ブログを始めて三年になる。ブログでは史跡の訪問記録とともに、書評も掲載してきた。自分にとって史跡訪問と読書は表裏一体のものである。つまり読書を通じて得た情報や知識を、実際に現地に足を運んで自分の目で確かめることが史跡を訪ねる動機となっているのである。これからも益々読書に励み、史跡を訪ね歩こうと思う。
このたびブログにおける書評が百件に到達した。記念すべき百冊目は、福島県郡山市在住の医師、太田保世氏の著作である。
太田氏は十年以上も郡山市で仕事をされてきて、そこでの経験をもとに、東北地方のことをケチョンケチョンにこきおろす。著者の批判の的は、専門である医療や医療行政にとどまらず、政治、行政、教育、マスコミそして文化や風土に至るまで、辛辣に斬りまくる。
例えば会津若松の戊辰戦争関係史跡(西郷一族の自刃の地、白虎隊ゆかりの飯盛山、壮絶な戦死を遂げた中野竹子殉節の地など)は、いずれも“死臭が漂う”ものばかり。それを美化して観光資源化していることに苦言を呈する。確かに、必要以上に美化したり、悲劇を過度に脚色する傾向には感心しない。史実をその場所に記録するのが史跡であり、その主旨に沿ってありのままを保存して欲しいと願う。
著者の東北攻撃は、海外駐在員に似ているとも思う。海外駐在員は、海外での生活、文化に戸惑うものである。やがて「この国のここがオカシイ」「ここが変だ」と批判を始める。ただし海外駐在員も何年か経つと現地に馴れてきて、次第にその駐在地のことを好きになるものなのである。
私もシンガポールや台湾で仕事をした当初は、「どうして彼らは言い訳と他人の批判ばかりするのか」「どうして酒席や食事のときの話題がいつも金儲けの話なのか」「どうして咥えタバコで溶接作業をするのか」「どうしてノーヘル・無免許でバイクに乗っているのか」と、目に入るものがいちいち腹立たしかった。考えてみれば、それは常に母国との比較であった。帰国した今となっては、シンガポールも台湾も大好きである。彼らには彼らの世界があり、その中で健気に生きているのである。
著者の厳しい東北批判に対して、東北人にはそれなりの言い分もあるだろうし、私には妥当性の判断はできないが、震災からの復興という重い命題を抱えた今、ある程度耳を傾けてみる必要はあるかもしれない。「白川以北一山百文」と蔑まれ、それでも地域格差を受け入れてきた東北が、今こそ自立すべき時期に来ている。
この本では榎本武揚と西郷頼母という対照的な二人の人物を取り上げている。
星亮一氏の描く西郷頼母像は、常に狷介不羈で、会津武士道に悖る卑怯者と決まっているが、太田氏の評価は真逆である。無駄な戦争を回避するため、強硬に反対論を主張する。このことで藩主に嫌われ、遂には体よく城外に放逐される。今でも会津では頼母は「腰抜け武士」「卑怯者」「異端者」といった烙印を押されている。徹底抗戦という勇ましい意見が大勢を占めているときに、一人降伏を説くのは勇気の要ることであり、決して腰抜けでも、卑怯でもなかったというのである。
頼母をどう評価するかというのは、延いては会津戦争をどう評価するかに繋がる。会津戦争における悲壮美を賞賛する向きには、許せない存在であろうし、会津戦争を全面否定する立場からいえば、頼母は高く評価されるべき存在となる。私もどちらかというと西郷頼母という人物には同情を感じている。
著者によれば、戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いで終了しているという。これを肯定すると、会津戦争の犠牲者は無駄死にとなってしまう。戊辰戦争は鳥羽伏見で終わるべきだったという主張は、関係者には「聞き棄てならぬ」話かもしれないが、案外核心を衝いているのではないか。
このたびブログにおける書評が百件に到達した。記念すべき百冊目は、福島県郡山市在住の医師、太田保世氏の著作である。
太田氏は十年以上も郡山市で仕事をされてきて、そこでの経験をもとに、東北地方のことをケチョンケチョンにこきおろす。著者の批判の的は、専門である医療や医療行政にとどまらず、政治、行政、教育、マスコミそして文化や風土に至るまで、辛辣に斬りまくる。
例えば会津若松の戊辰戦争関係史跡(西郷一族の自刃の地、白虎隊ゆかりの飯盛山、壮絶な戦死を遂げた中野竹子殉節の地など)は、いずれも“死臭が漂う”ものばかり。それを美化して観光資源化していることに苦言を呈する。確かに、必要以上に美化したり、悲劇を過度に脚色する傾向には感心しない。史実をその場所に記録するのが史跡であり、その主旨に沿ってありのままを保存して欲しいと願う。
著者の東北攻撃は、海外駐在員に似ているとも思う。海外駐在員は、海外での生活、文化に戸惑うものである。やがて「この国のここがオカシイ」「ここが変だ」と批判を始める。ただし海外駐在員も何年か経つと現地に馴れてきて、次第にその駐在地のことを好きになるものなのである。
私もシンガポールや台湾で仕事をした当初は、「どうして彼らは言い訳と他人の批判ばかりするのか」「どうして酒席や食事のときの話題がいつも金儲けの話なのか」「どうして咥えタバコで溶接作業をするのか」「どうしてノーヘル・無免許でバイクに乗っているのか」と、目に入るものがいちいち腹立たしかった。考えてみれば、それは常に母国との比較であった。帰国した今となっては、シンガポールも台湾も大好きである。彼らには彼らの世界があり、その中で健気に生きているのである。
著者の厳しい東北批判に対して、東北人にはそれなりの言い分もあるだろうし、私には妥当性の判断はできないが、震災からの復興という重い命題を抱えた今、ある程度耳を傾けてみる必要はあるかもしれない。「白川以北一山百文」と蔑まれ、それでも地域格差を受け入れてきた東北が、今こそ自立すべき時期に来ている。
この本では榎本武揚と西郷頼母という対照的な二人の人物を取り上げている。
星亮一氏の描く西郷頼母像は、常に狷介不羈で、会津武士道に悖る卑怯者と決まっているが、太田氏の評価は真逆である。無駄な戦争を回避するため、強硬に反対論を主張する。このことで藩主に嫌われ、遂には体よく城外に放逐される。今でも会津では頼母は「腰抜け武士」「卑怯者」「異端者」といった烙印を押されている。徹底抗戦という勇ましい意見が大勢を占めているときに、一人降伏を説くのは勇気の要ることであり、決して腰抜けでも、卑怯でもなかったというのである。
頼母をどう評価するかというのは、延いては会津戦争をどう評価するかに繋がる。会津戦争における悲壮美を賞賛する向きには、許せない存在であろうし、会津戦争を全面否定する立場からいえば、頼母は高く評価されるべき存在となる。私もどちらかというと西郷頼母という人物には同情を感じている。
著者によれば、戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いで終了しているという。これを肯定すると、会津戦争の犠牲者は無駄死にとなってしまう。戊辰戦争は鳥羽伏見で終わるべきだったという主張は、関係者には「聞き棄てならぬ」話かもしれないが、案外核心を衝いているのではないか。