近々、実家が大阪から京都に引っ越すというので、両親が片付けに追われている。この本は父親の本棚から出てきたもので、昭和六十一年(1986)に発刊された、少し古い本である(続編の方は、平成四年(1992)の発刊)。
フランス人ビゴーは、明治十五年(1882)二十一歳のとき来日し、明治三十二年(1899)までの十八年間、日本を描き続けた風刺画家である。その旺盛な好奇心と観察眼、取材意欲に圧倒される。
冒頭紹介されているのは、明治二十二年(1889)に東京・神戸間が開通した東海道線の様子である。当時の車両は一等から三等に分れていた。当時、新橋―神戸間の三等車両の運賃は三円七十六銭。二等は、その倍以上の七円五十三銭。一等になると十一円二十八銭というから、三等の三倍以上となる。当時の巡査の初任給が八円というから、運賃の水準が実感できるだろう。ビゴーは卓越した観察眼で、一等・二等・三等の乗客を描き分ける。一等の乗客となると、華族、高級官僚、実業家という富裕層である。現代でも「格差社会」が問題になっているが、明治のわが国は、現代以上に格差社会であったことが一目瞭然である。
この時代の人たちのファッションにも注目である。和服に西洋風の帽子と色眼鏡を着用し、足もとは草履や下駄という和洋折衷のいでたちが目につく。ビゴーにしてみれば、このファッションだけでも十分笑えただろう。日本人にとっては当たり前で記録するに値しないような事柄でも、外国人であるビゴーには興味の対象となったのである。ビゴーのスケッチを通じて、我々は当時の風俗を知ることができる。登場する日本人の多くが出っ歯の猿のように描かれているのは少々気になるが…
ビゴーは明治十五年(1882)から二年間、陸軍士官学校の画学教師を務めた。その立場を利用したものか、普通では目にすることができないような軍の内側をいつくも描いている。身体検査の様子や、酔っ払って朝帰りする兵士の姿、憲兵につかまって兵営に連れ戻される脱走兵など、今となっては貴重な証言である。
次に紹介されている「芸者の一日」「娼婦の一日」では、さらに裏舞台に潜入している。上半身裸になって洗顔する娼婦や入浴する芸者など、どうやってスケッチしたのか分からないが、相当な執念がないと描くことができないものである。
続編の方では、日露戦争へと突き進む日本の事件を対象にしたものを多く紹介している。第一回総選挙や鹿鳴館の様子を描いた風刺画は、今日、我々が風刺画と聞いて連想するような(たとえば山藤章二氏の風刺画のような)アイロニーの効いた作品となっている。
著者清水勲氏は、漫画・風刺漫画研究の第一人者。ビゴーの観察眼も鋭いが、そのビゴーの風刺画を見る著者の眼もまた鋭い。
フランス人ビゴーは、明治十五年(1882)二十一歳のとき来日し、明治三十二年(1899)までの十八年間、日本を描き続けた風刺画家である。その旺盛な好奇心と観察眼、取材意欲に圧倒される。
冒頭紹介されているのは、明治二十二年(1889)に東京・神戸間が開通した東海道線の様子である。当時の車両は一等から三等に分れていた。当時、新橋―神戸間の三等車両の運賃は三円七十六銭。二等は、その倍以上の七円五十三銭。一等になると十一円二十八銭というから、三等の三倍以上となる。当時の巡査の初任給が八円というから、運賃の水準が実感できるだろう。ビゴーは卓越した観察眼で、一等・二等・三等の乗客を描き分ける。一等の乗客となると、華族、高級官僚、実業家という富裕層である。現代でも「格差社会」が問題になっているが、明治のわが国は、現代以上に格差社会であったことが一目瞭然である。
この時代の人たちのファッションにも注目である。和服に西洋風の帽子と色眼鏡を着用し、足もとは草履や下駄という和洋折衷のいでたちが目につく。ビゴーにしてみれば、このファッションだけでも十分笑えただろう。日本人にとっては当たり前で記録するに値しないような事柄でも、外国人であるビゴーには興味の対象となったのである。ビゴーのスケッチを通じて、我々は当時の風俗を知ることができる。登場する日本人の多くが出っ歯の猿のように描かれているのは少々気になるが…
ビゴーは明治十五年(1882)から二年間、陸軍士官学校の画学教師を務めた。その立場を利用したものか、普通では目にすることができないような軍の内側をいつくも描いている。身体検査の様子や、酔っ払って朝帰りする兵士の姿、憲兵につかまって兵営に連れ戻される脱走兵など、今となっては貴重な証言である。
次に紹介されている「芸者の一日」「娼婦の一日」では、さらに裏舞台に潜入している。上半身裸になって洗顔する娼婦や入浴する芸者など、どうやってスケッチしたのか分からないが、相当な執念がないと描くことができないものである。
続編の方では、日露戦争へと突き進む日本の事件を対象にしたものを多く紹介している。第一回総選挙や鹿鳴館の様子を描いた風刺画は、今日、我々が風刺画と聞いて連想するような(たとえば山藤章二氏の風刺画のような)アイロニーの効いた作品となっている。
著者清水勲氏は、漫画・風刺漫画研究の第一人者。ビゴーの観察眼も鋭いが、そのビゴーの風刺画を見る著者の眼もまた鋭い。