結局、リヨン行きのTGVの遅れは一時間以上となった。やはりこの列車も満席であった。
明治五年(1872)九月二十六日、岩倉使節団とは別に司法省の視察団がマルセイユに上陸している。一行は八名(河野敏鎌、岸良兼養、鶴田晧、川路利良、沼間守一、名村泰蔵、益田克徳、井上毅)。マルセイユからパリに向かう車中で便意を催した川路利良は、新聞紙を床の上に置くと、毛布をかぶって周囲の目を遮蔽し、その上に黄色い大きな塊を落とした。ついでその塊を新聞紙でくるむと汽車の窓から勢いよく投げ捨てた。川路はそのまま何くわぬ顔をして旅を続けた。
ところが翌日、そのことが現地の新聞に報じられてしまう。「汽車の窓から大便を放り投げた者がいる。それを包んだ新聞紙が日本文字であることから、日本人の仕業に違いない」
謹厳実直な川路が大便を投げたのはこの辺りかと思いながら、汽車の旅を楽しんだ。
明治六年(1873)七月十五日、一年に及ぶヨーロッパ周遊を終えて、岩倉使節団はスイス・ジュネーブから汽車でリヨンに入った。リヨンには二日間の滞在の後、マルセイユに向けて出発している。なお、副使の一人木戸孝允は同年四月に一足先に帰国の途につき、大久保利通はさらに早い同年三月にベルリンから帰国している。
「米国回覧実記」ではリヨンを里昴と漢字で表記している。
――― 里昴府ハ、仏国ノ大都会ニテ(中略)、仏国中ニテ、巴黎ノ外ハ、此都ノ盛ニ及フ所ナシ、絹織ノ名所ナリ、地勢ハ山脈ノ余ヲウケテ、西北ニハ岡陵起伏シ、東南ニハ平野曠然(こうぜん)タリ、「ソオン」河ノ「ロオン」河ニ会合スル地角ヲ占メ、両河ノ間ヲ、府中ノ尤モ稠密(ちゅうみつ)ナル区トス、
(旧グランドホテル)
TGVが着いたリヨン・パール・デュー駅で荷物を預け、身軽になった。駅の目の前に地下鉄の駅があり、そこから市街地を目指す。Cordeliers駅を下車すれば、旧グランドホテル跡は直ぐそこである。
竹内保徳ら文久使節団が宿泊した旧グランドホテルは、今はホテルとしては営業していないが、往時の建物が残されている(16 BIS Rue de la République, Lyon)。
旧グランドホテル
(リヨン・ペラーシュ駅)
リヨン・ペラーシュ駅
文久使節団がマルセイユから汽車でリヨン入りし、彼らが降り立ったのがリヨン・ペラーシュ駅(Lyon-Perrache Gare Routière)である。百五十年以上の時間が経過しているが、この駅舎はほぼ当時と変わっていない。
現在TGVが発着しているのはリヨン・パール・デュー駅であるが、リヨンにはもう一つ大きな駅があって、それがリヨン・ペラーシュ駅である。パール・デューから距離にして約四キロメートル離れている。写真を撮り終えた時点で、パリに向かう列車が出る時刻までちょうどあと三十分。地下鉄に飛び乗り、パール・デュー駅を目指した。Charpennes Charles Hernu駅で乗り換え。ここでホームにあった自動販売機で飲み物を買おうとしたら、なかなか飲み物が下りてこない。そうこうしているうちに電車がホームに来てしまい、諦めて返金ボタンを押したが、今度はお金が出てこない。結局、お金も飲み物も諦めて電車に飛び乗ることになった。閉まったドア越しに、自動販売機から私のおカネを取り出している男の姿が…
【教訓】フランスの自動販売機は、反応が鈍い。自販機は余裕のあるときのみ利用しよう。
到着時に駅で預けた荷物を受け取り、電光掲示板で乗車するTGVの時刻を確認したら、「定刻とおり」発車するという表示。こういう時に限って時間通りなのである。
走って発車ホームに行ったときにはドアが閉まる直前であった。自動販売機でおカネが出てくるのを待っていたら乗り損ねていただろう。
(ソーヌ川)
ここからは史跡とは無関係にリヨン市内を歩いた記録である。
リヨンの街を二つの川が南北に貫いていて、両者はリヨン市内で合流する。その東を流れているのがローヌ川である。この川はスイスに源流があり、レマン湖を経由し、フランスを経由してアルル付近から地中海に流れ込んでいる。
西を流れるのがソーヌ川(la Saône)である。
ソーヌ川
ここから対岸の旧市街に渡って、リヨン・サン・ジャン大教会とリヨン・ノートルダム大聖堂を目指す。因みにリヨンの旧市街は世界遺産に登録されている。
(サン・ジャン大聖堂)
リヨンのサン・ジャン大聖堂(Cathédrale Saint-Jean-Baptiste)は、十二世紀に着工し、約三百年をかけて1480年に完成したという教会である。この教会のステンドグラスも素晴らしい。
サン・ジャン大聖堂
大聖堂の内部
ステンドグラス
欧州最古の天文時計
1379年製の天文時計はヨーロッパ最古のものといわれる。
(リヨン・ノートルダム大聖堂)
ケーブル車
サン・ジャン大聖堂近くの地下鉄のVieux Lyon(旧リヨン)駅からノートルダム大聖堂(La Basilique Notre Dame)までケーブルカーが出ている。乗車時間はわずか三分だが、かなりの急勾配なのでケーブルカーを利用することをお勧めする。
リヨン・ノートルダム大聖堂
この大聖堂はフルヴィエール(Fourvière)の丘の上に立っており、美しいリヨンの街並みの見晴らしがとても良い。
ノートルダム大聖堂からの眺望
リヨン市街
ノートルダム大聖堂からの眺望
リヨン市街
モザイク画
天井画
この教会は二階建てになっており、豪華絢爛な二階と比べ、一階は厳粛な空間となっている。
地下の祭壇
聖母像
「米欧回覧実記」でも岡の上に立つノートルダム大聖堂を描いている。
――― 河西ニ岡阜(こうふ)アリ、上ニ寺アリ、金ノ馬利(メーリー)像ヲ建ツ、此ヨリ東南ヲ一眺スレハ、府中ノ景、ミナ睫ノ間ニ落ツ、岡前ニ「ソオン」河流ル、数条ノ橋ヲツツリテ往来ヲ利ス、北方ニハ地勢ヲ隆起シ、此ニ織戸多シ、東方ノ野ハ、河ヲ隔テテ連リ、瑞士(スイス)ノ境ニ達ス、此ヲ里昴府ノ大形トス、