我が国における第二次世界大戦後の復興と高度成長は、世界から驚嘆の目で見られた。明治政府による近代化についても、驚異的なスピードで進行した。もちろんそれは、政府の富国強兵策や民間の努力、国民性などをもって説明は可能かもしれないが、いわゆる「お雇い外国人」と呼ばれた人たちの貢献が絶大であった。明治の近代化は、我が国の独力で成ったのではなく、数多くのお雇い外国人の存在があって成し遂げられたという事実を忘れてはならない。
同時に著者が指摘するように、彼らは飽くまで助力者・助言者の域を出ず、政策決定の主導権は明治政府の指導者が堅く維持していたことも強調すべき特徴である。
本書では、フルベッキ、ボアソナード、ロエスレル、ジュ・ブスケ、ドゥグラス、デニソン、キンドル、シャンド、ワグネル、ダイエル、モルレー、モース、フェノロサら、政治、法制、軍事、外交、経済、産業、教育、学術など、幅広い分野において功績を残した外国人を紹介している。彼らはいずれもその分野の深い専門性を有し、超人的な情熱と指導力で黎明期の我が国にその基礎を植え込んだ。困難も多かったとは思うが、同時に極めて遣り甲斐の大きな仕事でもあったであろう。
著者は、彼らが必ずしも本国で成功した者とは限らない。むしろ失意の境遇にあったとき、日本からの誘いがあり、そこに情熱を注いだものが多かったということを指摘する。そういう「後がない」状況だったからこそ、彼らも日本という極東の新興国に骨を埋めてまでも、仕事に没頭したという側面もあるのかもしれない。
この時期に来日した外国人の中には、本国で食い詰めた者やいかさま者が紛れ込むこともあったらしい。大学南校(東京大学の前身の一つ)でも専門的素養のない「商店員、ビール醸造人、薬剤師、百姓、船員、曲馬団の道化役者」がまじり、在留外国人らがこの学校のことを「無宿者の収容所」と酷評したという。とはいえ、我が国にとって幸いなことに、この時期のお雇い外国人の質は概ね良好であったといえよう。
本書は、昭和四十年(1965)に世に出たもので、平成十八年(2006)に、約四十年振りに講談社学術文庫から復刊したものである。今なお価値のある良書といえる。
同時に著者が指摘するように、彼らは飽くまで助力者・助言者の域を出ず、政策決定の主導権は明治政府の指導者が堅く維持していたことも強調すべき特徴である。
本書では、フルベッキ、ボアソナード、ロエスレル、ジュ・ブスケ、ドゥグラス、デニソン、キンドル、シャンド、ワグネル、ダイエル、モルレー、モース、フェノロサら、政治、法制、軍事、外交、経済、産業、教育、学術など、幅広い分野において功績を残した外国人を紹介している。彼らはいずれもその分野の深い専門性を有し、超人的な情熱と指導力で黎明期の我が国にその基礎を植え込んだ。困難も多かったとは思うが、同時に極めて遣り甲斐の大きな仕事でもあったであろう。
著者は、彼らが必ずしも本国で成功した者とは限らない。むしろ失意の境遇にあったとき、日本からの誘いがあり、そこに情熱を注いだものが多かったということを指摘する。そういう「後がない」状況だったからこそ、彼らも日本という極東の新興国に骨を埋めてまでも、仕事に没頭したという側面もあるのかもしれない。
この時期に来日した外国人の中には、本国で食い詰めた者やいかさま者が紛れ込むこともあったらしい。大学南校(東京大学の前身の一つ)でも専門的素養のない「商店員、ビール醸造人、薬剤師、百姓、船員、曲馬団の道化役者」がまじり、在留外国人らがこの学校のことを「無宿者の収容所」と酷評したという。とはいえ、我が国にとって幸いなことに、この時期のお雇い外国人の質は概ね良好であったといえよう。
本書は、昭和四十年(1965)に世に出たもので、平成十八年(2006)に、約四十年振りに講談社学術文庫から復刊したものである。今なお価値のある良書といえる。