史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

五日市 Ⅲ

2024年06月08日 | 東京都

(東町太子堂)

三泊四日の東京出張であったが、ハノイに戻る最終日の朝、嫁さんがまだ寝ているうちに五日市まで往復して東町太子堂を訪ねてきた(あきる野市五日市178)。自宅から片道二十分のドライブである。

 

東町太子堂

(勧能学校跡)

 

東町太子堂は、即ち勧能学校跡である。勧能学校というのは、明治五年(1872)の学制発布に伴い、五日市村に作られた学校で、現・五日市小学校の前身である。明治六年(1873)、勧能学舎の名称で発足し、明治八年(1875)、勧能学校と改称された。この地にあった太子堂がそのまま学舎として利用された。

自由民権運動が盛んになった明治十年(1877)代には各地から民権家がここに集まり、活動の拠点の一つとなった。五日市憲法草案の起草で知られる千葉卓三郎も、同校初代校長永沼織之丞のもとで助教となり、第二代校長も務めている。

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