本書では高田屋嘉兵衛、千葉周作、江藤新平の三名を取り上げる。いずれも司馬遼太郎が小説の主役に選んだ人物である。『菜の花の沖』と『北斗の人』『歳月』という三作品に共通する特徴は、小説の対象に筆者がぞっこん惚れ込んでいるということであろう。
実は、数多い司馬作品の中には、筆者が必ずしも惚れ込んでいない対象も存在している。例えば、『覇王の家』の徳川家康、『殉死』の乃木希典などはその例である。司馬先生は、人の好き嫌いがはっきりしており、嫌いな人物を描くと、自ずとその気分は文章に現れる。
そういう意味では、高田屋嘉兵衛、千葉周作、江藤新平は、司馬先生好みの人物であり、作品を通じて筆者の愛情が感じられる。
本書を読むと、取り分け司馬先生の思い入れが強いのは、高田屋嘉兵衛だったようである。司馬先生は『菜の花の沖』について語った講演会で高田屋嘉兵衛のことを
――― 江戸時代を通じてだれが一番偉かったでしょうか。学者、大名、医者、発明家、いろいろ出ました。私は高田屋嘉兵衛だろうと思います。それも二番目が思いつかないくらいに偉い人だと思っています。いま生きていても、世界のどんな舞台でも通用できる人ですね。世界史的に見ても偉い人でした。
と、大絶賛している。
『菜の花の沖』は、かなり前に読んで以来、再読していない。あまり感動した記憶は残っていないが、もう一度読んでみようかという気になった。
実は、数多い司馬作品の中には、筆者が必ずしも惚れ込んでいない対象も存在している。例えば、『覇王の家』の徳川家康、『殉死』の乃木希典などはその例である。司馬先生は、人の好き嫌いがはっきりしており、嫌いな人物を描くと、自ずとその気分は文章に現れる。
そういう意味では、高田屋嘉兵衛、千葉周作、江藤新平は、司馬先生好みの人物であり、作品を通じて筆者の愛情が感じられる。
本書を読むと、取り分け司馬先生の思い入れが強いのは、高田屋嘉兵衛だったようである。司馬先生は『菜の花の沖』について語った講演会で高田屋嘉兵衛のことを
――― 江戸時代を通じてだれが一番偉かったでしょうか。学者、大名、医者、発明家、いろいろ出ました。私は高田屋嘉兵衛だろうと思います。それも二番目が思いつかないくらいに偉い人だと思っています。いま生きていても、世界のどんな舞台でも通用できる人ですね。世界史的に見ても偉い人でした。
と、大絶賛している。
『菜の花の沖』は、かなり前に読んで以来、再読していない。あまり感動した記憶は残っていないが、もう一度読んでみようかという気になった。