本書では幕末の「怪」と称して、二十五の「怪」を紹介している。「孝明天皇暗殺」とか「龍馬暗殺」など、これまでも様々な場で論じられてきたお題である。そういう意味では、特に新鮮味のあるものではなかったが、同じ話を徳川家の血縁の方の口で語られると、まるでその現場で見て来たかのような臨場感がある。これが本書の魅力であろう。
本書では幕末の「怪」と称して、二十五の「怪」を紹介している。「孝明天皇暗殺」とか「龍馬暗殺」など、これまでも様々な場で論じられてきたお題である。そういう意味では、特に新鮮味のあるものではなかったが、同じ話を徳川家の血縁の方の口で語られると、まるでその現場で見て来たかのような臨場感がある。これが本書の魅力であろう。
「英学」という言葉と筆者の姓名を見て、堀達之助の末裔の方ではないかと直感したが、まさにそのとおりであった。堀達之助には四人の息子がいた。そのうちどの系統かは不明であるが、著者の先祖への想いは並大抵ではない。東京の史跡を紹介すると断りながら、敢えて一章を設けて堀達之助を紹介し、そこで長崎大音寺の達之助の墓を掲載している。個人的にこういうこだわりは嫌いではない。
本書では、主に東京の英学関連の史跡を紹介している。そのほとんどの史跡は既に踏査済みであるが、中には本書で初めて知ったものもある。吉祥寺(文京区・本駒込)に名村五八郎の墓があったことは全く知らなかった。名村五八郎は、長崎の通詞出身で、ペリーの再来航時には森山多吉郎や堀達之助らとともに通訳をつとめ、万延元年(1860)の遣米使節にも随行し、米国大統領の前で通訳したことでも知られる。「墓があった」と過去形で記すのは、残念ながら平成二十四年(2012)四月、無縁仏として改葬され、墓は撤去されたのだという。何度も吉祥寺には足を運んだというのに、これに気が付かなかったのは残念というほかはない。
向丘高林寺の緒方洪庵の墓には何度か詣でたが、筆者は傍らに建てられた古賀謹一郎(茶渓)撰文の墓碑銘に注目する。古賀謹一郎は、生前洪庵と面識がなかったにもかかわらず、撰文を頼まれ、それを引き受けた。その経緯や思いに碑文の前半分を費やして記している。古賀はあえて洪庵を江戸に呼ばず、大阪にとどめ、そこで漢学の懐徳堂に並ぶ、洋学センター(関西版の洋書調所)を築き、それを洪庵に任せようという構想を持っていたというのである。古賀謹一郎は、古賀精里、穀堂、侗庵といった著名な儒学者を生んだ家系の出身であるが、偏狭な保守的学者ではなく、洋学にも通じた開明的な人物であった。蕃書調所の入学制限の撤廃など改革を主張したが受け入れられず、追い出されるように蕃書調所を去ることになる。英学史上に重要な足跡を記した一人であった。
薩摩藩や長州藩、土佐藩、会津藩などと比べると、福岡諸藩は地味かもしれない。幕末時点で、現在の福岡県域は、小倉藩(小笠原氏)、福岡藩(黒田氏)、久留米藩(有馬氏)、柳川藩(立花氏)のほか、その支藩である小倉新田藩や秋月藩など大小藩がモザイク状に存在していた。
小倉藩は、慶応二年(1866)の小倉戦争で長州藩の進攻を受け、藩領が戦場となった。将軍家茂の病没が伝わると、幕府軍総督を務める唐津藩主世子小笠原長行は早々に戦線から離脱した。これを知った九州諸藩も一挙に戦意を喪失し、次々と帰国した。その結果、小倉藩は孤軍奮闘することとなった。小倉城を自焼し、門司口、中津口、香春口に後退してそこで防戦に努めた。結局、小倉藩は小倉城を奪回することはできなかったが、長州藩の山県狂介(有朋)は「徳川幕府に忠義を尽くし、義を重んじる藩」と称賛した。
幕末の福岡藩主黒田長溥は、薩摩藩主島津重豪の十三男。長溥は実父重豪、養父黒田斉清の影響を受け、西欧の文化に強い興味を示し、「蘭癖大名」と呼ばれた。嘉永六年(1853)、ペリー艦隊が来訪した際、老中阿部正弘が広く幕臣、諸大名に意見を求めると、積極的に開国を主張する意見書を提出した。この時点で明確に開国を主張したのは、薩摩の島津斉彬、中津藩の奥平昌高、宇和島藩の伊達宗城らごく少数であり、長溥は開明派として注目を集める存在となった。
福岡藩からは平野国臣や月形洗蔵、野村望東尼、加藤司書といった全国に名前を知られる勤王派の藩士を輩出したが、幕末の最終局面に至って存在感を発揮できなかった。その最大の理由は、藩主長溥が公武合体思想から逃れられなかったことに尽きる。慶応元年(1865)十月、藩内保守派が主導権を握ると、尊攘派は加藤司書以下七名が切腹、月形洗蔵以下十四名が斬罪、野村望東尼以下二十五名が流刑の処され、福岡尊攘派は一掃された(己丑の変)。ところが、慶応四年(1868)正月、鳥羽伏見で新政府軍が勝利をあげると、今度は浦上信濃、野村東馬、久野将監の保守派三家老を免職、切腹させた。福岡藩は、水戸藩ほどではないにしろ、維新前に藩内の抗争により多くの有意の人材を喪失したのである。
幕末から明治初年の久留米藩も異彩を放つ存在であった。久留米藩では早くから水戸学の影響を受けた天保学連という尊王攘夷派が改革を推進し、藩政の主導権を巡って保守派と対立していた。天保学連を代表する人物が真木和泉である。真木は藩外で討幕活動を過激化し、文久二年(1862)の寺田屋事件でも黒幕的存在であった。さらに元治元年(1864)の禁門の変でも長州藩軍に加わり京都に攻め入ったが、天王山で自刃した。しかし、久留米藩内の抗争はこれで決着したわけではない。
慶応四年(1868)一月、藩政の実力者である参政不破美作が青年尊攘派に暗殺された。公武合体派は追放され、それまで幽閉されていた尊攘派メンバーが赦免され、久留米藩では新政府軍に兵を送った。明治二年(1869)二月には、今井栄、松崎誠蔵らそれまで藩政を動かしてきた開明派と呼ばれる人たち(思想的には公武合体、天保学連穏健派)は切腹させられた。彼らはのちに「殉難十志士」と呼ばれる。さらに明治四年(1871)には、長州藩の反乱分子である大楽源太郎らが久留米藩に潜伏し、明治新政府と久留米藩の緊張が高まる。結局、久留米藩では水野正名は終身禁獄、小河真文(池田八束)は斬罪、以下五十名の処分者を出した。再三にわたる政変により、久留米藩でも多くの人材が失われた。
幕末から明治初期の政局は目まぐるしく変転し、九州諸藩に限らず、いずれの藩でも藩是を定めるのに腐心した。結局、公武合体から討幕に方針を転換した薩摩藩にしても、一貫して尊王攘夷を主張した長州藩でも、流血は避けられなかった。激動は薩長だけに訪れたのではなく、日本全国がその波にさらされたことに思いを馳せたい。
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東京港醸造 株式会社 若松屋
港区芝の若松屋は、文化九年(1812)創業という酒造の老舗である。都心のビル街で酒造りを営んでいるというのも意外というしかない。幕末、芝で酒屋を営んでいたこの店は、薩摩藩の御用商人であった。当時の若松屋には奥座敷があり、直接東京湾に通じる水路があったといわれる。隠密に会合を持つには格好の立地であったため、多くの要人たちの密談の場となり、西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟といった歴史に名を残す人物が頻繁に訪れていたといわれる。現在も若松屋に残る掛け軸は、それら偉人たちが酒代の代わりに残して行ったものである。若松屋は、開国と江戸無血開城、文明開化を目指した藩士たちの密談場であった。明治時代には後継者問題、酒税法の変化に伴い、約百年続いた酒造業を明治四十二年(1909)、廃業することになった。平成二十三年(2011)、七代目、八代目にあたる親子がこの地で酒蔵を再開した。名物はどぶろく「江戸開城」。お屠蘇用に一本買って帰ったが、家族にも好評であった。
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「江戸開城」
ウマイ!
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山中貞輔氏の碑
国道18号線と旧中山道が交わる交差点の南側に山中貞輔氏の碑がある。山中貞輔は、中後閑から郷原の山中家に養子に来た人で、山中家十二代目を継いだ。学問に長けており、江戸末期から明治にかけて寺子屋を開いていた。この碑は、師を偲んで子弟らが建てた歌碑である。
月の入る 西の都を さし行ば
帰らぬ旅に 迷路もなし
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松郷斎一志翁之墓(中島忠七の墓)
山中貞輔氏歌碑のある場所から細い道を少し下ると、小さな墓地がある。その中に新島襄の祖父弁治の父(つまり曽祖父)忠七の墓がある。新郷原の中島家は、宝暦年間に上方から安中藩領の郷原に土着したといわれる家系である。
高千穂 |
高千穂官軍墓地 |
延岡 北川 |
鐙・北川・西郷茶屋・小倉処平自刃之地・「飫肥西郷」 小倉處平自刃の地↑・飫肥西郷 小倉處平自刃之地・小野邸・西郷宿陣跡・宿陣跡内 最後の軍議の場面を再現・軍服焼却之地・西郷隆盛宿陣の跡 小野熊治宅・祝子川・西南役戦跡 西郷隆盛露営之地 地蔵谷・吉祥寺・西郷隆盛宿陣阯・くりごし峠・くりごし峠・小倉處平加療の地・小倉處平加療の地記念堂・小倉處平像・成就寺 |
北川 可愛岳 |
桐野利秋宿陣跡(岡田邸)・可愛岳・滝・可愛岳山頂・中津大四郎自刃の地 |
延 岡 |
西郷隆盛陣頭指揮之地・和田越決戦之地・山県陸軍中将陣頭指揮の地・善正寺・招魂碑・台雲寺・内藤政挙墓・安藤適斎墓・安藤適斎碑・原時行夫妻之墓・原時行翁碑・新妻家先祖代々之墓・土方雄基之墓・延岡城北大手門・延岡市街・内藤政挙公像・城山墓所(内藤家墓所)・内藤記念館・野田神社・延岡隊最後の奮戦地跡・慈眼寺・贈従四位 胤康禅師之墓・胤康和尚記念館・胤康像・従四位僧胤康碑・僧胤康墓碑銘・西郷宿陣の地・西南之役史跡入口・山田顕義少将宿営の地・中条家 |
門 川 |
辺見十郎太奮戦の地・門川幼稚園・薩軍本陣跡(赤澤宅) 西南戦争戦跡地 |
日 向 |
有栖川征討総督宮殿下御本営跡・有栖川熾仁親王本営遺跡・細島官軍墓地・陸軍少佐正七位迫田鐵五郎之墓・細島みなと資料館・黒田の家臣・赤心報國之碑・日向岬・黒木庄八翁之碑・田中河内介父子慰霊土埋設之碑・故一等警部補細谷卓良之墓・西南の役激戦の地碑・耳川橋梁・菅原神社・菅原神社・西南之役戦没者慰霊之碑・福瀬神社・行年二十四才 高木岩三郎墓 |
川 南 |
トロントロン・トロントロン・知名の由来「トロントロン」 |
高 鍋 |
秋月墓地(大龍寺跡)・泰雲院殿前城州太守寶山宗真大居士(秋月種徳の墓)・子爵正五位秋月種繁墓・俊徳院殿前筑前太守寛道宗裕大居士(秋月種任の墓)・従二位勲二等秋月種樹墓・高鍋藩知事秋月公霊(秋月種殷の墓)・黒水家住宅・籾蔵・高鍋町歴史総合資料館・萬歳亭はなれ・高鍋護国神社・高鍋城跡・高鍋市街・戊辰役殉難招魂之碑・西南之役丁丑戦亡記念碑・谷坂官軍墓地・谷坂官軍墓地・平林墓碑(平林忠恕の墓) |
宮崎 佐土原 |
金柏寺・大光寺・広瀬中学校・島津啓次郎像・広瀬護国神社・戦没招魂塚・広瀬小学校・広瀬城跡・「西郷札」製造所跡・小牧秀發之・慥斎籾木先生之墓・眞月院卓禅道軒居士(能勢直陳の墓)・能勢陳常遺髪之墓・壱岐佐平太之墓・三島貢遺髪之墓・児玉平格翁諱實徳之墓・顯考靍田男之進祐業神霊 |
宮 崎 |
宮崎基督教会・西郷隆盛翁駐在之跡 敬天愛人・帝釈寺・丁丑戦死之墓 |
宮崎 糸原 |
谷村計介生誕之地・下馬場ちびっこ公園・贈従五位陸軍伍長谷村計介墓・贈従五位陸軍伍長谷村計介誕生之地・倉岡神社・倉岡城(池尻城)跡入口・谷村計介之像・慰霊塔・丁丑之乱戦死塚 |
宮崎 高岡 |
高岡護国神社・戊辰殉難戦亡招魂塚・丁丑戦死招魂塚・西南戦役 記念碑・池上市助墓・高木兼寛・高木兼寛生誕地・学祖高木兼寛先生生誕之地・穆園広場・高木兼寛先生之像・ |
宮崎 清武 |
安井息軒記念館・安井息軒像・佐代夫人供養塔・安井息軒廟・郷校明教堂跡地・安井息軒旧宅・安井息軒旧宅上座・安井息軒像・湯地翁碑・安井息軒先生誕生地・中野神社・歴代安井家墓地・息軒の兄 安井朝淳の墓・伊東家僑墓 |
国 富 |
宝光寺・法難三法師の墓・本庄剣柄稲荷神社・宮永家墓所・宮永真幸大人墓・宮永家墓所・宮永眞琴大人墓 |
都城 山之口 |
走湯神社・招魂墓 |
都城 高城 |
高城郷土資料館・招魂塚・西南戦争石碑群・聖上御統監之地・間ヶ塚(哀れが塚)・熊野神社・薩摩街道の由来・さつま街道 国見峠・さつま街道 さつま峠 |
都城 高崎 |
館山公園・招魂塚・宇賀神社・招魂碑 |
都城 山田 |
石川理紀之助翁之像・石川理紀之助翁学跡地・前田君開渠紀功碑・戦役紀念碑 征清紀念碑・忠霊塔 |
三 股 |
鍋ふさぎの墓・別納家・山王原稲荷神社・西南役 従軍碑・招魂塚・早馬神社・薩軍本営跡・薬師堂・無名戦士の墓・御崎神社・一番隊出兵者の燈籠 |
都 城 |
正七位隈元棟貫大人之墓・荒川家(荒川元の墓)・榕斎藤崎伯裕之墓・肥田景粛之墓・鶴水木幡先生墓(木幡量介の墓)・贈従五位木幡榮周先生榮錫記念碑・大河原家先祖代々之墓 雲松軒瑞山一豫居士・坂元旭先生墓・清水晴國大人之碑・山下盛徳之墓・神柱宮・高山彦九郎遺跡・桂久武寄贈の手水鉢・戊辰之役 戦死者・招魂塚・勝海舟詩碑・二嚴寺趾・大館晴勝(四郎)墓・都城島津邸・都城島津邸庭園・昭和天皇宿泊の部屋・旭丘神社祖霊社・義烈塔・都城六烈士殉難慰霊碑・元帥陸軍大将従一位大勲位功二級子爵上原勇作墓・都城島津家墓地・仁量院(島津久統の墓)・功山義融大居士(島津久倫の墓)・贈従四位 高顯院殿傑心泰道大居士(島津久静の墓)・恭徳久寛主命(島津久寛の墓)・豐徳久本主命奥津城(島津久本の墓)・明道館跡 |
都城 庄内 |
庄内小学校・遺徳之碑(三島通庸顕彰碑)・南洲神社・明治丁丑之役従軍記念碑・記念碑および招魂碑・関之尾滝・庄内川・歐穴群・川上神社・母智丘神社・上荘内郷役館碑・展望台からの眺望・史跡 桜田門外の変 有村次左衛門寓居の地 |
飫 肥 |
本照寺・飫肥城大手門・旧本丸跡・飫肥杉・豫章館・小村寿太郎候誕生之地・小村壽太郎候誕生之地(東郷平八郎書)・旧藩校振徳堂・小村寿太郎胸像・小倉處平顕彰之碑・小村寿太郎記念館・小村寿太郎生家・小村寿太郎生家・飫肥武家屋敷・旧伊東伝左衛門家・五百禩神社・旧報恩寺庭園・平部嶠南墓・伊東家累代墓地・正八位伊東直記之墓・伊東祐帰墓・伊東祐弘墓・小村寿太郎候之墓・侯爵小村寿太郎墓・小村寛墓 小村梅墓・小村家の墓・招魂社・西南役紀念碑・飫肥隊墓所・嗚呼小倉處平之墓・日清戦争戦没者墓所 |
高 原 |
高原護国神社・高原護国神社・招魂碑 |
小林 須木 |
西郷隆盛宿営之地碑・西郷南洲翁仮宿之地碑・大年神社・戦死追吊碑・西南戦争従軍者碑 |
小 林 |
東方大丸太鼓橋・東方大丸太鼓橋・東方大丸太鼓橋・岩瀬川・西郷どんの道・西郷どんの道・西郷どんの道・藩校文行堂跡・地頭仮屋敷跡・浄信寺・西郷隆盛宿陣之地・緑ヶ丘公園・招魂塚・永仁の碑・旧岩間橋・岩牟礼城跡・招魂碑・招魂塚・関ヶ原記念碑 |
小林 野尻 |
大塚原公園・道の駅ゆ~ぱる野尻・平和之礎・奉招神魂碑・野尻町歴史民俗資料館・西郷札展示・高妻神社・招魂社 |
鞍 岡 |
今光寺 |
椎 葉 |
鶴富屋敷 |
えびの |
昌明寺・加久藤越 |
諸 塚 |
西郷隆盛従軍の路 |
美 郷 |
万鷲寺 |
上 海 |
外灘・外白渡橋・文廟(孔子廟) |
天 津 |
大沾口炮台遺址紀念碑・利順徳大飯店・伊藤博文レリーフ |
台湾 石門 |
石門山牡丹社事件紀念碑・四重渓・石門山・石門古戦場碑誌・虱母山山頂 澄清海宇還我河山・征蕃役戦死病没忠魂碑台座 |
台湾 四十渓温泉 |
大日本琉球蕃民五十四名墓 |
ボストン |
ボストンン市街ノースエンド方面 |
ロンドン |
クラリッジ・ホテル・自然史博物館・ヴィクトリア&アルバート博物館・EXHIBITION ROAD・ロンドン・ブリッジ駅・セント・ポール大聖堂・大英博物館・国会議事堂・ウェストミンスター寺院・バッキンガム宮殿・ロンドン大学(University College of London)・日英友好協会その他有志による記念碑 |
ロンドン Ⅱ |
ヴィクトリア駅・聖メアリー病院・ハイド・パーク・大英博物館 日本の展示・ミイラ・有名なロゼッタ・ストーン・日本の先駆者たちの記念碑・ヂラフ・カンクロウ・ラクダ・ロンドン塔・タワー・ブリッジ・セント・ポール大聖堂・パークスの記念碑・税関・ハンプトン・コート・パレス |
ロンドン エッジウェア |
エッジウェア駅・聖フローレンス教会・パークスの墓 |
ウィンザー |
パディントン駅・ウィンザー駅・ウィンザー城・ラウンド・タワー・聖ジョージ礼拝堂 |
グリニッジ |
グリニッジ公園・グリニッジ天文台・海軍博物館 その向こうに王立海軍学校・カティーサーク号 |
シンガポール |
マーライオン・フラトン・ホテル・日本人墓地公園・納骨堂・御堂・南光院大圓智覺居士位(二木多賀次郎の墓)・楳仙大和尚の墓・二葉亭四迷之碑・からゆきさん精霊菩提・佐藤登満の墓・フォート・カニング・パーク・ピナコテーク・ド・パリ・セメタリー・ウォール・キリスト教墓地・THE MEMORY OF EMILY LOUISA OTTOSON |
ニューヨーク マンハッタン |
マンハッタンを上空より臨む・クリントン砦・バッテリー公園・シティホール・ブロードウェイ(キャナル通り付近)・ブロードウェイ(プリンス通り付近)・グレース教会・セント・マークス教会・ニューヨーク市立図書館・ユニオン・スクエア・リンカーン像・ワシントン像・セントラル・パーク・ニューヨーク市立大学・タンゼント・ハリス・ホール・地下鉄車内の様子・ペリー晩年の住居付近・ |
ニューヨーク ブルックリン |
グリーンウッド墓地入口・ハリスの墓 |
シカゴ |
シカゴ市街・ユニオン駅・ユニオン駅構内・ウォーター・タワー・ネイビー・ピア |
ホーチミン |
チョロンを象徴するビンタイ市場・天后宮(穂城会館)・関帝・天后聖母・財帛星君・カットミン・サイゴン教会・陳興道像・ハノイ郊外の墓地・ミトーの水上家屋・マンゴスチン |
パ リ |
パリ北駅・パリ北駅・パリ・コミューン記念碑(モンパルナス墓地)インターコンチネンタル・パリ・ル・グラン(旧グランドホテル)・パリ凱旋門・二百八十四段の螺旋階段・サクレ・クール寺院を望む・グランデ・アルシュを望む・サン・マルタン門・サン・ドニ門・サン・ドニ門の装飾・ショコラ博物館・パレ・ブロンニャール・国立図書館・フランス国立銀行・BANQUE DE FRANCE・パレ・ロワイヤル・ルーヴル美術館・ガラスのピラミッド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」・ゴヤ「青い服の子供」・パルミジャニーノ「アンテア(若い女性の肖像)」・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」・ダヴィッド「ナポレオン一世の戴冠式」・アポロンの回廊・モザイク画・「サモトラケのニケ」・ホテル・ルーヴル・オーステルリッツ記念柱・ナポレオン像・ショパンが最晩年を過ごした家・ショパンの家の内部・マドレーヌ寺院・マドレーヌ寺院外壁 |
パ リ |
上部の彫像・天井画・寺院内部・アンリ四世騎馬像(ポンヌフ橋)・チュイルリー宮殿・チュイルリー庭園・コンコルド・オベリスク・ペルゴレーズの館・ペルゴレーズの館にて・ブローニュの森・レンタルボート屋・モン・ヴァレリアン要塞・モン・ヴァレリアン要塞から・セーヌ川・ポンヌフ橋・ポンヌフ橋・パリ造幣局博物館・フランス学士院・ニコラ・ド・コンドルセ像・ノートルダム寺院・コンシェルジュリー・パレ・ド・ジャスティス・サン=ルイ島・マリオノー・エッフェル塔・シャン・ド・マルス公園・エッフェル塔よりシャン・ド・マルス公園を望む・パリ下水道博物館・アンヴァリッド廃兵院 ナポレオンの廟堂・アンヴァリッド廃兵院 北側の門・フランス軍が戦利品として持ち帰った青銅砲・ナポレオン二世・ナポレオンの墓・ジョゼフ・ナポレオンの墓・リュクサンブール公園・リュクサンブール公園・パリ国立高等鉱業学校附属資源博物館・日本特命全権公使鮫島尚信之墓・博士入江文郎之墓・楢崎頼三之墓・FAMILLE SAINT-SAENS・CESAR FRANCK・パリ天文台・LE VERRIER・カタコンブ・カタコンブ・パリ植物園・デージー・デルフィニウム・バスティーユ広場・ビュット・ショーモン公園・ペール・ラシェーズ墓地正門・大日本肥前野中元右衛門之墓・GUSTAVE DUCHESNE DE BELLECOURT・FAMILLE CHANOINE Charles Sulpice Jules Chanoine・General Jules Brunet・PATRIAM DELEXIT VERITATEM COLVIT・FAMILLE OUTREY・A GEORGES BIZET・A FRED CHOPIN・FRANCIS POULENC・ROSSINI・ヴァンセンヌ城「村の塔」・サント‐シャペル・ステンドグラス・小城塞・古典様式の館・窓の外枠に付属していた彫刻 |
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フォンテンブロー |
フォンテンブロー庭園・フォンテンブロー城・フォンテンブロー城・フォンテンブロー共同墓地 |
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マルセイユ |
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リヨン |
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フランクフルト |
フランクフルト国際空港・フランクフルト市街 |
ウィーン |
プラーター公園・ホテル・オーストリア・シュテファン大聖堂・南塔からの眺望・南塔 見張り台・壮麗な内陣・ウィーン世界博物館・ホーフブルク王宮・国立図書館プルンクザール・国会議事堂・ブルク劇場・軍事歴史博物館・フランツ・ヨーゼフ一世胸像・軍事歴史博物館 |
ミュンヘン |
バヴァリアの女神像・バヴァリアの女神像全景・足もとのライオン像・ライオン像の裏側・バヴァリアの前の広場(Theresienwiese)・バヴァリアの女神像内部・背後には偉人の胸像がずらり・女神像の背後・シーボルトの墓・墓標・旧南墓地・肖像や紋章・Exforscher Japans:元日本研究者・強哉矯・シーボルトの肖像・62番のバス・ザンクト・アントン教会・五大陸博物館・ハイネの描いた江戸とその周辺の展示・オーバーバイエルン州政府・ミュンヘン・レジデンス・中庭・祖先画ギャラリー・グロット宮殿Grotto Courtyard・アンティクアリウムAntiquarium・ストーブ・選帝候の寝室・豪華な調度品・騎士の像・インペリアル・ホールImperial Hall・置時計・飾り部屋Ornate Rooms・緑のギャラリーGreen Gallery・客人のための寝室・時計・出入口にあった彫像・ルートビッヒ教会・勝利の門・勝利の門の脇の並木道・エングリッシャーガルテン・中国の塔Chinesischer Turm・レバーケーゼ(leberkasse)・ビール・昼間からビールを楽しむ人たち・ジョッキの返還場所 |
豊見城 |
ジョン万次郎記念碑・高安家・シーサー・石敢當 |
那覇 Ⅱ |
波上宮(有栖川威仁親王謹書)治天皇像・波ノ上宮・護国寺・ベッテルハイム博士居住之趾碑・仲地紀仁顕彰碑・臺灣遭害者之墓 |
那覇 首里城 |
守禮之邦・首里城 正殿・正殿前・正殿内 国王の椅子・園比屋武御嶽石門・玉陵 |
中 城 |
中城城跡・三の郭の石積み・中村家住宅 |
那覇 Ⅲ |
ペルリ提督上陸之地碑・米国海軍兵士の墓・米国海軍兵士の墓・聖現寺 |
鹿児島 加治屋町 |
大久保利通像・大久保利通生立ちの地・維新ふるさと館・西郷隆盛、従道生誕の地・村田新八生誕の地・元帥大山巌生誕の地・伊地知正治生誕の地 |
鹿児島 高麗町 |
大久保利通生誕の地 |
鹿児島 上之園 |
西郷南洲翁宅地之跡 |
鹿児島 照国 |
照国神社(島津斉彬像・久光像・忠義像)・賞典学校跡・戊辰戦争戦士顕彰碑 |
鹿児島 城山 |
西郷隆盛銅像・小松帯刀像・史跡 鶴丸城跡・私学校跡・西郷南洲終焉の地 ・西郷隆盛蘇生の家・黎明館・西郷札・鹿児島市役所 米倉跡・西郷洞窟・桜島・明治十年戦役薩軍本営跡・南洲・甲東先生座禅石 |
鹿児島 草牟田 |
夏蔭城跡・草牟田陸軍火薬庫跡・玉江練兵場跡 |
鹿児島 南州墓地 |
南洲墓地西郷隆盛の墓・市立南洲顕彰館・南洲翁直筆の書・仁禮景通墓・貴島國彦(清)墓・河野通政(主一郎)墓・平野正介墓・小倉知周(壮九郎)墓・村田三介墓・西南戦争戦没者碑・桐埜利秋墓・篠原国幹墓・村田新八墓・永山盛弘(弥一郎)墓・池上貞固(四郎)墓 高城七之丞墓・渕辺高照墓・邊見十郎太墓・別府景長(晋介)墓・桂久武墓・山野田一輔墓・大山綱良墓・岩村縣令紀念碑・西郷隆盛坐像・勝海舟の歌碑 |
鹿児島 大竜 |
大龍小学校 大龍寺城跡 |
鹿児島 西別府 |
西郷野屋敷跡 |
鹿児島 武 |
西郷屋敷跡・西郷公園 西郷隆盛と菅実秀像・古井戸・兄弟の契りの碑 |
鹿児島 郡元 |
涙橋血戦の跡 |
鹿児島 皆与志 |
川路大警視生誕の地 |
鹿児島 吉野 |
磯庭園・磯御殿・桜島・反射爐址・薩摩藩百五十斤鉄製砲(復元)・炉床の下部構造・尚古集成館・異人館・紡績工場跡・造船所跡・別府晋介生誕の地・桐野利秋生誕の地・川上操六生誕の地・寺山・南洲翁開墾地遺跡碑 |
鹿児島 祇園之洲 |
薩軍砲台跡・西南戦争慰霊塔 |
鹿児島 清水 |
東郷平八郎銅像・多賀山公園 |
鹿児島 平之町 |
調所広郷邸跡 |
鹿児島 天保山 |
天保山砲台跡・調所広郷の像・島津斉彬公陣屋跡 |
鹿児島 玉里 |
玉里邸跡 |
伊集院 |
永平橋・平野国臣の歌碑・有馬新七生誕の地・有馬新七墓所 |
姶 良 |
重富 紹隆寺 |
加治木 |
加治木島津氏館跡 西南戦争百年記念碑・竜門司坂 |
福 山 |
官軍上陸の地・宮浦神社・弾痕の残る大イチョウ |
大 隅 |
岩川官軍墓地 |
隼 人 |
日当山温泉・西郷どんの宿・洗心館 |
横 川 |
民部塚(川路利良像) |
溝 辺 |
西郷公園 西郷隆盛像 |
大 口 |
高熊山・高熊山 熊本隊の墓・辺見十郎太・池辺吉十郎奮戦の地・二号塹壕・辺見十郎太の涙松・坊主石山・薩軍無名戦士の碑 |
出 水 |
武家屋敷・地頭御仮屋敷門・伊藤家・加紫久利神社・野間の関跡 |
宮之城 |
楠木神社・西南戦争殉難者の碑 |
蒲 生 |
竜ヶ城跡 |
川 内 |
高城温泉・双葉館・戦国村 |
東 郷 |
藤川神社 愛犬ツンの銅像 |
霧 島 |
霧島神宮・坂本龍馬・おりょう新婚旅行記念・塩浸温泉 坂本龍馬お龍新婚湯治碑 |
栗 野 |
栗野岳温泉南洲翁遊猟の地 |
山 川 |
鰻池・西郷南洲先生逗留の地 ・西郷隆盛石像 |
根 占 |
平瀬十郎宅 西郷南洲翁定宿 ・弾痕・「幾歴辛酸志始堅」 |