今春、北海道の当別を旅したことを機に、「石狩川」を読んでみようと思いたった。「石狩川」は、戦前の昭和十四年(1839)上梓された、本庄陸男の代表作である。中古本を取り寄せたが、私が手にしたのは、平成二十三年(2011)に再刊された単行本である。
戦前の小説だからか、或は本庄陸男という作家の文体なのか分からないが、正直に言って甚だ読みにくい小説であった。現代の小説と比べると、物語の展開が遅く、情景描写が綿密である。印象としては、この時代の北海道を反映したものか、終始沈鬱である。段落が変わることなく場面が変わっていたり、登場人物の発言が誰の発言か読み取りにくい箇所もあったりして、読み通すのに一か月以上を要した。
本書の主人公は、仙台藩支藩岩出山藩の元家老阿賀妻謙である。吾妻謙という実在の人物をモデルにしている。また、小説に登場する藩主伊達邦夷も、実在の人物としては伊達邦直がモデルである。
明治維新は、「革命」であったのか無かったのか。この点については、かねてより議論のあるところであるが、封建的支配層が大きな環境変化にさらされるところとなったのは間違いない。特に戊辰戦争において敗者となった諸藩には過酷な戦後が待っていた。岩出山藩もその例外ではない。一万四千六百四十石だったものが、朝敵の汚名を着せられ、藩主邦直は六十五石の扶持米に減額されてしまった。家臣団は、丸裸にされて放り出されたに等しい。
まだ封建制の遺風が残るこの時期、巻末の解説で津上忠氏(劇作家、演出家)が「開拓地の領有は、旧幕藩体制が新政府の政権下に変わっての『転封』であるという意識がその底流にある」と指摘しているように、彼らの意識は旧幕時代から完全に切り替わっていないのであろう。その典型が藩主との主従関係であった。
やはりこの時代の藩主と家臣の関係は、現代から想像もつかないくらい濃厚だった。北海道の未開の処女地に挑むには、藩主がその中心に鎮座することが必須であった。藩主の存在が彼らの最後の拠り所であった。
本庄陸男は、これを初編として、続けて移住士族の昭和に至る過程を描く構想を持っていたという。移住士族の困難は、本来これからというべきである。しかし、「石狩川」脱稿後、わずか二か月後に三十四歳の若さで急逝してしまった。彼の構想とおり大河小説が完成していれば、歴史に残る大作となったであろう。
戦前の小説だからか、或は本庄陸男という作家の文体なのか分からないが、正直に言って甚だ読みにくい小説であった。現代の小説と比べると、物語の展開が遅く、情景描写が綿密である。印象としては、この時代の北海道を反映したものか、終始沈鬱である。段落が変わることなく場面が変わっていたり、登場人物の発言が誰の発言か読み取りにくい箇所もあったりして、読み通すのに一か月以上を要した。
本書の主人公は、仙台藩支藩岩出山藩の元家老阿賀妻謙である。吾妻謙という実在の人物をモデルにしている。また、小説に登場する藩主伊達邦夷も、実在の人物としては伊達邦直がモデルである。
明治維新は、「革命」であったのか無かったのか。この点については、かねてより議論のあるところであるが、封建的支配層が大きな環境変化にさらされるところとなったのは間違いない。特に戊辰戦争において敗者となった諸藩には過酷な戦後が待っていた。岩出山藩もその例外ではない。一万四千六百四十石だったものが、朝敵の汚名を着せられ、藩主邦直は六十五石の扶持米に減額されてしまった。家臣団は、丸裸にされて放り出されたに等しい。
まだ封建制の遺風が残るこの時期、巻末の解説で津上忠氏(劇作家、演出家)が「開拓地の領有は、旧幕藩体制が新政府の政権下に変わっての『転封』であるという意識がその底流にある」と指摘しているように、彼らの意識は旧幕時代から完全に切り替わっていないのであろう。その典型が藩主との主従関係であった。
やはりこの時代の藩主と家臣の関係は、現代から想像もつかないくらい濃厚だった。北海道の未開の処女地に挑むには、藩主がその中心に鎮座することが必須であった。藩主の存在が彼らの最後の拠り所であった。
本庄陸男は、これを初編として、続けて移住士族の昭和に至る過程を描く構想を持っていたという。移住士族の困難は、本来これからというべきである。しかし、「石狩川」脱稿後、わずか二か月後に三十四歳の若さで急逝してしまった。彼の構想とおり大河小説が完成していれば、歴史に残る大作となったであろう。