数年前、半藤一利氏の同名の『幕末史』(新潮文庫)がベストセラーになった。或いはこの本に触発されたか、幕末維新史の第一人者である佐々木克氏が満を持して世に問うたのが本書である。
「攘夷」という言葉は、幕末史を語る上で一つのキーワードである。と、同時に場面やこれを発する人によって、微妙に意味が異なるという。
「破約攘夷」という用語がある。安政年間に結んだ条約を破棄して、直ちに夷人を撃退せよ、という文字通りの意味に私は理解していたが、本書によれば孝明天皇が目指した「破約攘夷」は、(当時はそのような言葉がなかったが)維新後使われた言葉に置き換えれば「条約改正」と同義だという。ここが本書の核心の一つであり、正直に言えば、もう少し根拠について明らかにして欲しいところであるが、個人的にはこれまで触れたことのない、新しい解釈であった。
たとえば元治元年(1864)の四国連合艦隊による長州攻撃は、てっきり前年の下関攘夷戦争の報復だと思い込んでいたが、本書によれば、報復のための攻撃ではなく、この攻撃の目的は、関門海峡の閉鎖を解除することにあったとする。確かに四国連合艦隊による襲撃を主導した英国は、前年下関では砲撃を受けていないのである。思い込みがいかに危険かということを思い知らされた。
本書では慶応二年(1865)から三年(1866)の激動の政情を解明することに多くの頁を割いている。慶応三年(1866)十月の大政奉還は、討幕の矛先をかわすための奇手だった。薩長勢力が振り上げた拳を交わすために慶喜が放った絶妙の奇策に、「討幕の密勅」を用意していた討幕派は煮え湯を飲まされたという俗説が語られてきたが、虚心に史実を見ていくと、薩摩の小松帯刀は大政奉還を積極的に推し進めている。小松と西郷・大久保とは路線を別にしていたともいわれるが、何か釈然としないものがあった。俗説では大政奉還と同日に発せられた討幕の密勅は空振りに終わったとされているが、実は討幕の密勅は薩摩藩主の卒兵上京実現するために必要な「秘物」であったという。この時点で薩摩藩は武力討幕ではなく、政変による政権交代を考えていた。そのためには討幕の密勅は不可欠なものだったというのである。
ただし、本当に国元から藩主と軍を呼び寄せることが目的であったなら、どうして「賊臣慶喜」を「殄戮(てんりく)せよ」といった過激な内容になったのか。単に「兵を率いて上京せよ」という文面ではいけなかったのか。この点についてもう少し解説が欲しかった。
著者「あとがき」によれば、佐々木先生も今は退官し、癌を患い治療を続ける日々という。それでも老け込まずに、今なお新しい視点で歴史を見ようという姿勢には、感銘を受けた。半藤一利氏の「幕末史」より、余程読む価値のある一冊である。
「攘夷」という言葉は、幕末史を語る上で一つのキーワードである。と、同時に場面やこれを発する人によって、微妙に意味が異なるという。
「破約攘夷」という用語がある。安政年間に結んだ条約を破棄して、直ちに夷人を撃退せよ、という文字通りの意味に私は理解していたが、本書によれば孝明天皇が目指した「破約攘夷」は、(当時はそのような言葉がなかったが)維新後使われた言葉に置き換えれば「条約改正」と同義だという。ここが本書の核心の一つであり、正直に言えば、もう少し根拠について明らかにして欲しいところであるが、個人的にはこれまで触れたことのない、新しい解釈であった。
たとえば元治元年(1864)の四国連合艦隊による長州攻撃は、てっきり前年の下関攘夷戦争の報復だと思い込んでいたが、本書によれば、報復のための攻撃ではなく、この攻撃の目的は、関門海峡の閉鎖を解除することにあったとする。確かに四国連合艦隊による襲撃を主導した英国は、前年下関では砲撃を受けていないのである。思い込みがいかに危険かということを思い知らされた。
本書では慶応二年(1865)から三年(1866)の激動の政情を解明することに多くの頁を割いている。慶応三年(1866)十月の大政奉還は、討幕の矛先をかわすための奇手だった。薩長勢力が振り上げた拳を交わすために慶喜が放った絶妙の奇策に、「討幕の密勅」を用意していた討幕派は煮え湯を飲まされたという俗説が語られてきたが、虚心に史実を見ていくと、薩摩の小松帯刀は大政奉還を積極的に推し進めている。小松と西郷・大久保とは路線を別にしていたともいわれるが、何か釈然としないものがあった。俗説では大政奉還と同日に発せられた討幕の密勅は空振りに終わったとされているが、実は討幕の密勅は薩摩藩主の卒兵上京実現するために必要な「秘物」であったという。この時点で薩摩藩は武力討幕ではなく、政変による政権交代を考えていた。そのためには討幕の密勅は不可欠なものだったというのである。
ただし、本当に国元から藩主と軍を呼び寄せることが目的であったなら、どうして「賊臣慶喜」を「殄戮(てんりく)せよ」といった過激な内容になったのか。単に「兵を率いて上京せよ」という文面ではいけなかったのか。この点についてもう少し解説が欲しかった。
著者「あとがき」によれば、佐々木先生も今は退官し、癌を患い治療を続ける日々という。それでも老け込まずに、今なお新しい視点で歴史を見ようという姿勢には、感銘を受けた。半藤一利氏の「幕末史」より、余程読む価値のある一冊である。