著者村上泰賢氏は、群馬県の出身で東善寺の住職。小栗上野介の顕彰会の理事を務め、熱心に小栗の顕彰をされている方である。本書でも丹念に小栗の生涯を追い、その功績を浮き彫りにしている。
小栗上野介には何枚か肖像写真が残されているが、いずれも知性を感じさせる風貌が印象的である。実際彼は幕府きっての開明派であった。万延元年(1860)の遣米使節団は、各地で熱狂的な歓迎を受けたが、その理由は、アメリカとは全く異なる、ちょんまげに着物という風俗だけでなく、当時の日本人の「落ち着きと知性(「タイムズ」一八六〇年六月二日)」が、アメリカ人の心をつかんだのであろう。それを象徴する存在が小栗であった。
先年――といっても平成十五年なので、かなり昔の話だが――NHKのドラマで小栗上野介を主人公とした『またも辞めたか亭主殿』が放映された。筋立てはほぼ史実に沿って描かれていたが、終始違和感があった。その要因は、小栗を演じた岸谷五郎という役者にあった。岸谷五郎は、小栗上野介を表情豊かに、熱演していたが、私の小栗のイメージとは、随分かけ離れていた。個人的かつ勝手な想像ではあるが、小栗という人は、喜怒哀楽を顔に出して、簡単に腹の底を他人に読まれるようなことはしなかったのではないだろうか。いつもポーカーフェイスでは、テレビドラマにならないかもしれない。しかし、小栗上野介の凄みが、あれではなかなか伝わらないような気がしてならない。
何だか、途中から書評ではなくて、TV番組評になってしまいましたが…。
小栗上野介には何枚か肖像写真が残されているが、いずれも知性を感じさせる風貌が印象的である。実際彼は幕府きっての開明派であった。万延元年(1860)の遣米使節団は、各地で熱狂的な歓迎を受けたが、その理由は、アメリカとは全く異なる、ちょんまげに着物という風俗だけでなく、当時の日本人の「落ち着きと知性(「タイムズ」一八六〇年六月二日)」が、アメリカ人の心をつかんだのであろう。それを象徴する存在が小栗であった。
先年――といっても平成十五年なので、かなり昔の話だが――NHKのドラマで小栗上野介を主人公とした『またも辞めたか亭主殿』が放映された。筋立てはほぼ史実に沿って描かれていたが、終始違和感があった。その要因は、小栗を演じた岸谷五郎という役者にあった。岸谷五郎は、小栗上野介を表情豊かに、熱演していたが、私の小栗のイメージとは、随分かけ離れていた。個人的かつ勝手な想像ではあるが、小栗という人は、喜怒哀楽を顔に出して、簡単に腹の底を他人に読まれるようなことはしなかったのではないだろうか。いつもポーカーフェイスでは、テレビドラマにならないかもしれない。しかし、小栗上野介の凄みが、あれではなかなか伝わらないような気がしてならない。
何だか、途中から書評ではなくて、TV番組評になってしまいましたが…。