橋本左内は、いうまでもなく幕末の越前藩が生んだ秀才である。我が母校の校歌にも
――― ふもとに眠る橋本
と謳われる、その人である。できるだけ公正中立に歴史を見たいというのが私のスタンスであるが、こと橋本左内という人については距離感が難しい。
「啓発録」は橋本左内が十五歳のときに著した書である。これを読むと幾度も驚嘆させられる。
まず冒頭に「稚心を去れ」と主張する。わずか十五歳の少年がいうことだろうか。稚心とは子供っぽい心、母に甘える心のことを意味している。余程、自制心とか自律心の強い人間でなければ吐けない言葉であろう。現代ではむしろ大人になっても稚心を持っていることを賛美するような風潮があるが、それとは真逆の発想である。私自身のことを振り返ってみても、どう見ても稚心だらけである。要するに自制とか自律が足らない。左内には「そんなことじゃ大事は成せない」と叱責されそうだが、確かに大事は成していない。
さらに驚かされるのは、「友を択べ」と声高に主張していることである。左内は「啓発録」を周囲に発信している。つまり自分は友を択ぶということを周りに宣言しているのである。左内にとって退路を断つという意味があるのかもしれないが、周囲の人たちにしてみれば、「友には益友と損友があって、益友を選び出さなくてはならない」などと宣言されると、「こいつは自分のことをどう思っているのだろう」と疑心暗鬼になってしまうだろう。自分だけでなく周りをも追い込むような発言である。
本書には、学監に就任した左内が藩校明道館の改革を上申した「学制に関する意見文書」も収録している。当時の明道館の状態がどういうものだったのか良く承知はしていないが、これを読むとボロカスである。これだけ辛辣な意見を投げつければ、当然反発や風当りも強かったことだろう。
左内はいう。
――― 英雄を育てるには英雄の器量を知り、聖者や賢者を育てるなら、聖者や賢者の器量を知っていなければそれは不可能。凡庸であるのに、英雄や賢者の素質がある人間を見抜き、その人物がそうなるように育てることなど当然ながらできるわけがない。
私も仕事柄社員教育なども担当しているが、核心を突いているだけあって教育担当者には耳が痛い発言もある。教壇に立つ立場の人は、自らを戒めるためにも、一度読んでおいた方が良いだろう。
――― ふもとに眠る橋本
と謳われる、その人である。できるだけ公正中立に歴史を見たいというのが私のスタンスであるが、こと橋本左内という人については距離感が難しい。
「啓発録」は橋本左内が十五歳のときに著した書である。これを読むと幾度も驚嘆させられる。
まず冒頭に「稚心を去れ」と主張する。わずか十五歳の少年がいうことだろうか。稚心とは子供っぽい心、母に甘える心のことを意味している。余程、自制心とか自律心の強い人間でなければ吐けない言葉であろう。現代ではむしろ大人になっても稚心を持っていることを賛美するような風潮があるが、それとは真逆の発想である。私自身のことを振り返ってみても、どう見ても稚心だらけである。要するに自制とか自律が足らない。左内には「そんなことじゃ大事は成せない」と叱責されそうだが、確かに大事は成していない。
さらに驚かされるのは、「友を択べ」と声高に主張していることである。左内は「啓発録」を周囲に発信している。つまり自分は友を択ぶということを周りに宣言しているのである。左内にとって退路を断つという意味があるのかもしれないが、周囲の人たちにしてみれば、「友には益友と損友があって、益友を選び出さなくてはならない」などと宣言されると、「こいつは自分のことをどう思っているのだろう」と疑心暗鬼になってしまうだろう。自分だけでなく周りをも追い込むような発言である。
本書には、学監に就任した左内が藩校明道館の改革を上申した「学制に関する意見文書」も収録している。当時の明道館の状態がどういうものだったのか良く承知はしていないが、これを読むとボロカスである。これだけ辛辣な意見を投げつければ、当然反発や風当りも強かったことだろう。
左内はいう。
――― 英雄を育てるには英雄の器量を知り、聖者や賢者を育てるなら、聖者や賢者の器量を知っていなければそれは不可能。凡庸であるのに、英雄や賢者の素質がある人間を見抜き、その人物がそうなるように育てることなど当然ながらできるわけがない。
私も仕事柄社員教育なども担当しているが、核心を突いているだけあって教育担当者には耳が痛い発言もある。教壇に立つ立場の人は、自らを戒めるためにも、一度読んでおいた方が良いだろう。