですが(画像検索してみて下さい)、夜景がきれいでデートスポットとして人気が高いそうです。

競泳は1/100秒、いや時には1/1000秒を競うことになりますね。距離に直すとわずか数センチ、時には数ミリ!の勝負ということになるんですね。たった数ミリ・・・。

数ミリの差となるとプールの施工誤差が気になります。50メートルプール、施工誤差によって例えば1コースと4コースが5ミリ違っていたら・・・。施工誤差について許容値の規定が当然あるのでしょう。それがどの位なのかはわかりませんが。

ところで鉄筋コンクリート造の場合、施工の指針となる「公共工事標準仕様書」によると躯体の断面寸法の施工誤差の許容値は0~+20です。例えば梁巾は設計寸法が350ならば370までの誤差を認めるということになります(建築の場合寸法の単位はミリメートルです)。

工場で精密機械をつくるのとは異なり建築の場合、現場で職人が手作業で型枠を施工してそこにコンクリートを打設して躯体をつくるのですから、この位の誤差は生じます。ただ躯体寸法ではマイナスの誤差、つまり設計寸法より少なくなることを認めていませんから施工上要注意です。ただし土木工事の場合には建築とは異なりマイナスの誤差も認めているようです。

仕上げ寸法の誤差については先の仕様書では規定がありませんが、躯体と同程度の誤差くらいは一般的には許容されると考えて支障ないと思います。このことを勘案するとオリンピック競技などに使用するプールの施工誤差の許容値はおそらく数ミリでしょうからかなり厳しいですね。水圧で歪まないような強度で極めて高い精度でつくらないと・・・。そこに更にタッチパネル等を取り付けるのですから精度管理が大変だと思います。

まあ、北島選手には施工誤差など全く関係ない、ブッチギリの強さで金メダルを取って欲しいと思います。


新日曜美術館で紹介された石山修武展

2008-08-04 | A あれこれ




 今月の17日まで、世田谷美術館で建築家・石山修武さんの作品展が開催されています。↓

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

昨日のNHK教育テレビ「新日曜美術館」でこの作品展にタイミングを合わせて建築家であって建築家でない鬼才・石山修武の現場が放送されました。

朝は高校野球中継のため夜8時からの放送のみでしたがこの時間は「篤姫」、「新日曜美術館」を見たという方は少ないかも知れません。

書棚から石山さんの本を取り出してカバーを撮りました。まだ他にもあるはずですが見つかりませんでした。カバーデザインにはいずれも石山さんのスケッチが使われています。これらのスケッチ同様石山さんの建築作品はどれもユニークで実に存在感があります。

石山さんは建築するプロセスを重視しているようで、「自分で造る、みんなで造る」ということを唱えています。右上の写真をよく見ると「自分の家は自分で建てる」というメッセージに気が付くと思います。

番組ではカンボジアの首都プノンペンに完成した「ひろしまハウス」をメインに自邸「世田谷村」やデビュー作の「幻庵」、「伊豆の長八美術館」などが紹介されました。膨大なイメージスケッチの紹介などを交えてデザインのプロセスをなかなか興味深く伝えていました。


伊豆の長八美術館 撮影年月日 不明

内井昭蔵さん設計の世田谷美術館にはもう長いこと出かけていません。でもこの展覧会の開催期間中に出かけることは、残念ながらちょっと無理です。


円周率

2008-08-03 | A あれこれ


 今日の朝刊(信濃毎日新聞)に小学校での円周率の扱いに関する記事が載っていた。**小学校の新学習指導要領で、円周率(3.14)は「目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する」との現行要領の記述が削除された。「円周率は3と教える」との誤解を生み、「ゆとり教育」批判にも使われた部分だ。**とリード文にある。

この記事には**3.5ならともかく3.1程度ならば、3で概算しても問題ない。日常生活で活用するには概算の力を付けたほうがいい。**という小林道正・中央大教授のコメントも載っている。

この記事を読んで私は学生時代に読んだ『時間・空間・物質』小野健一/三省堂選書を思い出した。この手のタイトルの本はやはり理系の学生の関心を惹く。

この本には次のような記述がある。少し長くなるが引用する。

**物理学は精密科学である。ところが精密というのがまたいろいろ誤解の多い言葉である。精密とは一口で言うと適用限界を心得ていることであって、有効数字の桁数の多いことではない。実験値をグラフの上にプロットした結果が散ってしまって、あまりきれいに一つの曲線の上に乗ってくれなかったとしよう。物理学者ならば目分量で大体の傾向をにらんでなめらかな曲線を一本引くであろう。あるいは、鉛筆の代わりに太いチョークを使って、どの実験値も曲線の上に乗るように太い線を引くであろう。こんなやり方に対して反応の仕方に二つのタイプがあるようである。
第一のタイプは若い研究者に多いタイプで、物理学は精密科学なのだから、太いチョークなどを使うのはとんでもない。データが散ったらそれはそれで仕方がないから、測定値をそのままぎざぎざの線で結ぶべきという反対である。(中略)
第二は技術者に多いタイプで、はじめのデータが散っていたこと、それを太いチョークで結んだことを忘れて、太い線で描かれた公式を使って小数点以下何桁でも計算するタイプである。(中略)
物理学者が太いチョークを使うのは少しもさしつかえない。物理学が精密科学であるというのは、細い鉛筆を使うことではなくて、使った鉛筆の太さを最後まで忘れずにいることなのである。**

著者の技術者に対するこの指摘を否定することはできない。日常的に経験することだから。

まず全体像をザックリと把握するという姿勢はどのような対象にも必要だと思う。その際には例えば円周率などは3でまったく差し支えないことだってあるだろう。常に3.14で扱おうとするとその場で暗算できない場合が出てきてしまって概算が出来なくなってしまう。とんでもない桁違いをしても全く気が付かないなどという事態だって起こり得る。その意味では目的に応じて円周率を3として処理してよいという内容が学習指導要領から削除されたことが残念でならない。

『時間・空間・物質』から引用した先の指摘を常に頭の片隅に置いておかなければならないだろう。


「こころ」を読む

2008-08-03 | A 読書日記



「読書の秋」といいますが私の場合読書といえば夏というイメージが強いです。やはり小中学生の頃、夏休みに長篇小説をよく読んだ記憶がそのような印象を抱かせるのかもしれません。あまり「名作」を読んだという記憶はありませんが。

このところ小説を読む気にならず新書をよく読んでいましたが、ようやく小説モードになりました。これを維持すべく『こころ』を読み始めました。例の限定スペシャルカバーの白い新潮文庫です。偶然にも夏休みで帰省したMも『こころ』を読み始めていました。ただしMは角川文庫。

日本を代表する作家を一人だけ挙げるとすればどうでしょう。村上春樹?いや、やはり夏目漱石ではないでしょうか。そして代表作ということになると『我輩は猫である』を挙げる人が多いかもしれませんね。いかがでしょう。では、漱石の最高傑作を挙げるとなると・・・。この『こころ』ということになるかもしれません。現に角川文庫のカバーには**時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。**とあります。

今年のお盆休みには緑陰で漱石を読もうと思っていますが叶うかどうか。


 


美について語り合う の巻

2008-08-02 | A あれこれ

Sちゃん」
「あ、U1さん、お久しぶりです。これってなんだかいつものパターンですね。でもきょうはSさんでもみやーざさんでもないんですね」
「そ、今回はSちゃん」
「え~、どうして?」
「Sちゃんて美大出身でしょ・・・ちょっとそこでお茶しよう」
「ほんとに~? いいですよ。でもなんだかオジンくさい誘い方ですね」
****
「わたしはオレンジジュースにしようかな」
「じゃ、ホットコーヒーとオレンジジュース」
****
「え~、ブログの写真っていつもこのカメラで撮っているんですか?」
「そう、持ち歩くには便利だから」
「もっと大きなカメラで撮っているのかと思ってました。ちょっと見せてください。あ、これって、繭蔵っていうんでしたっけ」


「そう」
「おしゃれですよね、それにモダン」
「そうでしょ?、でも今から110年以上も前に出来たんだよね」
「そんなに昔?なんだか気持ちがいいんですよ、こういうのって」
「繰り返しの美学もそうだと思うけどさ、窓のレイアウトが単純な幾何学的なルールに従っているでしょ」
「幾何学的なルール?、あ、そうですよね、市松模様って単純なルールですよね」
「ま、これは平面上で、窓を繰り返していると考えてもいいかも知れない」
「これも繰り返しですか・・・」
「ん、でね。これって知性に訴えるんだよね。蛙や虫の鳴き声って、ヨーロッパの人たちには雑音にしか聞えないっていうでしょ?」
「あ、それ聞いたことあります。日本人って虫の声を右の脳で聞いているんだとか」
「そう、右脳、つまり感性で聞いている訳でしょ。でさ、この繭蔵が美しいって思うのは感性ではなくって、知性なんだと思うんだよね、左脳の働きかな」
「そうなんだ。絵を観て美しいって思うのとは違うんですね」
「そう、絵や和風庭園は感性に訴えてくるんだと思うけど。単純なルールによって秩序づけられたものって感性ではなくて知性だと・・・」
「なんとなく分かります。次の写真を見るのはどうすればいいんですか?」
「ここを押すと次の写真、ほら」

「この写真の建築はなんです?新建築?」


「そう、「新建築」っていう月刊誌の表紙でこれは、ドイツにできた、確かデザインスクール」
「へ~、これ学校?」
「よく分からないけれど専門学校みたいなものかも知れないね」
「さっきの蔵と違って窓が不規則ですね」
「そうだね、正方形の壁面に正方形の窓がレイアウトされているけど、並べ方のルールが分からないよね」
「そうですね、コンクリートの壁にこんなふうに窓ってつくること、できるんですね」
「現代建築のデザインってこういう方向に進んでいくんだろうね。Sちゃんはどっちが好き?」
「え~、わたしは蔵がいいな。蔵のほうが美しいと思う」
「だよね、こうやって恣意的にレイアウトされると、知性には訴えてこないんだろうね、根拠というかルールがわからないから、でもこれからこういうデザインが増えると思うな」

「レイアウトのルールが分からない・・・、わたし先月京都に行って来たんですけど、龍安寺の石庭って、石の配置にルールってあるんですか?」 
「あの配置にもルールがたぶんあると思うけど、分からないよね。でも美しい・・・感性に訴える美なんだね」
「あ、そうか、あの庭って感性に訴えてくるってこと? この壁の窓のレイアウトは石庭のようには美しくない。ドイツにあるんでしたっけ?ドイツの人たちはこのデザインをどう感じているんでしょうね。美しいって思っているのかな・・・」

「ヨーロッパの建築の美って知性が反応する美だと思うから、こういうのはどうなんだろうね。日本の有名な建築家のデザインってことは知っているだろうけど

「あの、アールヌーボーなんかは日本の影響? 形が不整形だし。ガレなんかはモチーフによくトンボを使ってますよね、知性というより、感性が反応する美だってあると思いますけど」
「エミール・ガレでしょ、そうだね、でもアールヌーボーは結局ヨーロッパにあまり馴染まなくって幾何学的なアールデコに移っていったんじゃないのかな、よく分からないけど。ガウディのデザインだって継承されなかったでしょ」

「ふ~ん、そうなんだ。あの教会、魅力的だと思うけどな。それにロンシャンだって・・・」

「そうか、ロンシャンだって幾何学的なルールなんてなさそうだね。う~ん、分からなくなってきたぞ。ところでSちゃん、髪、短くしたね」


*いつまでも続く会話・・・、ブログに載せるのはこの辺で、キリがないから。