先月、北海道月形町の篠津囚人墓地で熊坂長庵の墓に対面して以来、この人物と「藤田組贋札事件」のことが気になっている。長庵の出身地である神奈川県愛川町中津には、あれから三回も足を運んでいる(といっても、自宅から四十分程度のドライブに過ぎないが)。確かに、「不運な名前」で伊田元校長が力説しているように、熊坂長庵は教育家として地元では名士として知られる存在であったようである。書道の師、関戸芳孟の筆塚の揮毫なども頼まれている。
この文庫に収められている小説二篇のうち、「不運な名前」という作品が「藤田組贋札事件」と熊坂長庵に題材を取ったものである。タイトルにある「不運な名前」とは、熊坂長庵が芝居に登場する大盗賊熊坂長範と似た名前を持っていたばかりに、贋札造りの犯人に仕立て上げられたということに拠っている。
さすが松本清張の作品だけあって、ぐいぐいと引き込まれる。わずか一日の通退勤時間で読破してしまった。綿密に資料を調査した安田という主人公と、盲目的に長庵の無実を信じる元校長の伊田、それに正体不明の神岡と名乗る若い女性という三名の登場人物の掛け合いによって物語は進行する。恐らく安田の主張が松本清張自身の考えとも重なっているのであろう。安田の言い分は説得力があり、読者は誰もが長庵の冤罪、藤田組贋札事件の背景にある薩長の藩閥争い、その蔭に井上馨の存在を信じるであろう。ところが三人が分かれた一か月後に神岡から分厚い手紙が安田の手元に届く。その手紙を掲載してこの小説は終わる。神岡の手紙は、言わば清張自身の仮説に対する反論とでも呼ぶべきものである。この中で神岡に「井上馨に贋札注文の疑いをかけられた経緯のご類推は、同公爵の伝記からヒントを取られて、感歎のほかはございませんが、残念ながらわたくしにはにわかにご同意しかねるところでございます」といわせているが、清張自身も井上馨が贋札の製造を命じたという確実な証拠がないことは気になっていたのであろう。確かに、薩長閥の争いだとか、川路大警視の急死や金銭に汚い井上馨の暗躍を加えると、俄かにこの事件が劇場的になってくるが、現実はさほど事件性が高いものではなく、真贋を見極める練習用に作成した贋札が混在してしまった程度のものかもしれない。そう考えれば、膨大な手間をかけて贋札を印刷したにもかかわらず、割が合わないほどその枚数が少ないという矛盾にも納得がいく。いずれにせよ、熊坂長庵は、無実を訴えたにもかかわらず、十分な裁判が行われることもなく、遠く樺戸集治監に送られ二年間の獄中生活を送った。厳しい自然環境と過酷な労働に耐えきれず病死。明治政府としては「藤田組贋札事件」に終止符を打つために必要に駆られての措置だったのかもしれないが、人権も何もあったものではない。長庵がこの事件における最大の被害者であるということは間違いなさそうである。
この文庫の表題にもなっている、もう一篇「疑惑」は、読んでいるうちに昔テレビで見たことがあると気づいた。インターネットで調べてみると、この小説は映画やテレビで何度も映像化されている。私が見たのもそのうちの一つだったということになる。しかし、テレビで見たのとは違う結末に軽い衝撃を受けた。
この文庫に収められている小説二篇のうち、「不運な名前」という作品が「藤田組贋札事件」と熊坂長庵に題材を取ったものである。タイトルにある「不運な名前」とは、熊坂長庵が芝居に登場する大盗賊熊坂長範と似た名前を持っていたばかりに、贋札造りの犯人に仕立て上げられたということに拠っている。
さすが松本清張の作品だけあって、ぐいぐいと引き込まれる。わずか一日の通退勤時間で読破してしまった。綿密に資料を調査した安田という主人公と、盲目的に長庵の無実を信じる元校長の伊田、それに正体不明の神岡と名乗る若い女性という三名の登場人物の掛け合いによって物語は進行する。恐らく安田の主張が松本清張自身の考えとも重なっているのであろう。安田の言い分は説得力があり、読者は誰もが長庵の冤罪、藤田組贋札事件の背景にある薩長の藩閥争い、その蔭に井上馨の存在を信じるであろう。ところが三人が分かれた一か月後に神岡から分厚い手紙が安田の手元に届く。その手紙を掲載してこの小説は終わる。神岡の手紙は、言わば清張自身の仮説に対する反論とでも呼ぶべきものである。この中で神岡に「井上馨に贋札注文の疑いをかけられた経緯のご類推は、同公爵の伝記からヒントを取られて、感歎のほかはございませんが、残念ながらわたくしにはにわかにご同意しかねるところでございます」といわせているが、清張自身も井上馨が贋札の製造を命じたという確実な証拠がないことは気になっていたのであろう。確かに、薩長閥の争いだとか、川路大警視の急死や金銭に汚い井上馨の暗躍を加えると、俄かにこの事件が劇場的になってくるが、現実はさほど事件性が高いものではなく、真贋を見極める練習用に作成した贋札が混在してしまった程度のものかもしれない。そう考えれば、膨大な手間をかけて贋札を印刷したにもかかわらず、割が合わないほどその枚数が少ないという矛盾にも納得がいく。いずれにせよ、熊坂長庵は、無実を訴えたにもかかわらず、十分な裁判が行われることもなく、遠く樺戸集治監に送られ二年間の獄中生活を送った。厳しい自然環境と過酷な労働に耐えきれず病死。明治政府としては「藤田組贋札事件」に終止符を打つために必要に駆られての措置だったのかもしれないが、人権も何もあったものではない。長庵がこの事件における最大の被害者であるということは間違いなさそうである。
この文庫の表題にもなっている、もう一篇「疑惑」は、読んでいるうちに昔テレビで見たことがあると気づいた。インターネットで調べてみると、この小説は映画やテレビで何度も映像化されている。私が見たのもそのうちの一つだったということになる。しかし、テレビで見たのとは違う結末に軽い衝撃を受けた。