お袋が亡くなって早くも8ヶ月。
遺産相続も、ほぼ手続きが終了して、今は週末というと
実家に行って、荷物を片付けている。
雑草で入り口の周りが、まるで登山道みたいになっていて
裏口である勝手口から、家の中に入る。
『来たよぉ・・・』
誰も居ないのが明白なのに、お袋が生きている頃と同じように
声をかけて家の中に入る。
食器や花器がごっそり出てきて、さてどうしようか?・・・・
着物も半年ほったらかしにしていたら、随分痛んじゃった。
やっぱり、家って言うのは住んでいて何ぼだね。
電話の乗っていた台の引き出しの中を見ていたら
お袋の最後の日記が出てきた。亡くなる前の5月で途絶えている。
ちょうど、体の調子がおかしくなり始めた頃かな?・・・
一人暮らしの寂しさが、書いてある。
日本に来て、お袋と一緒に住んでいた姪が来るのを喜んでいたようで
実は、帰国した後にまた独りになってしまう事が、凄く嫌だったみたい。
そりゃそうだよね。誰だってそうだと思う。
『また一人になったら、ボケてしまいそう・・・』
僕に、笑いながらよく話していた言葉は、実は本音だった。
もうひとつ、別の手帳が出てきて、それには自分の生い立ちや
お袋の祖母(僕のひいお婆さん)のことや、祖父母の生い立ち、
オヤジとの出会いや、楽しかった頃の回顧録みたいなことが
何ページにも渡って書いてあった。
自分の人生を、少しずつ書き綴っていたんだろうな・・・・
そういう話を、もっと聞いてやりたかった。
隣の家を購入して、引っ越す予定だったのに、ちょっと遅かった。
別の手帳には、日めくりの英会話カレンダーが挟んであって
毎日、ひとつの英語を覚えようと、ノートに書き写して
カタカナで振り仮名を書いて、勉強していたみたい。
姉が、『豪州へ連れて行く』と、ずっと言っていたのを
本当に楽しみにしていた様子が、ノートから伺える。
そのほかに、大量に出てきた一年ごとに分けられたレシートや領収書の束。
結婚当時から、ずっと続けていたみたい。60年だよ・・・・
オヤジが亡くなってから60歳近くで始めた水泳だって、
最初はカナヅチだったのに、67歳で癌が見つかって辞めるまで
スイミングスクールに通って、一級まで進んだ・・・・
偉いなぁ・・・・お袋。改めて見直したよ。
黙々と、何でも一生懸命やって居たのが凄いと思う。
僕も少しだけ、そんな血を引いているなら嬉しいな。
もうすぐ1年になろうとしているというのに、まだお袋の事を考えていて、
実家から帰るときに『じゃぁね、また来るよ』
って言って、帰ってくる自分が居る。
お袋のこと、忘れる必要は無いよね・・・・?