維新後、明治新政府にとって官僚の確保・育成は急務であった。当初は旧幕臣や藩閥出身者が集められたが、大学南校(東大の前身)が開校され、全国から学業優秀な俊才が集まるようになる。全国から満遍なく人材を集めるため、貢進生制度が導入された。貢進生出身者としては、小村寿太郎(飫肥藩、のちの外相、貴族院議員)、鳩山和夫(衆議員議長、法学博士)らがいる。彼らは藩という看板を背負い、夜を徹して勉学に励んだ。のちに外相として歴史に名を刻んだ小村寿太郎の原型を築いたのはこの時期の猛勉強にあったのであろうし、今日まで続く鳩山家の繁栄の基礎を築いた背景にも、貢進生鳩山和夫の壮絶な勉強があった。彼らは海外留学を経て、国家官僚へと階段を昇って行った。
明治新政府発足から帝国議会が開かれるまでの時期、政界でも藩閥が幅を利かせたように、官僚も藩閥に占有された。官途に就くとしてもほとんど藩閥の影響の薄い司法省を選んだ。一方、官僚を育成するための総合大学として全国に帝国大学が整備されることになった。同時期に試補制度が導入され、藩閥官僚に代わって専門教育を受けた学士官僚が占めることになる。この時期の学士官僚には原敬、清浦奎吾、浜口雄幸(いずれものちに首相)らがいる。
藩閥政治から政党政治に移行すると、学士官僚も政治とは無縁ではおられず、徐々に変容を強いられる。ある者は政党に取り込まれ、ある者は政治家としての道を歩むことになる。
本書は大正年間までの官僚の姿を描く。昭和から現代に続くパートは、次の課題ということだろうか。いつの時代も官僚は猛勉強をして激烈な競争を勝ち抜いた、時代の最先端のエリート集団である。昨今、政治の世界では、官僚を悪者にする風潮があるが、大いに違和感がある。国家の柱石となる人材に対して、相応の処遇をしないと国家そのものが立ち行かなくなる。シンガポールでは官僚が一番高い報酬を得ているが、それが本来の姿であろう。正当に処遇しないから、優秀な彼らの知恵と能力が、天下り先の確保とか自分の組織の肥大化に使われてしまうのである。
官僚を悪者呼ばわりしている政治家こそ、彼らに負けないだけの勉強をして欲しいものである。
明治新政府発足から帝国議会が開かれるまでの時期、政界でも藩閥が幅を利かせたように、官僚も藩閥に占有された。官途に就くとしてもほとんど藩閥の影響の薄い司法省を選んだ。一方、官僚を育成するための総合大学として全国に帝国大学が整備されることになった。同時期に試補制度が導入され、藩閥官僚に代わって専門教育を受けた学士官僚が占めることになる。この時期の学士官僚には原敬、清浦奎吾、浜口雄幸(いずれものちに首相)らがいる。
藩閥政治から政党政治に移行すると、学士官僚も政治とは無縁ではおられず、徐々に変容を強いられる。ある者は政党に取り込まれ、ある者は政治家としての道を歩むことになる。
本書は大正年間までの官僚の姿を描く。昭和から現代に続くパートは、次の課題ということだろうか。いつの時代も官僚は猛勉強をして激烈な競争を勝ち抜いた、時代の最先端のエリート集団である。昨今、政治の世界では、官僚を悪者にする風潮があるが、大いに違和感がある。国家の柱石となる人材に対して、相応の処遇をしないと国家そのものが立ち行かなくなる。シンガポールでは官僚が一番高い報酬を得ているが、それが本来の姿であろう。正当に処遇しないから、優秀な彼らの知恵と能力が、天下り先の確保とか自分の組織の肥大化に使われてしまうのである。
官僚を悪者呼ばわりしている政治家こそ、彼らに負けないだけの勉強をして欲しいものである。