著者杉本鉞子は長岡藩家老稲垣平助の娘に生まれ、のちにアメリカに渡ってコロンビア大学で日本文化史の教鞭をとった。「未開の封建国から来た女性が、アメリカ社会でキリスト教と西洋文化に接して覚醒した」というストーリーがアメリカ人に受け、本書は往年のベストセラーとなった。さらにドイツ、フランス、デンマーク、スウェーデンなど七か国語に翻訳され、絶賛を博した。
前半は、著者の幼少期の記憶が語られる。今となっては想像もつかないが、明治の生活は現代人の目にはやや退屈に見える。そんな中でも、正月や盂蘭盆、ひな祭りなど、季節ごとにイベントがあり、家族が集まって昔語りをする。その都度、幼い著者は、「ときめき」を覚えたという。そうやって著者は、鋭敏な感受性を養っていったのであろう。「栴檀は双葉より芳し」というが、その譬えがピタリと当てはまる女性であったように思う。
著者は結婚を機に米国に渡るが、武士の娘として育てられ、身に着けたものを失ったわけではない。「女は一度嫁すと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任をもつ」よう教育を受けた彼女としては、米国の婦人らが、夫の目を盗んで靴下の内にお金を貯える(つまり「へそくり」)だとか、友達から金を借りたりする行為には、合点がいかなかったようである。
著者は「日本人というものは感情を出さない国民」と語る。「おかしい時には、袂のかげで笑い、子供が怪我をしても、涙をのんで「泣いちゃいけないよ」といいながら、すすり泣くのです。母がその死を告げるにも、失望のかげさえ見せず、微笑んでおり(中略)内心困りはてていながらも、なお、それと反対の面持ちでいるものです」。武士の娘の目には、人前で接吻をするような欧米式の愛の表現はどうにも理解ができなかったようである。
感情を表に出さないという国民性は、今でも日本人社会に根付いている。事故や犯罪で肉親を失ったときの遺族の対応を見ると、明らかに欧米や或はお隣の中国、韓国とも様相が異なる。日本人にとって、人前で泣き喚いたり、大声で怒鳴ることは、ハシタナイことなのである。
「思うこと」の最後に年老いた庭職人が紹介されている。この職人は、庭石をほんの二三寸動かしてはやり直しをしていた。お金にならないことなど気にも留めず、芸術的満足を得られるまで時間を費やした。この逸話も、日本人の精神性を表す典型例である。
本書は期せずして、日米の比較文化論となっている。つまり風俗や風習、ものの考え方などの違いが著者の体験を通じて浮き彫りにされているのである。著者が生きた時代から二代三代と世代を重ねるにつれて、彼我の風俗風習の差は小さくなってきた。本書は、この時代でこそ、そして武士の娘としての躾をたたきこまれた著者でこそ書き残すことができた名作といえる。
前半は、著者の幼少期の記憶が語られる。今となっては想像もつかないが、明治の生活は現代人の目にはやや退屈に見える。そんな中でも、正月や盂蘭盆、ひな祭りなど、季節ごとにイベントがあり、家族が集まって昔語りをする。その都度、幼い著者は、「ときめき」を覚えたという。そうやって著者は、鋭敏な感受性を養っていったのであろう。「栴檀は双葉より芳し」というが、その譬えがピタリと当てはまる女性であったように思う。
著者は結婚を機に米国に渡るが、武士の娘として育てられ、身に着けたものを失ったわけではない。「女は一度嫁すと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任をもつ」よう教育を受けた彼女としては、米国の婦人らが、夫の目を盗んで靴下の内にお金を貯える(つまり「へそくり」)だとか、友達から金を借りたりする行為には、合点がいかなかったようである。
著者は「日本人というものは感情を出さない国民」と語る。「おかしい時には、袂のかげで笑い、子供が怪我をしても、涙をのんで「泣いちゃいけないよ」といいながら、すすり泣くのです。母がその死を告げるにも、失望のかげさえ見せず、微笑んでおり(中略)内心困りはてていながらも、なお、それと反対の面持ちでいるものです」。武士の娘の目には、人前で接吻をするような欧米式の愛の表現はどうにも理解ができなかったようである。
感情を表に出さないという国民性は、今でも日本人社会に根付いている。事故や犯罪で肉親を失ったときの遺族の対応を見ると、明らかに欧米や或はお隣の中国、韓国とも様相が異なる。日本人にとって、人前で泣き喚いたり、大声で怒鳴ることは、ハシタナイことなのである。
「思うこと」の最後に年老いた庭職人が紹介されている。この職人は、庭石をほんの二三寸動かしてはやり直しをしていた。お金にならないことなど気にも留めず、芸術的満足を得られるまで時間を費やした。この逸話も、日本人の精神性を表す典型例である。
本書は期せずして、日米の比較文化論となっている。つまり風俗や風習、ものの考え方などの違いが著者の体験を通じて浮き彫りにされているのである。著者が生きた時代から二代三代と世代を重ねるにつれて、彼我の風俗風習の差は小さくなってきた。本書は、この時代でこそ、そして武士の娘としての躾をたたきこまれた著者でこそ書き残すことができた名作といえる。