緊急事態宣言が解除されて以降、在宅勤務と出社が半々という日常が続いている。ある日出社してデスクに向かっていると、経理部のM君が「読んでみてください」と渡してくれたのがこの本である。M君は、私がウルトラマンとクラシック音楽が好きなことをよく知っていて、「この本はウエムラにぴったり」と思ったのだろう。彼の思惑通り、一ページ目をめくった瞬間、本書に没頭してわずか一日で読み終えてしまった。
因みにM君はウルトラセブン派であるが、私は断然ウルトラマンが大好きである。本書でもウルトラQからウルトラセブンに至る経緯が触れられているが、ウルトラマンは「悪い怪獣をやっつける」という勧善懲悪的色彩が強く、これは子供にも分かり易かった。日々「何か面白いことはないか」ということしか考えていなかった私にはちょうど良い娯楽であった。
これに対しウルトラセブンには、「宇宙人との共存」という深遠なテーマが一貫して流れており、時に思索的・教育的であり、大人にも深く考えさせられる内容となっている。そもそも単純な人間である私には難しかった。ウルトラセブン派であるM君は、確かに私よりずっと思索的であり、知性的である。
本書を読み始めてすぐに直感したのが、著者は間違いなく私と同世代であるということである。巻末の解説によれば、筆者青山通氏は、昭和三十五年(1960)生まれというから、やはり私と同級生である。ウルトラマンやウルトラセブンをリアルタイムで視たという原体験や、小遣いではLPレコードをとても買えなかったので音楽は専らFM放送を録音して聴いた(今や死語となってしまった「エアチェック」をしていた)ことなど同世代ならではの共通体験が語られている。
ウルトラセブンの最終回で、モロボシ・ダンが「僕は人間じゃないんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」と正体を明かすシーンは、子供心にもいずれこの時が来るという予感はあったものの、「ついに言っちゃった」という衝撃が走った。この時、鳴り響いたのがシューマンのピアノ協奏曲イ短調OP.54の冒頭部分である。
今ならこれはシューマンのピアノ協奏曲だと易々と言い当てることができるが、当時の私は何の音楽だという疑問も持たずに通り過ぎてしまった。当時七歳の著者青山氏はその衝撃をひきずり、後年偶然あの音楽の正体を知ることになる。なけなしのお小遣いで買ったLPレコードから流れた音楽は、ウルトラセブン最終回で流れたものとは別物であった。ここからウルトラセブンで使われた「本物の」シューマンのピアノ協奏曲を探し求める旅が始まる。
これがカラヤン指揮リパッティの演奏だという事実に行き着いた時、筆者は中学三年生になっていた。ここでまた筆者は「なぜウルトラセブンの最終回にカラヤン/リパッティ盤が選ばれたのか」という疑問を持つ。この疑問に答えられるのは、ウルトラセブンの音楽を担当した冬木透氏しかいないだろう。
それを問い質すことのできる夢のような僥倖が、2012年になって実現した。「答え」は本書を一読していただくとして、話の最後に冬木氏はカラヤン/リパッティ盤を取り出し、聞かせてくれた。編集者木村元氏は「冬木氏の自宅でリパッティ/カラヤンによるシューマンのピアノ協奏曲を聴いたとき、感きわまった青山さんは、第一楽章の初めから最後までずっと号泣していた」と明かしている。筆者がウルトラセブン最終回と出会って四十五年もの歳月が経っていた。
この情熱と執念は、「幕末軍艦咸臨丸」(中公文庫)の著者文倉平次郎がサンフランシスコの墓地で咸臨丸水夫の三つ目の墓を発見した情熱にも通じるものがある。現地の図書館で咸臨丸の水夫が現地で亡くなったのは三人だったという事実を知った文倉平次郎は、残るもう一つの墓を探し出すために、墓所の事務所で下働きまでして、ある日、遂に土に埋まった源蔵の墓を掘り返した。
人間の情熱は、それを持ち続けることでの何ものかを実現することができる、ということを本書でも再確認した。
本書はもちろん物語としても楽しむことができるが、クラシック音楽入門書としても面白い読み物となっている。シューマンのピアノ協奏曲、指揮者カラヤン、ピアニスト・リパッティという切り口でこれだけ楽しめる。クラシック音楽の奥深さを再確認することがでるだろう。筆者がいうように、カラヤンは若い頃の演奏の方が情熱迸り、溌剌としている。
筆者のスタンダードがカラヤン/リパッティの1948年の古い録音であり、比較対象となる演奏者もクララ・ハスキル、アルトゥール・ルービンシュタイン、ワルター・ギーゼキング、ウイルヘルム・ケンプと、いずれも音楽史に名前を連ねる巨匠ばかりである。現在も存命中のピアニストで本書に紹介されているのは、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィンマーマンくらいである。
本書に触発されて、久しぶりにシューマンのピアノ協奏曲と向き合ってみることにした。といっても、私のCDコレクションの中には本書でも紹介されているアバド/ポリーニ盤しか見当らず、しかも探しているうちに同じCDが二枚あることが発覚した。ほかにもあったような気がするのであるが、結局この一枚しか探しきれなかった。
しからば…ということで、長年撮り溜めたエアチェックのライブラリーからリストアップしてみた。これも全て網羅しているわけではないが、約三十組(すべてライブ録音)が見つかった。さすがに名曲だけあって、古今東西の名演奏家が挑んでいるではないか。
指揮者 |
ピアノ |
オーケストラ |
演奏日 |
リッカルド・シャイー |
ラドゥ・ルプー |
ベルリン放送交響楽団 |
1983年5月27日 ウィーン芸術週間 |
ヘルベルト・フォン・カラヤン |
クリスティアン・ツィンマーマン |
ウィーン・フィル |
1984年8月28日 ザルツブルク音楽祭 |
ベルンハルト・クレー |
アリシア・デ・ラローチャ |
ベルリン・フィル |
1985年1月25日 ベルリン・フィルハーモニー |
ズデネク・マカール |
ブリジット・アンジェレル |
ベルリン・フィル |
1985年5月4日 ベルリン・フィルハーモニー |
ネヴィル・マリナー |
マレイ・ペライア |
シュトゥットガルト放送交響楽団 |
1986年1月30日 シュトゥットガルト・ベートーヴェンホール |
コリン・デイヴィス |
マレイ・ペライア |
バイエルン放送交響楽団 |
1987年1月16日 フィルハーモニーガスダイク |
クラウディオ・アバド |
マレイ・ペライア |
ウィーン・フィル |
1993年8月22日 ウィーン祝祭大劇場 |
セルジュ・チェリビダッケ |
マルタ・アルゲリッチ |
フランス国立放送管弦楽団 |
1974年5月19日 シャンゼリゼ劇場 |
パーヴォ・ヤルヴィ |
ダン・タイソン |
パリ管弦楽団 |
2011年11月19日 NHK音楽祭 |
ロジャー・ノリントン |
ラーニャ・シルマー |
カメラータ・ザルツブルク |
2005年8月2日 |
ウォルフガンク・サヴァリッシュ |
レイフ・オヴェ・アンスネス |
バイエルン放送交響楽団 |
2007年5月 ミュンヘン・ヘラクレスザール |
クルト・マズア |
ラグナ・シルマー |
フランス国立管弦楽団 |
|
シャルル・デュトワ |
マルタ・アルゲリッチ |
ベルリン・ドイツ交響楽団 |
|
マリス・ヤンソンス |
レイフ・オヴェ・アンスネス |
ベルリン・フィル |
2002年12月19日 ベルリン・フィルハーモニー |
秋山和慶 |
コルネリア・ヘルマン |
大阪センチュリー交響楽団 |
2006年6月7日 ザ・シンフォニーホール |
ウォルフガンク・サヴァリッシュ |
園田高弘 |
NHK交響楽団 |
2002年10月26日 NHKホール |
ローター・ツァグロゼク |
ゲルハルト・オピッツ |
NHK交響楽団 |
2006年12月1日 NHKホール |
アンドリュー・リットン |
イモジェン・クーパー |
NHK交響楽団 |
2008年10月4日 NHKホール |
ネヴィル・マリナー |
アンディ・シーララ |
NHK交響楽団 |
2010年9月25日 NHKホール |
高関健 |
野原みどり |
東京フィルハーモニー交響楽団 |
2008年7月29日 新宿文化センター |
円光寺雅彦 |
北村朋幹 |
東京フィルハーモニー交響楽団 |
2011年6月8日 裾野市民文化センター |
クルト・マズア |
ネルソン・フレイレ |
フランス国立管弦楽団 |
2004年6月18日 |
ボヤン・スジッチ |
アレクサンドル・パブロヴィッチ |
セルビア放送交響楽団演奏会 |
2015年10月1日 セルビア・ベオグラード コララッツ・ホール |
デーヴィッド・ジンマン |
レイフ・オヴェ・アンスネス |
NHK交響楽団 |
2016.11.19 NHKホール |
ヘルベルト・フォン・カラヤン |
マウリツイオ・ポリーニ |
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
1974年8月15日 ザルツブルク音楽祭 |
パーヴォ・ヤルヴィ |
カティア・ブニアティシヴィリ |
NHK交響楽団 |
2016年2月17日 サントリーホール |
ウォルフガング・サヴァリッシュ |
イェフム・ブロンフマン |
NHK交響楽団 |
1998年11月11日 東京・サントリーホール |
リッカルド・ムーティ |
ダヴィッド・フレイ |
フランス国立管弦楽団 |
2016年3月24日 フランス・パリ・メゾン・ドゥ・ラ・ラジオ |
クリストフ・エッシェンバッハ |
クリストファー・パーク |
ローザンヌ室内管弦楽団 |
2018年9月11日 スイス・ローザンヌ サル・メトロポール |
絶対的に「これがベスト」と呼べるようなものはないが、演奏家によって個性が現れている。非常に情緒的・感傷的な演奏もあれば、強直で男性的な演奏もある。個人的には感情に流されず、剛毅なポリーニの演奏(1974年ザルツブルク音楽祭)に惹かれる。因みに第一楽章の演奏時間は14分37秒で、比較的高速の演奏となっている。この頃のポリーニは、テクニックもスゴイが、気迫も漲っている。最も脂が乗っていた時期ではないだろうか。ベルリン・フィル木管パートの名人芸も聴きどころである。