今更ながら、幕末に来日した外国人は、いずれも日本にとって恩人である。同じアメリカ人であるが、知名度では鎖国の扉をこじ開けたペリーが勝るが、我が国への貢献度でいえばハリスの方が上回るのではないか。
生涯独身を貫いたハリスが最初にエネルギーを注いだのは、教育であった。ハリスは、ニューヨーク教育委員長に就いてフリー・アカデミー(無月謝の高等教育機関)設立の中心人物として活躍する。学校の開設に目途がついた1848年一月、ハリスは公職を退いた。原因は本職である商売の不調、それにこの時期最愛の母を失ったことが重なったことにあった。この頃、情熱の向け先を失ったハリスは、酒におぼれる日々を過ごしたという。
ハリスが次に熱意を傾けたのが、外交であった。当初、中国の寧波領事として赴任する予定であったが、折しも日米和親条約が締結され、日本(下田)に領事官を駐在させるという報に接すると、ハリスは直ちにニューヨークに戻り、この職への任命を取り付けるべく奔走を始めた。
ハリスに飲酒癖があるといった噂が流れ、人選は難航したが、結果的にハリスのほかに未開国日本の初代領事という、危険を伴う立場に進んで身を投じようという物好きが現れなかったこともあり、晴れてこの職を手にしたのであった。
ハリスのこの情熱はどこから来ているのであろうか。思えば、ニューヨークの教育委員長も無報酬だった。歴史に名を残すような大事を成し遂げるには、大金を得るとか、私服を肥やそうということが動機であってはならないのだろう。
常に粘り強く、誠意をもって交渉にあたるハリスは、いつしか将軍や幕閣から敬意を集める存在になっていた。ある日、ハリスが「毛並のどこかに白い斑のある犬の尻尾の先は必ず白い」と言ったものだから、幕府の交渉委員や大名は手分けして数千匹の犬を調べ、ハリスの言が正しいことが証明されたという。
ハリスの滞日は五年九か月に及んだ。この間、日米通商修好条約の締結、横浜開港など、ハリスは大きな足跡を残した。文久二年(1862)五月、ハリスは日本を去った。ハリスが息を引き取ったのは、明治十一年(1878)二月二十五日のことである。
いつかニューヨークを旅する機会を得られれば、ブルックリンのグリーンウッド墓園のハリスの墓を訪ねてみたい。更にいえば、ハリスの情熱の結晶であるフリー・アカデミーは、現在CCNY(College of the City of New York)となって今も健在である。ハリスの墓参りの後は、CCNYのタウンゼント・ハリス・ホールにも足を伸ばしてみたい。
著者中西道子氏は、比較文化史を専門とする大学講師の方である。ハリスのことを愛情と敬意を込めて調査し、一人の偉大な人生を描き出すことに成功している。
生涯独身を貫いたハリスが最初にエネルギーを注いだのは、教育であった。ハリスは、ニューヨーク教育委員長に就いてフリー・アカデミー(無月謝の高等教育機関)設立の中心人物として活躍する。学校の開設に目途がついた1848年一月、ハリスは公職を退いた。原因は本職である商売の不調、それにこの時期最愛の母を失ったことが重なったことにあった。この頃、情熱の向け先を失ったハリスは、酒におぼれる日々を過ごしたという。
ハリスが次に熱意を傾けたのが、外交であった。当初、中国の寧波領事として赴任する予定であったが、折しも日米和親条約が締結され、日本(下田)に領事官を駐在させるという報に接すると、ハリスは直ちにニューヨークに戻り、この職への任命を取り付けるべく奔走を始めた。
ハリスに飲酒癖があるといった噂が流れ、人選は難航したが、結果的にハリスのほかに未開国日本の初代領事という、危険を伴う立場に進んで身を投じようという物好きが現れなかったこともあり、晴れてこの職を手にしたのであった。
ハリスのこの情熱はどこから来ているのであろうか。思えば、ニューヨークの教育委員長も無報酬だった。歴史に名を残すような大事を成し遂げるには、大金を得るとか、私服を肥やそうということが動機であってはならないのだろう。
常に粘り強く、誠意をもって交渉にあたるハリスは、いつしか将軍や幕閣から敬意を集める存在になっていた。ある日、ハリスが「毛並のどこかに白い斑のある犬の尻尾の先は必ず白い」と言ったものだから、幕府の交渉委員や大名は手分けして数千匹の犬を調べ、ハリスの言が正しいことが証明されたという。
ハリスの滞日は五年九か月に及んだ。この間、日米通商修好条約の締結、横浜開港など、ハリスは大きな足跡を残した。文久二年(1862)五月、ハリスは日本を去った。ハリスが息を引き取ったのは、明治十一年(1878)二月二十五日のことである。
いつかニューヨークを旅する機会を得られれば、ブルックリンのグリーンウッド墓園のハリスの墓を訪ねてみたい。更にいえば、ハリスの情熱の結晶であるフリー・アカデミーは、現在CCNY(College of the City of New York)となって今も健在である。ハリスの墓参りの後は、CCNYのタウンゼント・ハリス・ホールにも足を伸ばしてみたい。
著者中西道子氏は、比較文化史を専門とする大学講師の方である。ハリスのことを愛情と敬意を込めて調査し、一人の偉大な人生を描き出すことに成功している。