(月見山墓地)
堀内誠之進墓
週末はベトナムから連れてきた社員を案内して、買い物と観光に付き合うことになった。彼は家族や同僚、知人からたくさんの注文を受けており、そのリクエストに応えるためほぼ一日買い物に費やすことになった。といっても、ドラックストアとかイオンモールなどをはしごしただけで、京都でないと買えないものがあったわけではない。
二日目の朝少しゆっくりできたので、一時間早めに家を出て、大津の月見山墓地を訪ねた。JR大津駅から東へ徒歩七~八分ほどである。墓地のほぼ中央付近に堀内誠之進の古い墓石が立っている。
堀内誠之進(せいのしん)は、天保十三年(1842)生まれ。土佐藩郷士島村文蔵の次男。同郷の羽田恭輔らと国事に奔走。征韓論をとなえる丸山作楽にしたがい明治四年(1871)朝鮮渡航を企てて、捕らえられ終身禁固となった。西南戦争が起こると脱獄して西郷軍に加わった。政府に自首し明治十二年(1879)十月、大津で獄死。三十八歳。
堀内誠之進という志士は、ほとんど無名の存在である。遠矢浩規氏が「明治維新 勝者のなかの敗者」で取り上げ、横井小楠暗殺、奇兵隊の反乱、二卿事件から西南戦争に至る反政府活動に関与した事績を解明してみせた。この墓は平成三十一年(2019)に四万十町教育委員会と同町有志の方々により発見されたものである。