このところ続けて西郷隆盛関連本を手にしているが、性懲りもなく今度は家近良樹先生の「西郷隆盛」である。家近先生には「西郷隆盛」(ミネルヴァ書房)という大部の本格的評伝があるが、こちらは学者の論文というより、西郷隆盛をテーマにしたエッセイのような赴きがある。「なぜ写真が残されていないのか」だとか「なぜ早い段階で自決しなかったのか」といった、言わば歴史学者が正面から取り合わないようなテーマに自在に筆を走らせる。
本書は比較的肩の凝らない読み物となっているが、慶応元年(1865)十二月、対幕強硬路線を主張する西郷隆盛を抑えるために、久光が桂久武を京都に派遣したという解釈を巡って、町田明広先生と論争となっている。町田先生の「反論への反論」では、学者の顔をのぞかせている。正直にいって、桂久武書簡の解釈などは、素人にはいくら精読しても何ともどちらが是か否か判断がつかないが、学者先生の論争を拝読するのはとても興味深い。
本書では「幕末期の薩摩藩の主役が、通常よく語られる西郷―大久保ラインではなく、島津久光―小松帯刀ラインであった」という核心を衝いた指摘もある。我々は明治以降の西郷、大久保の存在感が目に焼き付いているため、どうしても維新前も同じ大きさで西郷、大久保を見てしまいがちである。西郷、大久保といえ、維新前は久光の手のひらで活動していたということを忘れてはならないだろう。
久光というと扶幕派というイメージが強い。薩摩藩が最後に倒幕に踏み切った背後には、久光の路線転換があったと見るべきであろう。久光が幕府を見限って倒幕の意を固めたのはどの時期だったのだろうか、個人的には非常に関心がある。
筆者はいう。
――― 人気者(その代表が西郷だったことは言うまでもない)中心の歴史は史実とそぐわない(史実をきちんと説明しえない)ことが多い。それといま一つ、嫌いな人物や集団を一方的に弾劾する歴史観からは、多面的に物事を見る視点は生まれない。さらに、あえて付け加えれば、歴史が本来有する深い味わいや面白味にも欠ける。
このご意見にはまったく同感である。歴史を学ぶ者としては、常に心掛けたい姿勢である。
本書は比較的肩の凝らない読み物となっているが、慶応元年(1865)十二月、対幕強硬路線を主張する西郷隆盛を抑えるために、久光が桂久武を京都に派遣したという解釈を巡って、町田明広先生と論争となっている。町田先生の「反論への反論」では、学者の顔をのぞかせている。正直にいって、桂久武書簡の解釈などは、素人にはいくら精読しても何ともどちらが是か否か判断がつかないが、学者先生の論争を拝読するのはとても興味深い。
本書では「幕末期の薩摩藩の主役が、通常よく語られる西郷―大久保ラインではなく、島津久光―小松帯刀ラインであった」という核心を衝いた指摘もある。我々は明治以降の西郷、大久保の存在感が目に焼き付いているため、どうしても維新前も同じ大きさで西郷、大久保を見てしまいがちである。西郷、大久保といえ、維新前は久光の手のひらで活動していたということを忘れてはならないだろう。
久光というと扶幕派というイメージが強い。薩摩藩が最後に倒幕に踏み切った背後には、久光の路線転換があったと見るべきであろう。久光が幕府を見限って倒幕の意を固めたのはどの時期だったのだろうか、個人的には非常に関心がある。
筆者はいう。
――― 人気者(その代表が西郷だったことは言うまでもない)中心の歴史は史実とそぐわない(史実をきちんと説明しえない)ことが多い。それといま一つ、嫌いな人物や集団を一方的に弾劾する歴史観からは、多面的に物事を見る視点は生まれない。さらに、あえて付け加えれば、歴史が本来有する深い味わいや面白味にも欠ける。
このご意見にはまったく同感である。歴史を学ぶ者としては、常に心掛けたい姿勢である。