史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

秋田 Ⅲ

2019年07月13日 | 秋田県

(秋田にぎわい交流館)

 ほぼ半年ぶりに秋田県(能代)への出張の機会を経た。ただし、その日のうちに仙台へ移動しなくてはならなかったので、秋田県内で史跡を訪ねている時間はなかった。

能代から仙台へは、秋田新幹線を利用して四時間を要する。一旦、東京に戻っても時間的には変わらなかったかもしれない。おおよそ日本の交通網は東京や大阪、福岡といった大都市を中心に設計されており、地方から地方への移動はいずこも極めて効率が悪い。

せめて在来線から新幹線への乗り継ぎくらい効率よくいかせて欲しいものであるが、この日は秋田駅で五〇分も待ち時間があった。この時間を利用して久保田藩藩校明徳館跡を訪ねることにした。

 

                       

久保田藩黌明徳館址

 

 明徳館は、九代藩主佐竹義和(1775~1815)が開設した藩校。寛政二年(1790)にこの地に旧東根小屋町(現・中通一丁目西)に校舎が完成し、当初は学館と称した。寛政五年(1793)には儒学者山本北山を招いて規則を定め、校名を明道館とし、文化八年(1811)に明徳館と改めた。

 明治三年(1870)に藩学校と改称されるまで明徳館と呼ばれ、藩士にたいして儒教の代表的な経典である四書などの経書や史書の講義が行われたほか、医師の子弟や藩士の二、三男などを対象に医学を教えた医学局、日本の古典を研究する和楽局も設けられた。

 

 

明治天皇聖蹟

 

 明徳館の碑の隣には明治天皇聖蹟碑も建てられている。この石碑は明治十四年(1881)、明治天皇による二回目の東北・北海道巡幸の際、秋田県内を巡り、九月十五日から十八日をかけて旧秋田町に滞在したことを記念したものである。明治天皇は、この東根小屋町にあった八幡神社(現在、八幡秋田神社)も視察している。

 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 堺 Ⅲ | トップ | 仙台 Ⅵ »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マルテンサイト千年ものづくりイノベーション (グローバル鉄の道山陰)
2024-09-04 01:35:48
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
返信する

コメントを投稿

秋田県」カテゴリの最新記事