当方の「大久保利通好き」を知っている上司が、新聞の書評欄の小さな記事を見つけてこの本のことを教えてくれた。早速その日の会社の帰りに書店に立ち寄って買い求めた。
著者は元新聞記者であって、歴史学者ではない。いかにも新聞記者らしく安積疏水の大久保神社や倉敷市の尊瀧院にまで足を運び、できる限りの資料にあたって、大久保利通の実像に迫ろうとする。その手法は、極めて実証的である。一方、歴史学者の毛利敏彦氏が直感的に「大久保は、源作(江藤新平の弟)の顔に、彼が佐賀の乱で処刑した江藤新平の亡霊を見たのかと、思わず取り乱したのではないだろうか」と主張したことに激しく異議を唱える。本書の最大の読みどころは、最終章の「暗殺現場の真相」である。著者は尊瀧院に保存されている大久保利通の馬車を実見し、暗殺時に大久保が降りたのは右側だったのか、左側だったのか、御用箱を馬車内に残したままだったのか、腕に抱えたままだったのかという点まで細かく検証して、当時の様子を再現してみせた。まるで目の前で大久保利通暗殺劇を見るかのような迫力である。実は鹿児島で開かれた「西南戦争120年展」に(これは今から十五年前に開催されたものであるが)大久保利通暗殺時の馬車が展示されたことがあり、当時鹿児島に勤務していた私はこの馬車を見る機会に恵まれたが、この本を読んでもう一度見てみたいという想いに駆られた。
本書では西南戦争勃発の直接的原因の一つとなった警察官中原尚雄らの派遣について、川路利良の独断であって、大久保は関知していなかったという説を採る。当時、警察は大久保が内務卿の任にあった内務省の管轄であり、現代の組織からすれば、このような重大な決定を大久保が知らされずに進められるとは考えにくい。更に言えば、同じ時期、大久保の指示を受けて鹿児島に派遣された野村綱のような人物が存在したことを考え合わせると、西郷を刺殺するというところまでの使命を負わされているかは不明であるとしても、大久保も承知の上でのことだったと私は思う。済みません、直感的にそう思うだけですが…。
著者は元新聞記者であって、歴史学者ではない。いかにも新聞記者らしく安積疏水の大久保神社や倉敷市の尊瀧院にまで足を運び、できる限りの資料にあたって、大久保利通の実像に迫ろうとする。その手法は、極めて実証的である。一方、歴史学者の毛利敏彦氏が直感的に「大久保は、源作(江藤新平の弟)の顔に、彼が佐賀の乱で処刑した江藤新平の亡霊を見たのかと、思わず取り乱したのではないだろうか」と主張したことに激しく異議を唱える。本書の最大の読みどころは、最終章の「暗殺現場の真相」である。著者は尊瀧院に保存されている大久保利通の馬車を実見し、暗殺時に大久保が降りたのは右側だったのか、左側だったのか、御用箱を馬車内に残したままだったのか、腕に抱えたままだったのかという点まで細かく検証して、当時の様子を再現してみせた。まるで目の前で大久保利通暗殺劇を見るかのような迫力である。実は鹿児島で開かれた「西南戦争120年展」に(これは今から十五年前に開催されたものであるが)大久保利通暗殺時の馬車が展示されたことがあり、当時鹿児島に勤務していた私はこの馬車を見る機会に恵まれたが、この本を読んでもう一度見てみたいという想いに駆られた。
本書では西南戦争勃発の直接的原因の一つとなった警察官中原尚雄らの派遣について、川路利良の独断であって、大久保は関知していなかったという説を採る。当時、警察は大久保が内務卿の任にあった内務省の管轄であり、現代の組織からすれば、このような重大な決定を大久保が知らされずに進められるとは考えにくい。更に言えば、同じ時期、大久保の指示を受けて鹿児島に派遣された野村綱のような人物が存在したことを考え合わせると、西郷を刺殺するというところまでの使命を負わされているかは不明であるとしても、大久保も承知の上でのことだったと私は思う。済みません、直感的にそう思うだけですが…。