表題を見て、そこらへんの面白エピソードをかき集めたものかと思ったが、ページを開いてみて驚くことになった。筆者は現在国立歴史民俗博物館で教授を務められて長年維新期の江戸東京の変遷を研究されてきた方である。本書巻末に紹介されている参考文献の多さにも驚かされたが、かなり奥深く研究された成果なのである。
本書は、江戸から東京に名称が変わったこの時期に、市井、遊郭や賭場に押し寄せた変化の波をマクロとミクロの両方から立体的にアプローチしていたものである。たとえば、明治五年(1872)に芸昌妓解放令によって、遊女や飯盛女の解放令が出された。我々はこれで全ての遊女が解放され、「メデタシ、メデタシ」と単純に考えてしまうが、筆者は江戸時代を通じて営々として築かれた人身売買とそれにまつわる金融の実態を解き明かす。遊女は借金の担保物件であり、遊女の身体は商品なのである。貸主としては簡単に手放すわけにはいかない。
筆者はここで「かしく」という名の新吉原の遊女を紹介する。かしくは越後国蒲原郡巻野東汰上(ひがしゆりあげ)村の百姓の娘で、七歳のときに売られ、その後、遊女屋の間を転売され二十二歳のとき解放令を迎えた。解放令を知って藁にもすがる思いで東京府に嘆願書を提出した。かしくの嘆願書は、書式の整わない稚拙のものであったが、「遊女はいやだ」「素人にして結婚を認めてほしい」と切々と訴えるものであった。しかし、東京府はかしくの訴えを却下する。
その後、かしくは、別の結婚相手を見付けて再び東京府に訴え出る。残念ながらかしくのその後を語る史料は残されていないそうであるが、遊女屋は、借金のカタをそう簡単に手放すわけにはいかない。あの手この手で抵抗した。遊女がその境遇から脱するのは、そう簡単な話ではなかったのである。
第五章は「屠場をめぐる人びと」。江戸時代は、身分と職業が密接に結びついていた時代である。明治四年(1871)八月、廃止令が布告され、身分は廃止された。といった呼び方も廃止され、身分、職業ともに平民同様とすることとなった。では、身分制における最下層に位置付けられていた彼らはもろ手を挙げてこの法令を大歓迎したかというと、必ずしもそうではないらしい。旧来の身分制の枠組みが取り払われるとともに、身分に付随する「特権」まで失うことになったからである。
屠牛作業は旧身分の人びとが担っていた。明治を迎え、食肉文化が日本に移入され、牛肉需要が急増すると、畜産、屠牛、卸売り、小売りというサプライチェーンが形成される。これを統括するのが官許の屠牛改会社であった。屠牛改会社は、屠牛商人から選ばれた数人の頭取と、そのうちの二名の取締世話方が中心となって運営された。屠牛商人らは官庁への牛肉納入や屠場での検査を御用としてとらえ、一方で屠牛手数料の徴収、買肉商人の取締り、独占的な屠場経営を、その反対給付の特権として得ていた。明治政府も、このような江戸時代の「仲間」に似た組織に疑問をもたず、斃獣肉や無検査の肉が販売されないよう、屠牛改会社が流通過程に睨みをきかせていることを公認していた。
そこへ、明治十年(1877)、警視庁が屠場を直轄すると宣言した。屠牛改会社は解散させられ、新設の浅草千束屠場以外の屠獣が厳禁された。さらにその二年後の明治十二年(1879)、警視庁は屠場の払下げを発表した。こうして身分と特権が結び付いた構造は、解体を余儀なくされていったのである。
本書では、最後に木村荘平というユニークでエネルギッシュな一人の実業家を登場させている。木村は、豊盛社という、食肉加工の過程で発生する臓物から試薬や肥料、染料等を製造する「獣類化製」を経営していた。やがて興農馬会社を設立し、天覧競馬を挙行するなど華やかな活動を繰り広げていた。木村は政府と結び付いた政商の一人として順調に業容を拡大していた。明治十三年(1880)頃から、屠場での手数料を巡って屠牛商人との激しい対立があった。警視庁の庇護のもとで特権を得ている木村は強気に屠牛商人の要求をはねのけた。結局、自由民権運動が盛り上がり、藩閥政治への批判が高まった明治十四年(1881)八月、これまで木村が独占していた屠場を、東京南部に新たに開くことが認可され、木村と屠牛商人の対立はようやく解決を見た。
これで政商木村荘平は没落していくのかと思いきや、この男はしぶとかった。屠牛商人が新たに開設した白金今里村の屠場に彼も参入し、牛鍋「いろは」一号店をオープン。その後もいろは牛鍋店を二十余も開店し、「いろは大王」との異名をとるに至った。今でいうチェーン展開である。
ところが、木村は経営拠点となっていた三田四国町の所有地を突然海軍に買収され、しかもその代金が支払われないという理不尽な仕打ちを受けた。かと思えば、逆に海軍から借地の買い取りを迫られ、その支払いが一時間遅れたことを理由に倒産の危機に追い込まれた。それでも彼は諦めず、観光業や葬祭業にまで手を伸ばし、事業の多角化を図った。
時代の波に翻弄されながらもしぶとく生き抜いた一人の男に圧倒された。